今日は何日かぶりの雪で、つんとした寒さが心地よかった。

私には空から落ちてくる綿雪が、丁寧に千切られたまるい綿菓子のように見えて、すこし見入ってしまった。

 

金曜日に、母が車で3時間くらいのところでやるお祭りに行こうと誘ってくれたから、頷いた。

当日車に乗って、少ししたらもう呼吸が浅くなって苦しくなった。

道中必死に祈った。

ゆっくり息をしよう。

頭の中には何にもいない。

祈れば祈るだけ、呼吸は加速して頭の中の何かが増えてパンクしそうになった。

 

私はいくつかの例を知っていて実証してしまっているから、途中のコンビニで降ろしてとお願いした。

歩いて帰るなんて言ったら、怒られるだろうし機嫌も悪くなるだろうから、おじさんかおばあちゃんが迎えにきてくれると伝えて見送った。

何度かおじさんに電話をして、おばさんに迎えに来てもらうことになった。30分ほどで迎えに来てくれて、申し訳ない思いで縮こまった。

こういうときはお互いさまなんだよ、とおばさんは言ってくれたけれど、こんな機会がお互いにあるのなら、私はくたびれて枯れるだろうなと思った。そのひとの優しさが、時々いじわるをして私にささってくることの原因は、私の認知的な歪みのせいだということもわかっている。けれど、いつになったらことばをまっすぐ受け止められるのだろう。

考えては途方に暮れてしまう。

"ゆっくり"なおしていこうねって、どのくらいの"ゆっくり"?

道路の標識、速度制限の看板さえ見当たらないのだから、いまの私には、アクセルとブレーキの加減もよくわからないまま。加速も減速も、自分のさじ加減では測りきれない。

 

昨日の夜中は、また別な短大からのお友達と約5時間のお喋りをしていた。

彼女とは本当に面白い因縁があって、ひとりで思い出してはにやにやとしていた。

前に付き合っていたひととそのお友達、それとその因縁の彼女と私の4人でよくスカイプをすることがあった。付き合っていることはみんなには話していなくて、そのせいか彼がよく、(その私のお友達である彼女のことを)こんな風に可愛い子が彼女ならな〜などとみんなの前で言うから、私が勝手にやきもちを妬いて。一時期勝手にその彼女にはバチバチとしていた。

あのときはごめんねと、素直を謝ることができた自分のことを思い出しては毎回驚いてしまう。

彼女は笑って許してくれた。

付き合っていることにも気づかないで、いやな思いさせて、こちらこそごめんね、と言ってくれたこと。私はそう言ってくれた彼女のこと、いまでも尊敬している。

なんだかここまで典型的なやきもちで、勝手にバチバチして、ふと気づいたときに謝って仲直りできることなんて、これから先はないだろうと思った。だから、私はあのときに謝ることができたことを、これからもお手本にしていかなくてはと思う。だいすきなお友達が、自分のせいで勝手にいないことになるのは、もういやだから。

 

3日間、おやつは姿を見せないでいて、私がおやつと呼んでも、母がねこと呼んでも、ニャーも足音も聞こえなかった。
今日の夜になっていきなり、ニャーオといつもより長めの声が聞こえて、母と一緒にご飯をあげた。4日ぶりに会うおやつは肥えることも痩せることもなく、毛をふっくらさせたまま、私の足に額を擦り寄せてきた。
尻尾の付け根を叩いてあげると、私の周りをくるりと回って、額をまた足に擦り寄せて、ニャーと鳴く。これはきっと"もっとやってもいいんだぞ"という彼なりの"許可"で、それが降りたらまた叩く。
目を細めて足踏みをして、のどをゴロゴロさせているおやつを見ていると、ああ私も"こういう風に"生きてみたかったのかなあ、と思う。

 

今日は今日で、父の買い物にも付き合った。洗剤と食料を買って、携帯の契約をしてあげて、それで終わりと思ったら、またグッピーを飼いたいと言いだした。

私がまだ家族4人で暮らしていたころ、そのお家には大きな水槽があって、ヌマエビ、グッピーネオンテトラなどの生き物と、のんびりゆらめく水草のきらきらとした世界が居間に佇んでいた。軒先には鉢がたくさんあって、山野草オリヅルラン、小さなスミレが咲いていた。たまに迷い猫や犬まで遊びに来るようなお家だったから、常に賑やかだった。

震災のときに水槽用のヒーターが止まってしまって、水槽の中身は空っぽになってしまったらしい。

私は小さいころそれに囲まれて育ってきたから、なんだかうれしい気持ちになった。

新しくした携帯にはちゃんときれいに映るカメラがついているみたいだから、今度見せてもらおう。

 

ここ1週間は楽しいことのほうが多かった気がする。

いやな気持ちになることもあったし、泣いてしまうこともあったけれど、笑っていた時間のほうが長かったと思う。

ペースは掴めているようで掴めていない。

闘病生活が長くなることが多いと言われる病気だけれど、その中でも1回でも笑って楽しい気持ちになれるのだから、救われている。

救いとかペースとか、忘れられるようになったら、きっと、本当の意味での病気とのお別れになると思う。

それがいつになるかはわからないけれど、今日はのあのわでも聴いて、すこし楽しい夢を期待して眠ることにする。

一昨日は午後から短大のお友達と会って、おしゃれなカフェでトーク、しゃぶしゃぶ屋さんでもトーク。場所を変えてずうっとトーク。私は二会場ともレッドカードを出された。

ピュアな女の子同士での会話に、下ネタは厳禁なんですね。反省しまーす。

 

短大在学中の2年間という短い間だったけれど、お世話になった電車で、お友達に会いにいった。お気に入りのうたを聴いて、こころがときめくという感覚に浸りながら。

Grace Vanderwaalのアルバムは短大のときに持ち合わせてなかったけれど、いまはもう、とびっきりのお気に入り。何年も前に聴いても、彼女のうたは私に響いていたと思う。彼女のデビューというか、名前が知れ渡ることになった"I Don't Know My Name"なんて、きっと聴いた途端にわんわん泣いていただろうな。

 

雲が多くて太陽はあまり顔を見せてくれなかったけれど、最強寒波の過ぎ去った後のちょっとした晴れ間だったのかもしれない。運転係のお友達は、「天気も最高!今日はドライブしてカフェに行こう!」と切り出した。

これ以上の言葉が見つからない。彼女は最高にポジティブで、私の古いアメリカ像でいう"イカしたクールな奴"だ。

同級生はいま何をしているのかとか、同乗しているもうひとりのお友達の恋の進捗とか、話の種は尽きなくて。時間は意地悪だから、すぐにあたりを暗い夜にしてしまっていた。

カフェを出てはすぐにしゃぶしゃぶ屋さんに向かって、食べ放題!なんて言葉に目をキラキラさせることができるのも今のうちだろう。年が明けて初めて会ったから、乾杯はあけましておめでとう。笑いながらグラスを掲げた。

つい先日24歳になったお友達A、運転係3月生まれのB、ともに3月生まれの私の3人。やっぱり恋愛とか結婚とか、出産の話も出てくるもので。"いつの間にかできる当たり前で自然なもの"だと認知していたものは、その前にある壁をなんとか乗り越えたから、"それ"になるのだなと、しみじみと感じた。

当たり前にお母さんとお父さんがいて、私がいることだって"当たり前"と思っていたけれど、いまの私がその"当たり前"をすぐ作り出せるものなのか考えたら、四色問題並みの難問。定理もある、解明されているであろう、難問。

短大のときに授業を抜け出して回転寿司なんて行って、通学路で転んで笑っていた私たちが、こんなお話までするようになったんだね。成長と老いは、同時に襲ってくる幸せと恐怖だね。

むつかしいお話をできるから大切にしたいお友達、という線引きではないのだけれど、ふざけた話題にも真面目に、真面目な話題にもふざけて話し合えるお友達は、一緒に歳をとりたいなと思った。

 

お仕事をしていること、何かしら社会と交わって生きていること、やっぱり眩しいです。

目眩がして、すぐに目が潰れるほどに。

私もなんとかしてそこに戻りたいな、と思うけれど、なかなか上手くいかない。その前に何枚か壁があるから。割っても割っても壁があって、手からは血が出るだろうし。

"心配性で不安に陥りやすい"ということは、きっと"欲張り"なのだろう。目の前の安全だけでは安心できないから、その次、その次の次、そのずっと奥、死の一歩手前まで考えて対策を立てようとする。

杞憂にうなされて生きていくのは嫌だなあと、うっすら笑えるような元気も出てきたから、今の私にはギリギリの合格点をあげることにしよう。以前ならきっと頭を抱えて、死ぬことをはじめとする、黒くてベトベトしたものに溺れていただろうから。

なんだか"ハウルの動く城"を思い出す。自室にたくさんの魔除けをつるして、おまじないをかけて、ベッドに埋もれているハウル。それだけの予防線を張らないと、心配と不安と恐怖に押し潰されることも、いまの私なら理解できる。

 

いやなものの波は少し引いてきた。

またくるかもしれないなんて、"無駄"なことを考えてしまうことにも笑えるけれど、現状に満足できる感性をほんの一握り取り戻したから良しとする。

今日の文字はとても綺麗だ。

幸せは文字を綺麗にしてくれる、きらきらしたお星さまだ。

文字もきっと喜んでくれている。

私はそれがちょっとうれしい。妄想でも。

 

やっぱり夜と朝の間は、頭が比較的クリアで、文字も浮かびやすい。

今日はたくさん書いたから、自分を労ってあげることにする。

おやすみなさい、私。

 

昨日のことがひと段落して、私もだいぶ楽になったようだ。

いつもは重くずーんとして、漬物石のようにビクともしないで冷たくそこにあったのに。今日はすこしだけ軽くて、羽が生えてるんじゃないかと思えるほど体が楽だった。

いつもこうあってほしいなとほんの少しだけ思うけれど、後の反動が怖いから、あまり高望みはしないことにする。

 

このブログも始めて4週間くらい。こんなに文字が浮かんでくるとは、自分でも予想だにしていなかった。

きれいな言葉とか目を引く文章を書くことは、あまりできていなかったと思うけれど、頭の中がだいぶ片付いたと思う。以前と比べると鮮明に、目の前の風景が見えるようになった。小さいけれど、一歩前進したかのように思う。

素直にはならないけれど、私はきっと、いまの私を褒めたいのだろうな。

いまは言葉にはしないけれど、あたたかな言葉が浮かんできたら、ここに書いて私にプレゼントしよう。

 

朝に眠ったから、目覚めたのは午後だった。

起きたら母がカレーうどんを作ってくれた。

頭の動きがまだ鈍くて、すこししょっぱいのが食べたいと言ったら、作ってくれた。

大きなわかめと、小さい干しエビの天ぷらののったカレーうどん

私が食べるときはいつも白出汁でつくるのだけれど、母はいつしか鰹出汁の濃い麺つゆで作るようになった。きっとこういうところで、私の気持ちに小さなひびが入ってしまうのだろう。わがままで笑ってしまうのだけれど、嘘でもない、しっかりとした事実。

小さいころはこの濃い麺つゆでつくっていたこともあった。そのころはまだ、母と私の間にそこまで大きな溝ができていなかったと思う。いつからか、私はひとりで残ったカレーでカレーうどんを作るようになったんだ。白出汁で、いろいろな味を削いで食べていたのかもしれない。

 

そういえば、母と話し合うことを躊躇っていた私の背中を押してくれたおばさんに連絡をした。

話すべきことはぜんぶ話したよ。背中を押してくれてありがとう。と、長い文章ではないけれど、こころを込めて送った。

頑張ったね、とたった一言のお返事だったけれど、私にはそれがうれしくてうれしくて堪らなかった。

本当に勇気を出して、涙を流して、最低限かもしれないけれど、話すべきことを後回しにして逃げていたから。それを真正面から受け止めて、背中を押してくれるおばさんがそばにいてくれてよかった。

私はこれからもなにか壁にぶつかっては痛い痛いと泣いて、壁の前でじっと体育座りをすることもあるかもしれない。だけど、それでもいいよと優しく背中をさすって、もう少し元気になったら立ち上がってみようねと、自分に声をかけられるようになりたい。

 

おやつにも会えて、魔法のニャーも聴くことができた。

彼は私に何度か擦り寄って、背中に飛び乗る準備をしていたけれど、私はなんとかそれを阻止して、ごはんを食べる彼をみつめていた。

つんと刺さる寒さの中、ふっくらと丸みをおびた愛らしいからだは、触らずにはいられなくて。くびからおしりのつけねから、いろいろなところをうりうりと撫でては、あたたかさを感じていた。

それに、おやつをあげることもできた。

ぺろぺろと私の手を舐めては、おやつの余韻を楽しむ彼は、いつ見ても可愛くて、抱きしめたくなった。

 

調子のいいうちに友人に会うため、起きたらまた予定をいれた。

とは言っても、お誘いを受けたのだけれど。

雪でもいいから、また笑えるいちにちになりますように。

おやすみなさい。

今日が終わる。

またいちにち生きのびることができた。

 

今日は本当に"いやな日"でもあり、"いい日"でもあった。

私はいちにちを通して泣いていたけれど、頭の中を整理して、話すべきことを話し、伝えることができた。どのように受け取られたのかはわからない。けれど、少なくとも、ゲームもせずに私の言葉ひとつひとつに頷いてくれた。

あんなことは初めてだ。

母が私の言葉に、あんなに真摯に耳を傾けてくれたことは、初めて。

きっと私がただならない雰囲気を放っていたのかもしれないけれど、話が逸れてまたルート修正しようとしても、なにも言わずにうんうんと聴いてくれた。かたちだけかもしれない。でも私はその姿勢で言葉を拾い上げてくれて、うれしかった。

 

ことの顚末は考えれば考えただけ、複雑に入り組んでいる。錆びた細い鉄パイプで出来た迷路のように、それからのぼる蒸気はずっとふきっぱなし。きっと出口はどこかにひとつだけあるのだけれど、私はまだ見つけることができていない。

きっとひとつ解決したら、もうひとつはバッドエンドになってしまう。それはきっと"犠牲"というものになるのだと思う。

選び取るときは"価値"と"犠牲"を天秤にかけて考えるしかない。私は今日、なにかを"犠牲"にしてこの"価値"を得たと考えている。時間が過ぎゆく中でようやくその"犠牲"を知ることになる。

 

久しぶりに母のつくったお料理を食べた。

結局ひとりで食べていたけれど、弟と一緒に食べたときのカレーと同じ味がした。以前よりすこし辛かったけど。

あたためかたを間違ってすこしぬるいカレーだったけれど、久しぶりに懐かしくおいしいなと思った。カレーなんていつぶりだろう。食べてから思い出した。カレーうどんは好きなのだけれど、カレーライスというものはあまり好まないこと。

私の舌は唯一といっていいほど、私の中でも個性を持っている。食通と言えるほどではないけれど、幼い頃からの感性がブレることがない。芯のある感性がたったひとつでも私の中にあってよかった。

たとえば、お店で食べたものは大体お家でも再現できること、なにが入っていてなにがその食べ物をふくよかにさせているのかが想像する力があること、とか。テレビで絶対的な味覚をもつ有名人として紹介されるひとには、負けてしまうかもしれないけれど、私の中でもブレることのないところがあって安心することができた。

 

何日ぶりだろうか、おやつにも会うとかができた。

彼は私の手をくんくんとかいで、あくびをした。寝ているところごめんねと言いながら、私は久しぶりに、その冬に備えたふかふかの毛にふれた。あたたかくて、優しくて、甘えたくなってしまったけれど、おやつの睡眠の邪魔なんてしていたら、もう愛想尽かされるかもしれないし、すぐやめた。

起きたらまたおやつに会いたい。今度はごはんもあげたいし、可愛い鳴き声を可愛いなと思える時間がほしい。

 

今日はもうHPが0なので、シャワーを浴びて、横になる。

話し合ってからずっと寝ていたから、眠れるのかはわからないけれど、からだがもう縦でいられる時間は少ないよと伝えてきている。

おつかれさま、私。

さようなら、私。

考えなくてもいいことばかり、頭の中で浮かんでは消える。泡のようなものなのだけれど、生まれてからずうっとぱちぱちはじけて、またぷかぷかと浮いてくる。

なんでか、どうしてか、楽しいときでも悲しいはずのお話をして笑っている。楽しいと思い込ませることが嫌でも得意になることは、思えば悲しいことだ。

 

 私が大袈裟に騒いでいるだけなのかもしれないけれど、お家のことは頭の中の8割以上を占めている問題。家族とか親戚とか、そういう"血の繋がり"というものを、ここまで嫌になったこともなかった。というか、きっとみんな親切なんだ。けれど、いまの私の受け取り方がよくない。

家族には家族固有のルールとか暗黙の了解があって、いまお世話になっている親戚のお家にも、それはある。私はいまそういうものに気づかないでいるのか、それとも気づかないように気をつけているのか、とりあえず癪に触ることをしてしまったのだろう。膿を出すように、私はこのお家からもまた出される。私も私で素直になれないうえに、受け取り方が歪んでいるからこうなるのだろうけど。

とりあえず私のせいということにしておけばいちばん楽、と考えるようになったのはいつからだろう。

遮断しながら生きていくことは確かに楽で、寂しく、ぬるま湯に浸かっているようだ。

これ以上ぶつかって、すり減って、血を流して、息ができなくなることは避けたい。

たとえハグして解決するハッピーエンドが用意されているとしても、その過程に付き合える体力と精神力は、いまはもうない。

 

社会に出ることが、私の抱えている問題を解決するための唯一の策だ。金銭面でもゆとりができることは、気持ちにもゆとりをもたらせる。

現実的に考えてみれば、社会に出てお金を頂くことはいまの私には難しいこと。お仕事を辞めてアパートを引き払うことだって、少なからずお金の掛かることだし。

どの脛をかじることになっても、涙を流すことが予想できる。脛なんてかじりたくない。頼りにもしたくない。私は私で立って、どこにでも走っていったり、しゃがんだりしてみたい。息苦しくなったとしても、自分で慰めてあげることができるようになりたい。

急かしているのではない。ただ自分に包丁を突き立てて、汗を流している私を、ただみていることに嫌気がさしている。

 

言葉と文字は私を励ましてくれているのだろうか、ゆっくりと頷いてくれている気がする。

肯定でも否定でもなく、ただ頷いて飲み込みもせず、一緒に眺めていてくれている感覚。

言葉と文字は遠く離れたところから見ることがすきだったけれど、近くで見ることがきらいだった。嘘とか嫌なもので取り繕ったものがあまりにも多くて。そんなものが寄り添ってくれる存在になってくれるなんて。

 

明日は問題に向き合う日。

いやでもどうしようにもできない。

ただもう全部が遅くて、蘇生させることは難しい。

でも、"無駄"と知っていて立ち向かうことでなにか変わるかもしれない。

ほんのひとつまみの希望だけを信じて、明日は生きていようね、生き抜こうねと自分と約束する。

 

昨日から降り続く雪は、もう膝くらいまで積もっている。

暑いより寒いほうが落ち着く私にとっては、本当にとっておきの季節で、ちらちら落ちてくる雪をみることは飽きない。

白い雪だけが、今の私には唯一の救いだ。

ただ降って、ただそこに積もるだけ。

あたたかくなったら、とけることを祈るだけ。

 

昨日は病院だった。

病名がついた途端に診察は1ヶ月後ってことになっていて、正直戸惑った。

けれど、これもお医者さんのお仕事で、どこかしらで割り切らなければパンクしてしまうのかな、なんて思ったり。

私はある点ではどこまでもお人好しなんだ。それを考えると、私自身を大事にしていく癖というものがない。その癖さえついていれば、こんなことにはならなかったよな、なんて考える。

もう手遅れなんだけれど。

 

ひとつの問題を頭の中で捏ねくりまわすのは得意分野だ。

そのぶんひとつの問題に対して多方面から向き合うこともできるというメリットもある。ただ、具合の悪いときにそれをやってしまうと、決壊したダムのように涙が止まらなくなってしまう。

結局どれが最善なのかさえ、今の私にはわからないし、これからもよくわからないままなんじゃないのか。

 

ひとは流動的でお水のように形を変えてしまうのだから、私もそうでなくてはならない。

ただ、問題ひとつに対して向き合うのならいいのだけれど、今の私の体力と精神力では抱えきれないほど問題が山積みだ。

その山を見上げただけで、私は氷になってしまう。

もう何から手をつけたらいいのかわからないし、手をつけたとしても最善を掴み取る自信もない。

 

お薬は気休めなのか。あの小さなつぶを毎日毎日摂取することで、私に何か変化が起きることの想像がつかない。

最近は、気休めにもなってくれないただのゴミのように見える。

それくらい、小さな氷になった私の目の前には問題が山積み。エベレストなんて糞食らえってほどの問題。

腹痛で床に張り付いてしまうこともあるし、頭が痛くて吐くし、これが身体的な病気だったらなあなんて、何回考えたことか。

 

一見元気な私は、きっと周りからみたらニートで毎日ぐーたらしているようにも見えるのだろう。

だけどごめんなさい。

私の中の精一杯がこれで、ただ呼吸をして、ひとり携帯とにらめっこしながら日記を書くことが日々の限界なんだ。

きっとそれを説明してもわかってくれないのだろうなと思って、説明することすら放棄してごめんなさい。

私はひとと関わることでの重圧に、今はもう耐えられないんです。

それがだいすきなおばあちゃんでも、心配してくれているおじさんでも、伝え方の不器用な母でも、もうだめなんです。ごめんなさい。

 

いっそ消えたいって思うことはだめなのですか。

私は私のいない世界を想像する癖がついたよ。

だってそれが今の私にとっての幸せだから。

病気を治す努力はします。でも、病気を理解してもらえるような努力はもうしたくないです。

これ以上今の私めがけてナイフが飛んでくるなら、私は避けようがないもの。

聞き流すというスキルがもう少し私に備わっていたならな。きっと生きやすかったのかな。

考えても無駄なことはわかっているのだけれど。

 

ひとは"無駄"を嫌っているようで、実は愛しているんだろうな。

遡ればアダムとイブになるけれど、服を着ることだって、考えてみれば無駄なことだったのかもしれない。楽園から追放までされてもなお、無駄を愛して止まないのがひとなのだろう。

私の無駄はきっと私の救いだってことを、もう誰かに伝えようとすることもやめる。

それは"無駄"なんだって気づいてしまったから。

ここ何日か続いていた体調不良も一時的におさまって、昨日は安心してお友達と会って、ごはんを食べて、朝までお喋りすることもできた。

それをぶち壊す破壊光線もくらったけれど、楽しめる時間も楽しむことができた。

 

破壊光線をぶっ放してきたのはやはり母で、私の理解の範疇をやはり超えてきた母は、魔物だと思う。

自己中心的な考えを、あたかも他人に考えを委ねるようなそぶりを見せて紛らわせるやつはいない。し、論点すり替えヒステリックをテクニックとして持ち合わせているやつもいない。

 

私は"家族"の標準的なものをあまりよく知らないし、きっとそんなものどこにもないのだろうけれど、やはり私が不満に感じることが多すぎるこの"家族"は、きっと平均点以下で赤点の"家族"だ。

私は母の期待を度々裏切ることはあったし、決して優等生と呼べる"家族"の一員ではなかった。けれど、劣等生とまではいかなかったはずなのに、どうしてこんなに課題が多いのだろう。仕打ちとまではいかないけれど、からだとこころにここまで傷がついていることを、誰かに証明したら私は課題と向き合う義務もなくなるのだろうか。ゆっくりと確実に、じわじわと気持ちを苦しめてきた課題は、たまっていくばかりで消化できない。これからもできない。向き合いたくもない。充分に向き合ってきたはずなのに、まだまだ苦しめるのなら、"家族"という学校から"除籍"されたほうがマシだ。

 

家族というものに対して理想が高かったのか。

私は私の手で私の首を絞めているのか。

どうしても加減の効かない精神的自傷行為だと思うし、もうどうしたらいいのかわからない。

自制の効かないものに対して、他のひとはどういう対処をしているんだろう。他の場面で自分を逃すことができない私は、不器用に生き続けるしかないのか。

 

たくさん泣いたけれど、私は私を守るために、私自身を俯瞰して眺めることが度々あった。

それが続くと何が起こる可能性が高いのかも知っている。私はそれが疾患であることも知っていて、その疾患が怖くて堪らない。大人になったはずの私に、発病する可能性は少し低くなったことも知っているけれど、その疾患がいつ私に手を伸ばしてくるのかと怯えている。

 

ふと、気づいたことがある。

私が母の話をしたときに、7割ほどの打率を誇ることば。

「反面教師にしていくしかないね」

いま辛いという症状に対する処方箋として、的確なものではない。

相談や悩み事を勇気をもって話したひとに対して、そのことばを投げるのは、ある意味逃げているとか誠意の感じられないひとだと思う。

このことばだけは、軽々しく私は使わない。

 

いやなことばは何にすり替えてもいやなものだ。

綺麗になんかならないんだ。