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干支がふた回りめに入りました。
メッセージ、お電話くれた方々、ありがとうございます。おめでとうの催促じゃないです。
コインランドリーとコンビニに行ったくらいで、特別なことなんて何もなかった。そりゃあそうですよね。何億人も地球にはひとがいて、その中のひとりが24歳ぽっちになったからといって、何かが変わったら怖いですよね。
人相の悪い65も過ぎた父が、毎年0時ちょうどにメールをくれる。ホールのケーキの絵文字つき。それからお昼前頃に電話をくれる。夜型の生活を送っているくせに、ただおめでとうの一言のために、電話をくれる。かわいいひとだ。
歳を重ねることに何も感じないというわけではないけれど、はっきりと何かを感じました、という感覚がない。実感のようなものがないまま、歳を重ねることはきっと勿体無いことなのかなと思う。その瞬間はそのときにしかないものなのだから、もう少し何かを感じることができたらよかったな、と思った。
私は何をすれば満足で、安心できて、はなまるをつけてあげられるのだろう。こう考えているうちに、私は私に寛容ではないことがわかった。
私は私が求めていた時期に、求めていた愛情を、きっと与えてもらうことができなかった。それを補填するために、いろいろなひとと付き合ってにこにこ笑って、与えてほしいものをばら撒いてもらえるように努力をしてきたのだと思う。好きとか愛してるとか、そういう感情も絶対そこには存在した。これは嘘じゃない。
もう不可能なのに、別なひとからの愛情や、からだの交わりで、自分を誤魔化そうとしている。そのたまっていたツケが回ってきて、私はとんでもなく深い谷に落とされた。自分で突き落とした、というのが正解かもしれない。
私が男のひとに乱暴をされたとき、母はいなかった。泣いて泣いて泣いて、ずっと探した。でも、いなかった。朝になったら戻ってきていたけれど、もう遅かった。もう、だめだった。話すことができなかった。
何年か経った今でも話さないでいる。たぶん、これからも話すことはない。
ここに書いてどうなるのって話にもなるのだけれど、書いたらきっと私は泣いて、疲れて眠れる。私のための日記なのだから、私は私のためにここに残す。
たまに、思い出す。
泣きながら母を探して、電話して、メールして、母のベッドで泣いた日のこと。
ひとりで婦人科に行ったこと。
コンビニで売っている避妊具を見ただけで吐いたこと。
今はもうなにも怖くなんかないけれど、3,4年前は度々フラッシュバックしてお手洗いに駆け込んだ。
よく生きていられるな、私。
しぶとく生きていれば、いいこともあるよって、自分に言い聞かせられる力はどこから湧いてくるのだろう。
今はなにも怖くない。
きれいな記憶で上書きできたらいいのにな、とは思うけれど。
きっとできないから、きれいな記憶のプールでぷかぷかと浮かんでいたい。それだけでいい。
プールからあがったら、そこが嫌な過去で出来た泥んこの水たまりでもいい。
私にはきれいな記憶もあるのだから。
お前とカラオケいきてーなって言われて嬉しかったのが、3月2日になってからのハイライト。
私も久しぶりに会いたいな。もうお友達だから、彼にはなにも求めない。愛情も交わりも。ただ、笑って過ごしたい。
ゆっくり眠れますように。
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木曜日、福島に戻ってきた。
ひとりで生活する、ということには向いているのか向いていないのかわからない。
今の状況で、ひとりでいることが危険だと感じることはあるけれど、ひとりでいることが大事だと感じることも多い。わがままな体と頭を持ち合わせている。
なぜだか、ひとりでいたくなくて、木曜日は友人に来てもらった。
アパートではなくて、ホテルで過ごした。
私のアパートはもう誰にも入って来てほしくないほど汚いし、私だけの空間にしておきたい。不可侵領域になってしまった。ここだけは、ひとりでいることを許せる場所だ。もうすこしで、お別れしなくてはならないのだけれど。
誰かと一緒に眠るのは心地いいものなのだとまた思い出してしまって、アパートでひとりベッドにもぐるときは、決まってさみしい。彼と別れたことを恨んでいるとかではなくて、眠りにつくときに"ひと"を感じることがしあわせなのだと思う。
だから、ホテルで友人と一緒に眠れたときは安心しきって眠った。お薬の効果もあるのだろうけれど、カチンとオルゴールが鳴り止むように眠った。友人によると、何度か目を覚ましては友人の服を掴んで、わざわざ体もぴったりとくっつけて寝ていたらしい。それを聞いたときは思わず笑ってしまった。ひとりで眠ることすら、私は苦手になってしまったのだろうか。
私はゆっくりと着実に、似なくてもいいところが母親に似てきている。
母親ということばを出すことは、きっとこの場において卑怯な手段だということもわかっている。
だれかと寄り添わなくては死んでしまうと、思い込んでいる。自分の知らない、どこかで。きっと知っているけれど、自分に隠している。甘えや惰性が、私自ら暗いところに突き落としていることもわかっている。
でも、掴んでしまう。相手の気持ちなんて、きっと、これっぽっちも考えていない嫌なやつだな、と思う。
相手も相手でそれさえもわかっているような素振りをする。その上私は、優しくしてもらえるように、悪い魔法をかけて優しくしてもらう。やっていることが下衆すぎる。相手もそれでいいなんて言うように、今の私が仕向けている気がしてならない。きっと読んでいるひとは、???となると思う。私も少しなっている。
ただ、今の私は悪いことをしているよと、残したかった。あとで振り返って、相手が傷ついていたりしたら、しっかりと謝れるように。ここに残しておく。傷をつけたのは私だよって。
ベッドには私と、小学生の頃、おじいちゃんが買ってくれたぬいぐるみ(名前は分身)が、くたくたになって横にいるだけ。
分身がたまに私の体温であたたかくなって、まるでだれかと寄り添っている気になっている私が怖い。でも、それで安心して眠れるのなら、それでもいいや。
分身が生きていたら可哀想だと思う。私は毎晩きつくきつく抱きしめて、ようやく眠りにつく。そのようなこと、誰にもしたことない。ぴったりとくっついているだけ。だから、分身はぬいぐるみであってくれて、本当に良かった。
気持ち悪いことばを並べてしまった。
昨日か今日のねーさんのブログは綺麗だったから、思い切って書いたはずなのにな。
ねーさんの病気がよくなったら、私がお祝いするね。ねーさんの好きなお酒を買って、ねーさんの食べたいものを私が頑張ってつくったりしたい。それで、病気のことを笑い飛ばして、もう一生近寄ってくるなと追い出してやりたい。
あたたかいお日さまと、いい匂いのする風がふくだけ、それだけでしあわせと感じられるようになったら、私も私だけのお祝いをする。
私は3月1日生まれ。まだ雪深い秋田の、寒さの抜けきらない春に生まれた。ふと、風が花の匂いを運んできたそうだ。春の匂い。だから、春香。いま思えば素敵な名前だ。苗字も合わせると漢字の中に"日"がみっつも入っているぽかぽかネーム。
私は私をあたためることで今は精一杯だけれど、だれかをあたためられるようになりたいな。
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おやつが3日ぶりに顔を見せたらしい。私がお布団を被って朝というものから避難しているときに、にゃーにゃーと呼びにきたそうだ。夜にも来たようなのだけれど、足跡が私の車の下までついていて、またお散歩に出て行ったようだった。お魚を焼いて大きな骨をよけておいたのだけれど、にゃーの合図がなくて、私と母は気づかなかった。
何度か自分で書いたブログを読み直したりすると、"〜けれど"ということばがとてつもない頻度で出現している気がする。これは性格上の問題なのか。
読み返す度に、なんて卑屈でつまらない奴なのだろうと思う。書いたあとは、ふう、と、一息ついて瞼をとじることができるのにな。
推敲とか、もしかしたら私には向いていないのかもしれない。自分の書いた文章なんて、間違いしかない気もするし、それをいちいち直していたら自分のものじゃない気がする。
このような言い訳じゃあ、実力テストにノー勉で挑む中学生と一緒かもしれない。
私はそのようなところまでずっと変わらずに、こどもでいるのか。
昨日はお料理をすこししたことを書いた。
私は小さい頃から食べることがすきだ。おかげさまで、お腹は昔からぱんぱんだ。
父が母と一緒にお蕎麦屋さんをやっていたときは、私も小さいながらに、長芋をすりおろしたり、海老の背ワタをとったりしていた。
海老自体は好まないけれど、天ぷらを揚げるときのぱちぱちと弾ける音や、ふわっと花が咲くように衣がひろがるのを見ていることが大好きだった。今となっては揚げ物のにおいにやられるときもあるけれど、あのときはずうっとかいでいられるくらい、幸せなにおいだった。
母と父が離婚してからは週に2回、父に会いに行った。日曜日は近くの野原へピクニックに行ったり、平日の夜は父のお蕎麦屋さんにごはんを食べに行ったり。山菜や根菜のかき揚げ、歯触りのいいわかめが、小さいときからだいすきだった。私が中学生になったくらいのときに、父はお店を畳んでしまったけれど、たまにつくってくれるお蕎麦やうどんが、今でもだいすきだ。
母と弟と私の3人で暮らすようになってからは、母ひとりで私たちふたりの面倒を見なくてはならなくなった。きっと何かしたかったであろう私は、台所に行っては"手伝う!"と母に言っていた。だけれども、お仕事から帰って来て疲れている母は、私には手伝わせてくれなかった。思えばそれから何年間かは、お料理というものに触れることがなかった気がする。
高校生くらいになってから、母は夜にいなくなることが多くなって、自分でたまにお料理をするようになった。お料理の初級編はきっとスパゲッティだ。私はいつもアラビアータをつくったり、牛乳を使わないでつくるカルボナーラをつくったりしていた。
宮城の大学へ通うようになってからは、あまりお料理の得意ではない親戚の代わりに私がつくることも多くなった。
ひとり暮らしを始めた社会人になってからは、余裕のあるときはずっとコンロに向かっていた。揚げ物をつくったり、蒸してみたり、はたまた出汁からつくってうどんを煮たり。それがもしかしたら、逃げ場になっていたのかもしれない。ゆっくりと、その逃げ場にさえも逃げられなくなったときには、でんわにも出られず、会社と自宅を往復する生活を送っていた。もうコンロなんて触ることすらなかったと思う。彼がたまに来るときに、元気があればなにかつくっていたくらい。"私のためだけになにかをしてあげられなくなった私"は、もうだめになっていた。
昨日書いたお料理は、久しぶりにしっかりと自分が自分へつくることのできた、満足いくお料理だった。簡単なものだったけれど、満足したからそれでいい。
今はまだひとつの作業にしか目を向ける余裕がないけれど、そのうちふたつみっつ、同時に進められるようになるのかな。不器用なりにできたらいいな、と思う。
長くだらだらお料理について書いていたら、20分も経っていた。時間というものは怖い。
ゆっくりと眠って、起きたらおいしいものが食べられますように。
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2,3日、続いて雨。当たり前に降っていた雪は、いつの間にか、しとしとと音を立てるものになってしまった。
雨は嫌いじゃないけれど、そろそろ春がくるよ、また新しい1年が始まるよ、と、声をかけてきている気がして鬱陶しい。
寒いことには寒いのだけれど、ゆっくりと確実に時間は流れて、植物の芽もほころびはじめる。私も春になったら、なにか新しい芽が出て、ほころぶのだろうか。
今週は体調と気持ちの変化が、私のボロ屋めがけてハリケーンのように襲ってきた。藁葺きの屋根は風で飛ばされて、継ぎ接ぎの床は豪雨で浸水した。それなのに、私は生きながらえている。
お仕事を辞めるという決断は、どうにかこうにか"Yes"というベクトルに向いて、進路を進めている。退職願という用紙にも、ペンを走らせた。走るというほどの速度ではなくて、とぼとぼとため息をつきながら歩いているくらいだったけれど。
私は字がそんなに上手ではないけれど、書くことは好きなほうだから、すこしどきどきしながら書いた。一文字一文字慎重に、きれいなちょうちょを捕まえるくらい、そうっと書いた。最後の最後で、印鑑がズレてしまったから書き直しかもしれないけれど、それでもとびきりきれいなちょうちょを捕まえられた気がした。
退居の手続きもすこし進めた。こちらはもう目がチカチカしてきて、もうしたくない。
ごはんも食べられるようになった。調子にのって、餃子とタンメンの定食なんてつくったりしてみたりもした。食べても食べても出てきてしまうからだは、すこし身を隠しているみたいだ。その調子で寝静まっていてほしい。
らーめんがすきな私は、食べても食べても出てくるときでさえ、これなら無理してでも食べてやると、何回かトライした。結局出てしまったり、ムカムカしてつらかったのだけれど。今は出てこないしムカムカしないし、最高のコンディションでらーめんを食べることができる。ハッピーだ。
辛いものもすきなのだけれど、お腹がいたくなるからと控えていた何日間。その何日間かを埋めるように辛いものを貪っている。舌がぴりぴりするけれど、心地いい。美味しいものが美味しいと感じられることは、とてもハッピーだ。
ただ音にはまだ敏感で、毎日苛々してしまう。咀嚼する音とか、指先が落ち着かないでカップをカンカンとつつく音とか。
嫌いなひとがたてる音だから余計なのだけれど、とことん品のない奴だなと思う。げっぷやくちゃくちゃと噛む音、聞き返すときの声。何を取っても苛立ってしまう。
私にはもう耳がいたいくらいの音でテレビを観たりするひとだし、距離をとることがいちばんなのだけれど。それはそれで角が立って、母がいちいち声をかけてくることを考えても対処方法が見つからない。
あと2週間もしないうちにひとつ歳をとる。
干支が2週目にはいる。
私は小さい頃からずっと、誰かに見てほしくて、頷いてほしくて、褒められたくて、いろいろなことをしてきた。何か進歩はあったのかな。
私が振り返ると、進歩どころか穴だらけで、褒めるところなんて何も見つからない。
いっそやり直したいなと思うけれど、まあ無理な話なのだから、自分を自分で肯定できるようになることが、いちばん楽なのかなと思う。きっとそれがいちばんの難題で、私の内側をボロ屋にした原因なのだと思うのだけれど。
"自己肯定感"なるものが極端に低くて、"承認欲求"が極端に高いのだろうなあ、と自分を観察している。自分の自信のなさを、他人から褒められたり認められたりすることで、漸くほっとすることができるなんて、不便だよな。ほんと。
そこに病気を当てがいたくもないのだから、私は本当にわがままの出来損ないのボロ屋だ。
歌詞も音も微妙だけれど、知人が褒めてくれた"Fly me to the moon"を聴いて、今日は大人しく眠る。
私は自分の声があまり好きじゃないのだけれど、褒められて、ああこれでもいいんだ、と思えた。
情けないな。
おやすみなさい。
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最近、食事らしい食事を摂ると上から下から出てしまう。今も昨日の夜に食べたものが、のどの奥で待機している。こんなからだ捨ててしまいたいなと感じているのは、何回目のことなのだろう。
ここのところは雨や雪がずうっと降っていて、私のお部屋の中も、ひんやりと冷たい。あたたかいのは、電源を入れっぱなしにしている電気毛布を敷いたベッドだけ。
お腹が痛くても、むかむかして出してしまいそうになっても、楽しいことがあれば笑えていたはずのに、昨日はそうじゃなかった。
誰かとごはんを食べるということがとても怖くて、何か悪口を言われている気がして。
朝早くに目覚めても、下の階に降りたくなくて。
おひさまの出ている時間は、私がお外に出ることを禁止されている気がして。
気持ちにからだを追いつかせようと思ったけれど、そのような体力もなかった。し、からだに気持ちを追いつかせようと思ったけれど、そのような気力もなかった。もうどちらがいい状態でないのかさえ、私にもわからなかった。
立ち上がると猛烈な目眩に襲われるし、座ったら座ったで涙が止まらなくなる。
明日上司に電話して、退職を願うことが、こんなにもからだや気持ちに響いているのかなとか。ここ数日の間に起こったいろいろな出来事が、私の中で悪さしているのかなとか。いろいろなことを考えては、"そのせい"にした。結局原因がほしいのではなくて、私は何も悪くないと言いたいのかもしれない。
本当は、誰かに寄り添いたいのかもしれない。
このようなことを言うのは、はずかしいのだけれど。
きっと今の私はヤマアラシだし、誰かを傷つけてしまうと思う。
もうこれ以上、誰にも迷惑をかけたくないよと泣いたことも事実だし。なんなら、テレビの電源を切るように一瞬で死ねたら、最小限の迷惑で抑えられるとも考えたし。私は結局、生きたいのか死にたいのかさえよくわかっていない。
昨日はでんわしている最中、突然涙が止まらなくなってしまって、ああこんなに安心して涙を流せるのはいつぶりだろう、とさえ思った。
ごめんね、ちょっと泣いてるねと言った私に、うん、と一言だけ返してくれてありがとう。面倒だっただけかもしれないけれど。
私は患者なのか、友人なのか、どんな風に見られているんだろう。中途半端に優しいから、たまに土下座したくなってしまうよ。
明日がくるという事実だけが私を着実に苦しめていて、今ものどの奥が苦しいけれど、しっかりしぶとく生きている。もう、一瞬でいいから死にたい。一瞬だけでいい、一瞬だけ死にたい。
ODすればハイになれるかなとも思ったけれど、その後に病院に連れて行かれるのも怖いし、誰にも信用されなくなることも怖いからやめておく。
私はどこまでも意気地なしで、臆病で、へんに真面目なんだ。
生きづらい。
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今日は今日でまた寒くて、お外に出るとおやつが何度も私の指に擦り寄ってきた。かわいいなあ。慰めてくれているのかとも感じるほど、今の私は痛々しく見える。
上司とは約束を交わした。来週の水曜日までに、最終的かつ具体的な判断をしてほしいとのことだった。なんて薄っぺらいのだろうと思ったのはここだけの話。上長としての考え、一個人としての考えをお話ししてくれたのだけれど、優しさはこもっていたのだけれど、それだけ。過程をすっ飛ばして、残るのはそれだけ。
付き合っていた彼ともお友達になって、よかったと思っている。(ここに書かれたら嫌だろうか。)
私たちの関係にはきっといろいろな棘があって、その痛みを毎回乗り越えて、血が出てしまう度に涙をのんでいた。私も私の知らないどこかで、きっとそれが苦しかったし、彼もそうだったと思う。今まで優しさでくるんでくれた彼にはとても感謝しているし、人生の中で2年近くぎゅーっと縛り続けてきたことに、ごめんねと思う。
毎日いっしょに歩く度に、きっと痛い痛いと泣いてしまっていた私もいたかな。働いて帰ってくる彼はとても眩しかったし、輝いていたし、私はどん底に突き落とされてしまったような気分になる日もあった。もうそれは、笑えてしまうのだけれど。秘密にしていたこともあるかな。きっとお友達になったから話せる日が来るかもしれない。そのときは背中をさすって聴いてほしいな。
今のいちばんの悩みというか、不安の種というか、そういうのはお引越しのこと。
親子関係というものがぐちゃぐちゃの私は、5年くらい前にもっとぐちゃぐちゃになってしまっていて、アパートを引き払うためのお引越しにそれが絡んできた。
誰がいちばん悪いか、なんて話をしたってキリがないのだけれど、私はこの何年間かで私のしたことに対していまだに△をつける。母のパートナーに対して放ったことばとか、態度とか。歩み寄るタイミングも間違っていたし、近づくきっかけも下手だった。とりあえずみんな複雑に絡まりすぎて、ほどけなくなってしまった毛糸みたいになっている。まったく、私ももう少しにこにこできるお人形のようだったらよかったのに。
中学生のときからのお友達が連絡をくれた。
私がお引越しをしてきて、彼女のご実家が近所になったのも5年くらい前のお話。その立派なお家を目にする度に、ああ彼女はどうしているのかな、と、密かに思っていたよ。
体調を崩してしまって、きっと考えるとか感じとるという時間が余計にできてしまったのではないのかな、と少し思った。なぜ余計とつけたかは、きっと彼女もわかっているはず。ただひたすら、何かを考えたり行ったりすることでしのげていたものが、いきなり見えてしまって困っているのかな、とも感じた。
でも大丈夫だよ。私がいるからね、と言えるようになりたいな。何もしてあげられないけど、ここにいることはできるからね。
今日はお腹もいたいし、なんだかそわそわしてしまうし、結構散々だったかもしれないな。
ただ、そのお友達が連絡をくれたこと、お友達が増えたことは、うれしいことだった。ありがと。
なんだかうたいたいなあと思ってインストールしたカラオケアプリ。聴きたいと言ってくれたお友達に教えてあげた。なんだかとても褒めてくれて、こちらもとてもうれしかった。褒められることって、今の生活じゃなかなかないからかな。肯定されている気分って、こんなに心地よいものなのかと感じることができました。ありがと。
ありがとって言えるのは、まだまだ周りのひとにだけ。これでも今の私はだいぶ進歩したのだけれど。
いつもお薬をのんでなんとか頑張ってくれている体には、ありがとって素直に言えない。どうしてなんだろう。ゆっくりと眠りにつく時間が朝にずれ込んできているのもよくない。どうもまだポンコツだと思っている。だからなのか。
今日はお薬に頼って眠る。
今日もお疲れさまでした。
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月に一度のお医者さん。
午前中の診察に備えて、寝なきゃ寝なきゃと目を閉じては、ああだめだと携帯を握って、眠ったのは3時を回ったくらいだった。
嫌でも起きられるようにカーテンを開けっぱなしで眠ったのは、いつぶりだろう。寒くて毛布を顔まで引っ張ってきたけれど、お外の光は意固地な私でさえ目覚めさせてくれるんですね。今日に限っては感謝です。
一昨日も昨日も吹雪が続いていて、今日はどうかなと窓をのぞいたら、風はないけれど雪が降ってた。
なぜだろう。車で行けばいいものを、30分以上もかけて歩いて病院へ向かった。物置にいたおやつにおはようと言って、ズキズキと痛むお腹をおさえながら、もくもくと歩いた。音楽も聴いていたけれど、頭になんて入ってこなかった。
お財布には充分なお金も入っていなくて、会社に提出する書類も忘れてきたことは、病院に来てから気づいた。診察のお金は間に合ったけれど、お薬が増えたから処方箋はあとからにした。うっかりしている。よっぽど他のことに気がとられているんだ。それかもうキャパシティがなくなってきている。
先生は相変わらず飄々としていた。上司から言われていた復職について相談すること、母との関係のこと、体調のこと、ぜんぶ聞いたけれど、あなたはどう思うの?と返される。私はこれがどうも苦手なのだと、最近気がついた。相談しているのに質問を投げかけられることには、私のIQ上対応できない。うーん、えーと、と考えては、つい泣いてしまう。
今日は、会社を辞めようかなと思っています、と、はっきり言えた。(私の中のはっきりという基準は低めかもしれない。)先生はそれに対して、それにしがみつく必要はないと言ってきて、ああそうなのかとも受け止めることができた。
病院にいる間はそれはもうお腹が裂けるように痛くて、顔色が蝋人形のようだった。
何度お手洗いに行っただろう。診察の順番もお会計の順番もめちゃくちゃにしてしまって、申し訳ないなあと思った。
お家に帰ってからは少し眠った。眠ることでしか最近は何も見出せない。見出すものもちっぽけなのだけれど。
処方箋をもらいにいって、お買い物をして、帰ってきたのは16時頃。お買い物途中、母が知り合いの方とずっと話していた。そりゃあもう、私は落ち着きなくそわそわぐるぐるしていた。30分も歩いただろうか、漸くお喋りというものが終わって、帰られることになった。
帰ってからは上司と電話をして、これからのことについて少しだけ話し合った。またお話しすることにはなったのだけれど、私の気持ちをそのまま受け取ってくれたことに、感謝している。ありがとうございます。
他にもあるのだけれどね。頭がどうも回らなくて、ゆっくり考えられるようになったらまた書きたい。
いろいろと考えなくちゃいけないことが増えて、この体がとても不便に思える。
もっと身軽なら、私はどうだったのだろう。
いろんなひとに好かれて、助けられて、私も誰かの支えになって生きていくことができたのかな。
意識が遠のいて、別なところから操作できたらいいのにな、と思う。
間違いのない選択肢をできるだけ選び取りたかったし、最善を尽くせるように努力するよう私を誘導してみたかった。
今日は泣いてないけれど、きっと近いいつか、泣いてしまうんだろうな。
雪が雨に変わって、ぽたぽたと音がするようになった。
睡眠導入剤を渋々処方してもらったけれど、今日はなんとかのりきれそうだ。
眠りが私に力をくれますように、なんて祈る私は馬鹿なのかな。
とりあえず、お疲れさま私。