昨日のことがひと段落して、私もだいぶ楽になったようだ。

いつもは重くずーんとして、漬物石のようにビクともしないで冷たくそこにあったのに。今日はすこしだけ軽くて、羽が生えてるんじゃないかと思えるほど体が楽だった。

いつもこうあってほしいなとほんの少しだけ思うけれど、後の反動が怖いから、あまり高望みはしないことにする。

 

このブログも始めて4週間くらい。こんなに文字が浮かんでくるとは、自分でも予想だにしていなかった。

きれいな言葉とか目を引く文章を書くことは、あまりできていなかったと思うけれど、頭の中がだいぶ片付いたと思う。以前と比べると鮮明に、目の前の風景が見えるようになった。小さいけれど、一歩前進したかのように思う。

素直にはならないけれど、私はきっと、いまの私を褒めたいのだろうな。

いまは言葉にはしないけれど、あたたかな言葉が浮かんできたら、ここに書いて私にプレゼントしよう。

 

朝に眠ったから、目覚めたのは午後だった。

起きたら母がカレーうどんを作ってくれた。

頭の動きがまだ鈍くて、すこししょっぱいのが食べたいと言ったら、作ってくれた。

大きなわかめと、小さい干しエビの天ぷらののったカレーうどん

私が食べるときはいつも白出汁でつくるのだけれど、母はいつしか鰹出汁の濃い麺つゆで作るようになった。きっとこういうところで、私の気持ちに小さなひびが入ってしまうのだろう。わがままで笑ってしまうのだけれど、嘘でもない、しっかりとした事実。

小さいころはこの濃い麺つゆでつくっていたこともあった。そのころはまだ、母と私の間にそこまで大きな溝ができていなかったと思う。いつからか、私はひとりで残ったカレーでカレーうどんを作るようになったんだ。白出汁で、いろいろな味を削いで食べていたのかもしれない。

 

そういえば、母と話し合うことを躊躇っていた私の背中を押してくれたおばさんに連絡をした。

話すべきことはぜんぶ話したよ。背中を押してくれてありがとう。と、長い文章ではないけれど、こころを込めて送った。

頑張ったね、とたった一言のお返事だったけれど、私にはそれがうれしくてうれしくて堪らなかった。

本当に勇気を出して、涙を流して、最低限かもしれないけれど、話すべきことを後回しにして逃げていたから。それを真正面から受け止めて、背中を押してくれるおばさんがそばにいてくれてよかった。

私はこれからもなにか壁にぶつかっては痛い痛いと泣いて、壁の前でじっと体育座りをすることもあるかもしれない。だけど、それでもいいよと優しく背中をさすって、もう少し元気になったら立ち上がってみようねと、自分に声をかけられるようになりたい。

 

おやつにも会えて、魔法のニャーも聴くことができた。

彼は私に何度か擦り寄って、背中に飛び乗る準備をしていたけれど、私はなんとかそれを阻止して、ごはんを食べる彼をみつめていた。

つんと刺さる寒さの中、ふっくらと丸みをおびた愛らしいからだは、触らずにはいられなくて。くびからおしりのつけねから、いろいろなところをうりうりと撫でては、あたたかさを感じていた。

それに、おやつをあげることもできた。

ぺろぺろと私の手を舐めては、おやつの余韻を楽しむ彼は、いつ見ても可愛くて、抱きしめたくなった。

 

調子のいいうちに友人に会うため、起きたらまた予定をいれた。

とは言っても、お誘いを受けたのだけれど。

雪でもいいから、また笑えるいちにちになりますように。

おやすみなさい。

今日が終わる。

またいちにち生きのびることができた。

 

今日は本当に"いやな日"でもあり、"いい日"でもあった。

私はいちにちを通して泣いていたけれど、頭の中を整理して、話すべきことを話し、伝えることができた。どのように受け取られたのかはわからない。けれど、少なくとも、ゲームもせずに私の言葉ひとつひとつに頷いてくれた。

あんなことは初めてだ。

母が私の言葉に、あんなに真摯に耳を傾けてくれたことは、初めて。

きっと私がただならない雰囲気を放っていたのかもしれないけれど、話が逸れてまたルート修正しようとしても、なにも言わずにうんうんと聴いてくれた。かたちだけかもしれない。でも私はその姿勢で言葉を拾い上げてくれて、うれしかった。

 

ことの顚末は考えれば考えただけ、複雑に入り組んでいる。錆びた細い鉄パイプで出来た迷路のように、それからのぼる蒸気はずっとふきっぱなし。きっと出口はどこかにひとつだけあるのだけれど、私はまだ見つけることができていない。

きっとひとつ解決したら、もうひとつはバッドエンドになってしまう。それはきっと"犠牲"というものになるのだと思う。

選び取るときは"価値"と"犠牲"を天秤にかけて考えるしかない。私は今日、なにかを"犠牲"にしてこの"価値"を得たと考えている。時間が過ぎゆく中でようやくその"犠牲"を知ることになる。

 

久しぶりに母のつくったお料理を食べた。

結局ひとりで食べていたけれど、弟と一緒に食べたときのカレーと同じ味がした。以前よりすこし辛かったけど。

あたためかたを間違ってすこしぬるいカレーだったけれど、久しぶりに懐かしくおいしいなと思った。カレーなんていつぶりだろう。食べてから思い出した。カレーうどんは好きなのだけれど、カレーライスというものはあまり好まないこと。

私の舌は唯一といっていいほど、私の中でも個性を持っている。食通と言えるほどではないけれど、幼い頃からの感性がブレることがない。芯のある感性がたったひとつでも私の中にあってよかった。

たとえば、お店で食べたものは大体お家でも再現できること、なにが入っていてなにがその食べ物をふくよかにさせているのかが想像する力があること、とか。テレビで絶対的な味覚をもつ有名人として紹介されるひとには、負けてしまうかもしれないけれど、私の中でもブレることのないところがあって安心することができた。

 

何日ぶりだろうか、おやつにも会うとかができた。

彼は私の手をくんくんとかいで、あくびをした。寝ているところごめんねと言いながら、私は久しぶりに、その冬に備えたふかふかの毛にふれた。あたたかくて、優しくて、甘えたくなってしまったけれど、おやつの睡眠の邪魔なんてしていたら、もう愛想尽かされるかもしれないし、すぐやめた。

起きたらまたおやつに会いたい。今度はごはんもあげたいし、可愛い鳴き声を可愛いなと思える時間がほしい。

 

今日はもうHPが0なので、シャワーを浴びて、横になる。

話し合ってからずっと寝ていたから、眠れるのかはわからないけれど、からだがもう縦でいられる時間は少ないよと伝えてきている。

おつかれさま、私。

さようなら、私。

考えなくてもいいことばかり、頭の中で浮かんでは消える。泡のようなものなのだけれど、生まれてからずうっとぱちぱちはじけて、またぷかぷかと浮いてくる。

なんでか、どうしてか、楽しいときでも悲しいはずのお話をして笑っている。楽しいと思い込ませることが嫌でも得意になることは、思えば悲しいことだ。

 

 私が大袈裟に騒いでいるだけなのかもしれないけれど、お家のことは頭の中の8割以上を占めている問題。家族とか親戚とか、そういう"血の繋がり"というものを、ここまで嫌になったこともなかった。というか、きっとみんな親切なんだ。けれど、いまの私の受け取り方がよくない。

家族には家族固有のルールとか暗黙の了解があって、いまお世話になっている親戚のお家にも、それはある。私はいまそういうものに気づかないでいるのか、それとも気づかないように気をつけているのか、とりあえず癪に触ることをしてしまったのだろう。膿を出すように、私はこのお家からもまた出される。私も私で素直になれないうえに、受け取り方が歪んでいるからこうなるのだろうけど。

とりあえず私のせいということにしておけばいちばん楽、と考えるようになったのはいつからだろう。

遮断しながら生きていくことは確かに楽で、寂しく、ぬるま湯に浸かっているようだ。

これ以上ぶつかって、すり減って、血を流して、息ができなくなることは避けたい。

たとえハグして解決するハッピーエンドが用意されているとしても、その過程に付き合える体力と精神力は、いまはもうない。

 

社会に出ることが、私の抱えている問題を解決するための唯一の策だ。金銭面でもゆとりができることは、気持ちにもゆとりをもたらせる。

現実的に考えてみれば、社会に出てお金を頂くことはいまの私には難しいこと。お仕事を辞めてアパートを引き払うことだって、少なからずお金の掛かることだし。

どの脛をかじることになっても、涙を流すことが予想できる。脛なんてかじりたくない。頼りにもしたくない。私は私で立って、どこにでも走っていったり、しゃがんだりしてみたい。息苦しくなったとしても、自分で慰めてあげることができるようになりたい。

急かしているのではない。ただ自分に包丁を突き立てて、汗を流している私を、ただみていることに嫌気がさしている。

 

言葉と文字は私を励ましてくれているのだろうか、ゆっくりと頷いてくれている気がする。

肯定でも否定でもなく、ただ頷いて飲み込みもせず、一緒に眺めていてくれている感覚。

言葉と文字は遠く離れたところから見ることがすきだったけれど、近くで見ることがきらいだった。嘘とか嫌なもので取り繕ったものがあまりにも多くて。そんなものが寄り添ってくれる存在になってくれるなんて。

 

明日は問題に向き合う日。

いやでもどうしようにもできない。

ただもう全部が遅くて、蘇生させることは難しい。

でも、"無駄"と知っていて立ち向かうことでなにか変わるかもしれない。

ほんのひとつまみの希望だけを信じて、明日は生きていようね、生き抜こうねと自分と約束する。

 

昨日から降り続く雪は、もう膝くらいまで積もっている。

暑いより寒いほうが落ち着く私にとっては、本当にとっておきの季節で、ちらちら落ちてくる雪をみることは飽きない。

白い雪だけが、今の私には唯一の救いだ。

ただ降って、ただそこに積もるだけ。

あたたかくなったら、とけることを祈るだけ。

 

昨日は病院だった。

病名がついた途端に診察は1ヶ月後ってことになっていて、正直戸惑った。

けれど、これもお医者さんのお仕事で、どこかしらで割り切らなければパンクしてしまうのかな、なんて思ったり。

私はある点ではどこまでもお人好しなんだ。それを考えると、私自身を大事にしていく癖というものがない。その癖さえついていれば、こんなことにはならなかったよな、なんて考える。

もう手遅れなんだけれど。

 

ひとつの問題を頭の中で捏ねくりまわすのは得意分野だ。

そのぶんひとつの問題に対して多方面から向き合うこともできるというメリットもある。ただ、具合の悪いときにそれをやってしまうと、決壊したダムのように涙が止まらなくなってしまう。

結局どれが最善なのかさえ、今の私にはわからないし、これからもよくわからないままなんじゃないのか。

 

ひとは流動的でお水のように形を変えてしまうのだから、私もそうでなくてはならない。

ただ、問題ひとつに対して向き合うのならいいのだけれど、今の私の体力と精神力では抱えきれないほど問題が山積みだ。

その山を見上げただけで、私は氷になってしまう。

もう何から手をつけたらいいのかわからないし、手をつけたとしても最善を掴み取る自信もない。

 

お薬は気休めなのか。あの小さなつぶを毎日毎日摂取することで、私に何か変化が起きることの想像がつかない。

最近は、気休めにもなってくれないただのゴミのように見える。

それくらい、小さな氷になった私の目の前には問題が山積み。エベレストなんて糞食らえってほどの問題。

腹痛で床に張り付いてしまうこともあるし、頭が痛くて吐くし、これが身体的な病気だったらなあなんて、何回考えたことか。

 

一見元気な私は、きっと周りからみたらニートで毎日ぐーたらしているようにも見えるのだろう。

だけどごめんなさい。

私の中の精一杯がこれで、ただ呼吸をして、ひとり携帯とにらめっこしながら日記を書くことが日々の限界なんだ。

きっとそれを説明してもわかってくれないのだろうなと思って、説明することすら放棄してごめんなさい。

私はひとと関わることでの重圧に、今はもう耐えられないんです。

それがだいすきなおばあちゃんでも、心配してくれているおじさんでも、伝え方の不器用な母でも、もうだめなんです。ごめんなさい。

 

いっそ消えたいって思うことはだめなのですか。

私は私のいない世界を想像する癖がついたよ。

だってそれが今の私にとっての幸せだから。

病気を治す努力はします。でも、病気を理解してもらえるような努力はもうしたくないです。

これ以上今の私めがけてナイフが飛んでくるなら、私は避けようがないもの。

聞き流すというスキルがもう少し私に備わっていたならな。きっと生きやすかったのかな。

考えても無駄なことはわかっているのだけれど。

 

ひとは"無駄"を嫌っているようで、実は愛しているんだろうな。

遡ればアダムとイブになるけれど、服を着ることだって、考えてみれば無駄なことだったのかもしれない。楽園から追放までされてもなお、無駄を愛して止まないのがひとなのだろう。

私の無駄はきっと私の救いだってことを、もう誰かに伝えようとすることもやめる。

それは"無駄"なんだって気づいてしまったから。

ここ何日か続いていた体調不良も一時的におさまって、昨日は安心してお友達と会って、ごはんを食べて、朝までお喋りすることもできた。

それをぶち壊す破壊光線もくらったけれど、楽しめる時間も楽しむことができた。

 

破壊光線をぶっ放してきたのはやはり母で、私の理解の範疇をやはり超えてきた母は、魔物だと思う。

自己中心的な考えを、あたかも他人に考えを委ねるようなそぶりを見せて紛らわせるやつはいない。し、論点すり替えヒステリックをテクニックとして持ち合わせているやつもいない。

 

私は"家族"の標準的なものをあまりよく知らないし、きっとそんなものどこにもないのだろうけれど、やはり私が不満に感じることが多すぎるこの"家族"は、きっと平均点以下で赤点の"家族"だ。

私は母の期待を度々裏切ることはあったし、決して優等生と呼べる"家族"の一員ではなかった。けれど、劣等生とまではいかなかったはずなのに、どうしてこんなに課題が多いのだろう。仕打ちとまではいかないけれど、からだとこころにここまで傷がついていることを、誰かに証明したら私は課題と向き合う義務もなくなるのだろうか。ゆっくりと確実に、じわじわと気持ちを苦しめてきた課題は、たまっていくばかりで消化できない。これからもできない。向き合いたくもない。充分に向き合ってきたはずなのに、まだまだ苦しめるのなら、"家族"という学校から"除籍"されたほうがマシだ。

 

家族というものに対して理想が高かったのか。

私は私の手で私の首を絞めているのか。

どうしても加減の効かない精神的自傷行為だと思うし、もうどうしたらいいのかわからない。

自制の効かないものに対して、他のひとはどういう対処をしているんだろう。他の場面で自分を逃すことができない私は、不器用に生き続けるしかないのか。

 

たくさん泣いたけれど、私は私を守るために、私自身を俯瞰して眺めることが度々あった。

それが続くと何が起こる可能性が高いのかも知っている。私はそれが疾患であることも知っていて、その疾患が怖くて堪らない。大人になったはずの私に、発病する可能性は少し低くなったことも知っているけれど、その疾患がいつ私に手を伸ばしてくるのかと怯えている。

 

ふと、気づいたことがある。

私が母の話をしたときに、7割ほどの打率を誇ることば。

「反面教師にしていくしかないね」

いま辛いという症状に対する処方箋として、的確なものではない。

相談や悩み事を勇気をもって話したひとに対して、そのことばを投げるのは、ある意味逃げているとか誠意の感じられないひとだと思う。

このことばだけは、軽々しく私は使わない。

 

いやなことばは何にすり替えてもいやなものだ。

綺麗になんかならないんだ。

昨日は早起きをして、バスケットの全県大会の応援に行ってきた。

小学6年生のいとこはいつもいつも、声を出せ、やる気がないように見える、だらだら動くなと父母から言われていた。確かに、他のチームの応援の仕方やプレイをみていると、いらいらしてしまう気持ちもわからなくはなかった。

でも、私にはあの小さな小学生が、広い体育館の中を走り回って、必死にボールを追って、ゴールに向かう姿はだれよりも格好良くみえたよ。

帰ったらお疲れさまって言って、たくさんお話を聴こう。

これから新しい沢山のひとたちに出会っていく彼女を、私は私の中にある旗を大きく振って応援したい。

 

秋田は昨日から、降っては止んでの白い空模様。

昨日の夜はひとりでホテルに泊まって、久しぶりに駅前の小さなショッピング街でお買い物を楽しんだ。戦利品はヘアケアワックスとシュガースクラブ。このたったふたつを買うことに、私は以前の何倍の時間を費やしたことか。いくら迷ったことか。

別に欲しいわけでもなかったけれど、竹ぼうきのようにバサバサになった髪と、かさかさの体を労ってあげたい気持ちになった。

ふたつを買おうという考えに至るまでは、入浴剤やら手帳やら、新色のチークやら折り畳み傘を見てはこれでもない、それでもないと繰り返していた。

 

ホテルを出る前から綿雪がちらついていたけれど、お買い物を終えてホテルに向かう頃には、歩く私にも積もってしまうのではないのかというほど降っていた。

 

夜をだらだらと過ごし、短大時代からの友人と遅めの夕食。8日も会うけれど、やっぱり会いたくて声をかけた。

よかった。

会えるときには会うという選択肢を掴んだ私は、偉かった。

元気な時間は精一杯元気に過ごしたくなる癖はなかなか治らない。後々どろどろした沼に沈んでいくように気分が落ち込むけれど、楽しいことを楽しめる時間は、落ち込むときに落ち込める時間と同じくらい必要なんだ。今の私には。

 自分に対する言い訳なのかもしれない。

ただ、楽しいものにはきっと手を伸ばすことを、みんなやめられない。ひとの性だ。自分に言い聞かせて、今を楽しんでやる。

 

秋田の寒さは思わず「さむぅい!」とひとりで声を上げてしまうものだけれど、どこか優しい。

降る白い雪。

つめたい風は頬を包み込むよう。

歩道は雨雪が冬靴に踏み潰されてぐしゃぐしゃ。

挙げてみればいいところなんてないのだけれど、私はやっぱりこの寒さと冬がすきなんだ。

雪がまたずっしりと積もって、毎朝雪かきをするひとたちが言葉を交わす季節が過ぎたら、私は24になる。

目標もなにもない。ただ白いだけ。

今はそれでいいやと許せる気分。

私は私に優しくなれるとき、存分に優しくなれるようにと思う。こたつに脚をつっこんで抜け出したくないのなら、そのままでいる。それでいいよと、声をかけてあげる。

きっとそこが私にとってのスタート地点だ。

 

今日は1日の半分以上を寝て過ごした。

まだ防衛機能が働いているんだ。よかったな、と自分に感心した。

よく頑張ったね。

 

親戚のお友達の脅威が少しずつ弱まってはきたものの、私は"私"を取り戻せずにいた。

全部が怖いものに見えてしまう。

身内に話しかけられてビクビクすることは初めてのことではないけれど、今日はもう何かがだめだった。

具合が悪いの?とか聞かれるの、なんかもういやだなって思って泣いたのは、初めてだったかもしれない。寝てる時間以外は泣いていた。たぶん、寝ているうちも泣いていた。それくらいの脅威が、私のすぐ傍らにはあったんだ。

グラスを持って乾杯できるくらいに"私"を取り戻せたら、ノンアルコール梅酒ロックを片手に祝賀会をしよう。私のために。

 

"死の受容プロセス"というものを、ふと思い出した。エリザベス・キューブラー=ロスというひとが提唱した死の受容に関するモデル。

私はいまこれを自分に当てはめてみている。

私はこの病気で死ぬことはないけれど、私を殺すことはできる。(たぶんしないし、できないけれど。)

今はまだ、"否認・隔離"の状態にあって、自分は病気だということを根っこから信用できていないし、はたまた健康なのではとも思っている。

私は死生論という授業を受けてから、もうこのモデルを貪るように調べた。研究のテーマもこれに近しいものだった。

記憶の糸を辿って、ハッとした。私はきっとこの中にあって、まだ抗っているんじゃないかって。そう考えて少し安心した。まだその元気が残ってるんだって。

ゆっくりとひとつずつ踏みしめて、わたしは生きていこうと思う。

 

10日以上もおやつに会っていない。

私はきっとおやつに会うと、元気になれる気がしている。なぜだろう。

おやつに会いたいな。