昨日は早起きをして、バスケットの全県大会の応援に行ってきた。

小学6年生のいとこはいつもいつも、声を出せ、やる気がないように見える、だらだら動くなと父母から言われていた。確かに、他のチームの応援の仕方やプレイをみていると、いらいらしてしまう気持ちもわからなくはなかった。

でも、私にはあの小さな小学生が、広い体育館の中を走り回って、必死にボールを追って、ゴールに向かう姿はだれよりも格好良くみえたよ。

帰ったらお疲れさまって言って、たくさんお話を聴こう。

これから新しい沢山のひとたちに出会っていく彼女を、私は私の中にある旗を大きく振って応援したい。

 

秋田は昨日から、降っては止んでの白い空模様。

昨日の夜はひとりでホテルに泊まって、久しぶりに駅前の小さなショッピング街でお買い物を楽しんだ。戦利品はヘアケアワックスとシュガースクラブ。このたったふたつを買うことに、私は以前の何倍の時間を費やしたことか。いくら迷ったことか。

別に欲しいわけでもなかったけれど、竹ぼうきのようにバサバサになった髪と、かさかさの体を労ってあげたい気持ちになった。

ふたつを買おうという考えに至るまでは、入浴剤やら手帳やら、新色のチークやら折り畳み傘を見てはこれでもない、それでもないと繰り返していた。

 

ホテルを出る前から綿雪がちらついていたけれど、お買い物を終えてホテルに向かう頃には、歩く私にも積もってしまうのではないのかというほど降っていた。

 

夜をだらだらと過ごし、短大時代からの友人と遅めの夕食。8日も会うけれど、やっぱり会いたくて声をかけた。

よかった。

会えるときには会うという選択肢を掴んだ私は、偉かった。

元気な時間は精一杯元気に過ごしたくなる癖はなかなか治らない。後々どろどろした沼に沈んでいくように気分が落ち込むけれど、楽しいことを楽しめる時間は、落ち込むときに落ち込める時間と同じくらい必要なんだ。今の私には。

 自分に対する言い訳なのかもしれない。

ただ、楽しいものにはきっと手を伸ばすことを、みんなやめられない。ひとの性だ。自分に言い聞かせて、今を楽しんでやる。

 

秋田の寒さは思わず「さむぅい!」とひとりで声を上げてしまうものだけれど、どこか優しい。

降る白い雪。

つめたい風は頬を包み込むよう。

歩道は雨雪が冬靴に踏み潰されてぐしゃぐしゃ。

挙げてみればいいところなんてないのだけれど、私はやっぱりこの寒さと冬がすきなんだ。

雪がまたずっしりと積もって、毎朝雪かきをするひとたちが言葉を交わす季節が過ぎたら、私は24になる。

目標もなにもない。ただ白いだけ。

今はそれでいいやと許せる気分。

私は私に優しくなれるとき、存分に優しくなれるようにと思う。こたつに脚をつっこんで抜け出したくないのなら、そのままでいる。それでいいよと、声をかけてあげる。

きっとそこが私にとってのスタート地点だ。

 

今日は1日の半分以上を寝て過ごした。

まだ防衛機能が働いているんだ。よかったな、と自分に感心した。

よく頑張ったね。

 

親戚のお友達の脅威が少しずつ弱まってはきたものの、私は"私"を取り戻せずにいた。

全部が怖いものに見えてしまう。

身内に話しかけられてビクビクすることは初めてのことではないけれど、今日はもう何かがだめだった。

具合が悪いの?とか聞かれるの、なんかもういやだなって思って泣いたのは、初めてだったかもしれない。寝てる時間以外は泣いていた。たぶん、寝ているうちも泣いていた。それくらいの脅威が、私のすぐ傍らにはあったんだ。

グラスを持って乾杯できるくらいに"私"を取り戻せたら、ノンアルコール梅酒ロックを片手に祝賀会をしよう。私のために。

 

"死の受容プロセス"というものを、ふと思い出した。エリザベス・キューブラー=ロスというひとが提唱した死の受容に関するモデル。

私はいまこれを自分に当てはめてみている。

私はこの病気で死ぬことはないけれど、私を殺すことはできる。(たぶんしないし、できないけれど。)

今はまだ、"否認・隔離"の状態にあって、自分は病気だということを根っこから信用できていないし、はたまた健康なのではとも思っている。

私は死生論という授業を受けてから、もうこのモデルを貪るように調べた。研究のテーマもこれに近しいものだった。

記憶の糸を辿って、ハッとした。私はきっとこの中にあって、まだ抗っているんじゃないかって。そう考えて少し安心した。まだその元気が残ってるんだって。

ゆっくりとひとつずつ踏みしめて、わたしは生きていこうと思う。

 

10日以上もおやつに会っていない。

私はきっとおやつに会うと、元気になれる気がしている。なぜだろう。

おやつに会いたいな。

いちねんの始まりの日。

もっとすっきりとした1日だと思っていたのに、ぜーんぜんだめだった。

もやもやもやもや、霧が晴れない。

 

病気ってなんなんだろ。

私は病気でいるということを、未だに理解できていない。言葉で伝えることはできるけど、自分の中では消化できていない。

すきなことをして、すきなものを食べて、すきなことを考えられる。ただほんの少し、それが自分でコントロールする力が弱いだけなんじゃないかな、と。いやなもやもやとした気持ちに突然なって、それのやめ方もわからない。ただ時間が流れて、その中でたまたま生活できるような気持ちになっている。

それってみんなじゃないんですか。

私だけじゃないでしょう。

なんでこんなことで、私は立ち止まって、いちいち悩まなくてはならないのだろう。

親戚のひとは、病院は病名をつけて治療をすることが義務だから、私が病気だということを決めるのは自分なんだよって。

でも、私にとってのふつうなんだよ。

これが毎日生きていた時間なんだよ。

それをいきなり病気なんです治療しましょうって、ちょっとつらいんですよ。

ずうっとそんなことを考えて、テレビをすこし観て、過ごしてた。

私は一体どう生きていったらいいんだろうな。

 

親戚のお家に、いとこのお友達一家が来た。

みんな小さいきゃっきゃしたこども。

私もこんなときがあったかな、思い出せないな。

楽しかったことが、最近上手に思い出せない。

ゆっくりとした時間を過ごしているのに、本当に無駄な時間の過ごし方をしているなあと思う。

 

また書きたくなる。たぶん。

ひとりになったら、また書こう。

なんだかここ数日ばたばたしてた。

気持ちが休まるタイミングはやはり夜で、朝ではないようだ。

はやく眠れと言われるのがこんなに辛いとは…

 

朝には一応小学生のお手本になるために、7時前には起きる。

夜通しぼーっとしていて気づけば朝になることもあれば、知らないうちに眠りについていることもある。

"帰りたい"と思える家のないことが、こんなにもしんどいなんて思ってもみなかった。

よくしてくれるひとがいるのに、こんなわがまま言うのは最低だということもわかっているけど、ひとりでゆっくり落ち込んでいたいときもあるんだ。落ち込んで落ち込んで、ぐずぐずと泣いて、いつの間にか息をしている生活がすこし恋しい。

私がいま生きるために必要なのは、ある程度の孤独なんだと感じているこの頃。

 

今日はたまたま本を読んでみようと思う機会があって、手にとってみた。相当などきどきと汗。

やっぱり、目で追うことがまだできない。

ショックだったけれど、まだできないというだけで、これからできるようになるんだって、思えるようになった。前進。

美容院にも行った。行ったことのないところ。

女の人を指名しておいてよかったけれど、喋らなきゃ喋らなきゃと思ってしんどかった。用意されてある雑誌も、読まなきゃ読まなきゃと思ってしんどかった。

ピアスもしていったのが間違いだった。カットしている最中にひっかかって落ちたこと、気づかれなかった。もう行きたくないな、なんて、思ったり。

もう今日は、ひとに気を遣ったり、自分のことでいっぱいいっぱいだったり、散々だった。

まあこれで年納めということで、やさしい気持ちで受け止めてあげよう。

 

あまり文字にしてもいい気持ちになれない。

どうしてなんだろう。

文字に嫌われたのか、文字を遠ざけているのか。

明日はゆっくり過ごせますように。

 

 

今日は歳の離れたいとこと年賀状を数枚書いた。

大進歩だ。私がお店でどきどきしながらペンやデコレーションテープを買って、何枚か続けて文章を書くなんて。書ける日がくるなんて。

その反動で今はなんだかこわいことしか考えられなくなってしまっているけれど、書けたという事実が、私をほんの少し勇気づけている。

 

なんだか落ち込んでしまっているけれど、やっぱり仕方のないことなのか。

ゆっくりゆっくり時間をかけて、落ち込むことに関しても受容しなければならないと考えると、また深みにはまってしまう。

憂鬱も幸福にも、底や天井がない。

なんでこんなにも生きにくい中、生きていかなくてはならないのだろう。

たった数枚の年賀状を書いただけで疲れ果てて、挙げ句の果てには死にたくなる。

ちょっと度が過ぎている気もするけれど、これが今の私には精一杯。

受容できるまでこれが続くことを考えると、ぞわっとする。本当に底なしだ。

 

最近またおなかが痛くて転げ回っている。挙げ句の果てには、女の子として恥ずかしいところまで裂けてしまった。もう死ぬしかない。

地面に顔を突っ込んで、ただただわーっと叫びたい。

なぜ、こんなにも落ち着かないのだろう。

 

親戚との生活にも慣れてきてはいるけれど、どうしてもそわそわしてしまう。

私はふたつの意見を聞くと、どうやら混乱してしまうらしい。どちらが正しいのか散々悩んだ末に、本当に選びとることができない。

情けないなと思って、また疲れて、目を閉じてしまう。

 

今日もはやく寝てしまおう。

どうせ朝がきたら、またあたまがおかしくなる。

 

好きにできる時間は減ったけれど、自分らしくいられる時間が増えた気がするこの頃。

年の暮れも近く、慌ただしい時間の中で、自分のペースを保つことは、今の私にはまだむつかしい。

 

今日はふと、思い出したことがある。

中学1年生のときのことだ。

合唱部に所属していたわたしは、たまたま帰らなくてはいけない用事があって、帰り支度を済ませていた。教室にはまだ数人の生徒が残っていて、お喋りしていたりふざけあったりしていた。

その中でぽつんと、テニス部の女の子が椅子に座っていた。私はその子とそこまで親しい仲ではなかったけれど、たまにお兄さんのことでからかわれて泣いていたことは知っていた。

その子のお兄さんは所謂オカマで、この辺りの田舎では珍しい性同一性障害とされるものを抱えながら生きていたひとだった。

からかわれることが辛いのであろうその子は、たまに学校をぽつぽつと休んでは、放課後やお昼の時間に、他の子の目を避けるように奥にある教室でプリント学習をしていたこともあった。

その子はきっと部活でもからかわれているのだろうな、大丈夫かな、部活行くのかなと、思いながら背中を見つめていたことだけは鮮明に覚えている。

声をかけてみようと思ったときに、同じ学年のテニス部の女の子たちが教室に数人で押し掛けて、その女の子めがけてグサグサと言葉を投げつけた。

みんなは頑張って部活してるのになんでお前だけは来ないんだ。

どうせ家に帰ってもオカマがいるんだろう、部活してるほうがよっぽど楽だ。

ラケットは持ってきているのに部活に来ないってことは、一応部活する気で学校には来るのか。そういうアピールはいらないからはやく来い。

なんでかな、部活抜け出してまで言いに来るようなことなのかなと思っていたら、その子が肩をぐっと掴まれて、引きずられそうになっていた。

今でもどうしてかはわからない。

私はその数人の女の子たちに、今日は体の具合が悪くなっちゃったから、その子は部活を休むんだって!みんな部活抜け出してきてると、先輩に怒られちゃうんだから、はやく戻ったほうがいいよ!と言っていた。

学年でもお友達の多かった私が、ひっそりと息を潜めていた子を庇うとは思わなかったであろう女の子たちは、そうなんだ、次はないと思うから、などと言って教室から出て行った。

そのあとは、なんで?どうして?と、その女の子は泣きながら私に抱きついてきた。

私はそのとき、どう言い返せばいいかもわからなかったけど、今日はもう大丈夫なんだよ、と声をかけた。

その日その子は、私のことをはるかちゃんは怖くないの?と聞かれたことも覚えている。

でも、なにが怖いのかわからなかった。私は、なんにも怖くないし、なにが怖いのかわからないよ、と返した。

 

いま、その子は元気だろうか。

お兄さんは自分のことを愛せるようになったのだろうか。

なんでこんなことを今更思い出したのかもわからないけど、今の私が同じ場所で同じことを言えたかはわからない。

そのことを考えさせるために、思い出させたのだろうか。

 

じわじわと寒さが身につき刺さるようになってきた。これからまたさらに寒さにさらされて生活していかなくてはならない。

私はお仕事に戻れるのかな。

ゆっくり考えるべきだったことは、もう私のことを急かすようになってきた。ずっとぴったりと、影のようについてくる。

逃げてきた人生だったと思う。

でも向き合わなければいけないことに、向き合ってこなかった私は、もう正面から受け止めることが怖くて手を伸ばすこともできない。

ひとりじゃないよと先生は言ってくれたけど、選びとるときはいつでもひとりだ。

ひとりで選びとることは、怖くてまだできないよ、先生。

だって責任とかいろんな石が私の上に乗っかって、全然動けなくなってしまいそうで怖いもの。

そんなことができるようになるなんて、想像もつかないよ。

 

夜にはあくびが出るようになった。

眠たいときに寝ておこう。

そうしたらまた、目を覚まそう。

きっとなにかできるようになったことを、ひとつひとつ探していこう。

生理痛で1日に2回もお薬をのんだのは初めてだった。床を這いつくばってお手洗いまで行って、戻ってきたらバイオハザードが始まっていた。今日に限っては、私はゾンビ役に適任だった。

 

ほんの少し前から書き始めているこのブログは、居心地がいいのか、なんとか続けられている。

書くこと自体はむつかしいけれど、何もできなかった1日を、"何もできなかった"とただそれだけ書くことで、"何かした1日"に変えられることが救いなのかもしれない。

そう思えない日が幸い少ない私は、なんだかんだ運がいいのかも。

 

"なにか"したから偉いのか。お仕事してることが立派なのか。ねーさんとお話ししてはうーんと少し悩んでしまうけど、お仕事をしていることは、お仕事が少しの間でもできていた私にとっては、本当に本当に立派に思えてしまうんだ。きらきら眩しくて仕方がないんだ。

それだけが立派というわけでないけれど、社会という大きな環の中で、ひとり背筋を伸ばして生きていくことへの憧れと呪縛は大きい。

あの頃に戻りたい、はやく"ふつう"に働けるようになりたいという気持ちは、留まることを知らぬまま加速してしまう。

焦りという大きな負の栄養が、気持ちに悪影響を及ぼすこともわかってはいるけれど、誰よりも自分がいちばんはやくよくなりたいと思っているんだから、仕方ないのかなとすこし諦めモード。

どうしたら焦りと希望の割合を調節できるのだろう。どこにそのネジがあるのだろう。またそんなことを考えては落ち込んでしまう。

考えても答えがわからないし、考え過ぎてもよくないことは百も承知なんですけどね。

 

私にもサンタさんがゆうパックでプレゼントを届けてくれた。

お手紙つきのプレゼント。

なにか匂いがしないかなと思って、お手紙をくんくんしてしまう癖はいつになってもなおらない。きっと、書いたひとの痕跡をどこかで辿ろうとしてしまっている。

ゆっくりと着実に消えていく匂いなんて、私の手元に届く間に確実になくなっているはずなのに。

彼の匂いはどんなだったかな、そこにあるんだ、絶対するんだと、必死にくんくんしては、なんだか切ない気持ちになった。

私にはプレゼントとみじかいお手紙というふたつが届いたけど、彼がこれを手に取るまでの時間や、ペンを握りしめていた事実がうれしい。

プレゼントを選ぶときの顔や、宛先を書いているときの顔。

ペンを手に取り何を書こうか少し考えてる時間や、私に届くまでの時間を彼がどんな気持ちで過ごしていたか。

自意識過剰が過ぎるのもわかっているけど、隅から隅までうれしいものでした。

ありがとう。

 

たまに体や気持ちが思うように動かなくて、私は私に呆れてしまう。

どうしてこんな風になるまで、自分が苦しかったことに気づかないふりをしていたんだろう。

私は私に蓋をして、ただ見えない場所に置いていたことを、今更後悔している。

でも、お友達や通っていた学校の先生、親戚、彼、みんな私に手を伸ばしてくれる。うれしいな。私はその手をとる資格があるかな。わからないけど、ただうれしいな。

時間がかかってもただひとりひとりに、しっかりとありがとうねって言いに行きたいな。

 

そのときまではしっかりと命を握りしめておこう。