マリー・アントワネットを観た。もちろん数回にわけて。ヴェルサイユ宮殿のシャンデリアや、毎晩上手くいかない夫婦の営み、大きなお魚に刺さった串に更に海老が刺さったお料理を観ながら、うわあ…と様々な気持ちを含ませながら。

ソフィア・コッポラの世界って、きっととても好きだ。オートクチュールドレスの布を選ぶシーンなんて、女の子の永遠の楽しみがぎゅっと詰まっている気がした。シェルで出来た桜色のチップ、高く積まれたシャンパンタワー、小鳥の飾りをたくさんつけたユニコーンの角のようなヘアスタイル。

私は少し枯れているから、カーテンみてーな柄だなあ、と思ったりもした。たぶんもう少し元気だったら、きゅっと引き締まったコルセットと少し踵の低いミュール、ふわりと膨らませたスカートに、胸が踊っていたと思う。

最近はずっと具合が悪かったから、映画を観ることも後ろめたい気持ちでいっぱいだったけれど、いま3回目のマリー・アントワネットを観ている。少しずつ奔放に生きていけたらな、と思いたいからだと思う。

 

今度の金曜日からはお友達が来てくれる。

久しぶりにちゃんとお料理をつくる約束をしているから、少しでも具合が良くなればなと、自分でもお祈りしている。簡単なお料理さえ、私に作ることは結構むつかしい。頭がついていかなくて、それにショックを受けて打ちのめされてしまうから。だから少しでも、気持ちが持ち直してくれたらな、と思っている。

 

水曜日からはご近所のお友達が関東から帰省して、会いに来てくれたりした。かき氷を食べに行ったり、花火をしたり、久しぶりにおしゃべりしたりした。気持ちが落ち着かなくて、変なことをお話ししていたらごめんね。

でも直接ぐちぐち嫌なことを話す元気があると自分で確認できた。

久しぶりの運転もギリギリできた。怖い思いさせてたらごめんね。謝ることばかり。

 

何日か後から約3ヶ月間、私はひとり暮らし。具合が悪くなったらどうしようと思うこともあるけれど、ひとりって気楽かなとちょっと思ったりもする。

こんなことを書くと見たひとはびっくりするだろうけど、その間に死のうかなあと思ったりもする。言い訳に聞こえるかもしれないけれど、それくらいしんどいもの。

こんなこと書いておいて、きっと死なないんだろうと自分でも思うけれど、本当に死ぬのならどう死のうかと考える。じわじわ死ぬのは嫌だなあ。後悔する瞬間さえなく死にたい。

周りのひとにぐちを言ったり、周りのひとから心配されたり、母親たちのことを言われることにもう嫌気がさしているもの。自分で言うのも疲れるんだ。言ってしまうから、申し訳ないけれど。言われてなくても思われてなくても、そう想像してしまうのが常で、疲れる。

この感情に限界があって、それが限界に達したら自動的に死ぬシステムがあってもいいのになあ。みんなよく生きてるなと思う。お疲れさまです。

 

音楽を聴くことはまだ疲れる。好きな音楽を嫌な思いをしながら聴きたくないから、眠れない夜も外から聞こえる草が触れ合う音を聴いている。窓を開けていなくても、さわさわそよそよ、涼しい音が聞こえてくる。

8月も半ばだから、きっともう少しで秋がやってくる。おいしいものをおいしく食べて、読みたいものが好きなだけ読めて、涼しい風にも恥ずかしい思いをせずにあたれるようになりたい。

 

また生きていたいなと思えることがあればいいな。

じめじめとした長い梅雨があけた。すぐそばから台風やら温帯低気圧で、また髪の毛が外側へ遊びに行っている。気圧なのか他のせいなのかわからないけれど、頭の痛い日も多くて嫌になる。

おやつは全身がしっとりとしていて、尻尾の先までなめらかで気持ちいい。するすると撫でていると、いちばん好きな尻尾の付け根でにゃーにゃーと催促される。魔法のにゃーだから、私は素直に尻尾の付け根をぽんぽんしている。

相変わらずの日々が続いている、と言いたいけれど、気持ちの落ち着かない周期がまわってきている。

 

最近は眠りが浅いのか、毎日夢をみている。夜は眠りにつくまで時間がかかって、眠っていても明け方に何度も目が覚める。体調も悪いから、午前中横になってうとうとしては夢をみる。はずかしながら、結構な割合で淫夢。したこともないような、びっくりするほど過激で痛いようなやつをしていたりする。眠っている最中に、何か変なことを言っていないか不安で仕方がない。今日の日中みた夢は、今までの夢の中でもいちばん過激だった。寝ても覚めても頭の中がはしゃいでいるから、ちっとも休まらない。夢から醒めてもどきどきしていて、からだがジーンと熱を帯びている。

 

今日は過食気味で、おにぎりとスパゲッティを食べた。この1ヶ月の中でいちばん食べたと思う。胃が重くて横になるのが辛い。縦になっているのも辛い。ぜんぶ吐き出してしまいたいな、気持ち悪いな、と久しぶりの感覚。背中をさすってほしいな、と久しぶりに思った。わがままだなあ。

 

今日は診察の日で、病院にも行った。珍しくメモは見せなかった。主治医に見せたところで、何も変わらないと思った、が正しいかもしれない。目についたものを少しカルテに記すだけだから、毎回の変化に気づかないでいると思う。私は度々重くなった症状をメモしているけれど、主治医は気に留めてくれない。私が話しても、気にしないことです、と言われる。気にしないことができたら、どれだけ楽か。

同情してほしいわけでも、増薬してほしいわけでもない。正確な判断をしてほしいだけなのに。

右目の奥が1日中痛い。瞼の痙攣と付随してズーンと痛い。これも、主治医に気にしないことです、と言われた。ロブのんで黙って横になってます。それでも痛いから、訴えているのだけれどね。

 

会いたいなあと思っていたひとから、連絡が途絶えてしまった。

そのひとからきていたラインを夜中に開いてそのまま閉じて寝てしまって、1週間以上経過していた。気づいたときは顔面蒼白。きていたラインを忘れて閉じてしまっとこと。それに会いたいけれど体調が悪くてそちらまで行くことができずにごめんねという旨を添えて送信した。未読のままだ。まるで片思いしているようでむずむずする。

会いたいなあ。

 

目を瞑ると、また淫夢をみるかもしれない。私はそこまでいやらしい人間だったのか。今日は淫夢の話しかしていない気もするけれど、なんだか少し元気になれた気もする。

先月の診察からずうーーーっと憂鬱で、はあ死ななきゃ、やっぱり死ななきゃ、と考えることが多かった。そんな気分や考えはまるで坂道を転がるようにびゅーんと加速して、食事といえばお薬のような生活を送っていた。

 

頑張って頑張って病院に連絡して、別な先生だったら、ということで診察してもらった。

病院に着いてからは終始足元を眺めていた。誰かと目があったりなんかしたら、また涙が出てくるし、悪口を言われてるんじゃないかって、不安になってしまうから。いろいろなものに耐えていたら、私の番号が呼ばれる前に、誰かが自動販売機で飲み物を買った。私はその飲み物が落ちるガタンという音と、飲み物を取り出した時のフタの音にびっくりして、怖くなって大泣きした。30分くらい涙を拭いて鼻水をかんでいたら番号が呼ばれた。

いつもは血圧と脈をはかるけれど、すぐに診察室へ通された。先生はこっちに転院してから突然減薬して、希死念慮に襲われ自殺企図したときに診てもらった先生だった。どうぞ、と一声かけられてなにも言えないまま椅子に座った。

私はいつものように、あーうーと唸って泣きながら打ったiPhoneのメモを差し出した。

そうしたら、先生はいっかいiPhoneを手にとって、ちょっと使い方がわからないから、先生質問するからお話ししてみてくれる?と言われた。とても驚いた。そんなこと言われたことがなかった。

とりあえず、前の診察からお仕事に行けないことが多くて、と話し始めたら涙が止まらなくなった。ひとつひとつ打ったメモを見ながら、必死に言葉を繋げようとするけれど、涙と呼吸が邪魔をした。

どうして涙が出てるの?どんな気持ちで朝起きる?いまのお家には誰と住んでるの?と、手元に全部答えが書いてあるカルテを見ながら質問してきた。どうしてわかるのに訊くんですか?とは聞けなかった。

一通り質問が終わったら、体調が悪いのは脳内物質がああで自律神経がこうでという話をされて、とりあえずいつも飲んでいるお薬の一回り小さいものを1日2回服用してくださいと言われた。

これで元気も出てくると思うよ、と言われた。気づいたら、毎日死ななくちゃと思うのもなくなるんですか?と聞いていた。それはなあ、と先生は笑っていた。でも死なないって約束しようと言って、小指を出された。私はそこでようやく怒りを覚えた。なんでこいつと約束してまで、毎日意味もわからないまま死にたいという気持ちを持っていきなければならないのか。どうして死にたい気持ちは心療内科医に笑われなければいけないのか。ぼろぼろ泣いて、辛くて、勇気を出して診察をしてもらって、笑われた私は怒っていた。小指には薄ら笑いしてしまった。約束したら死なないんですね、と涙を流しながらゆっくり笑った。

 

帰ってもぼーっとして、泣きながら横になった。すこしだけ食べろって言われたから、確かなにか食べて、もらったお薬をのんで夜を過ごした。

次の日は目覚めたら、幾分か楽だった。でもベッドから起き上がることができなくて、今日着る服を見つめながらぼーっとしていた。案の定今日も行けませんと、すみませんと、メールした。

 

土曜日は父をお買い物に連れて行った。調子はそんなに良くなかった。今日(日曜日)はひとりで夜を過ごさなければならなくて、ぜんぶの窓に鍵をして、ドアガードもした。

 

起きたらお仕事に行く日。月曜日。

体調とか気持ちの調子とか良くても、ただただ行きづらいのは久しぶり。

お洋服の用意、しなくちゃなあ…

呑気にブログを書いていたら日付をまたいでいた。

行きたくないな。

悪口言われてる気が、もうしている。

自分を守る手段をどのように行使していくべきか迷う。

お仕事はここ数日行っていない。ベッドから出られない、お化粧ができない、涙が止まらない、という症状が出勤前に出てしまう。

そんなのやる気がないだけでしょ、と思われても仕方ないし、実際にやる気はないのだと思う。お仕事に対して向けるやる気は、しっかり1日生きるということのみにだけ向けなくてはならない。生きても生きても、明日が辛い。何も見出せない。

 

今日は行きたくなかったおばあちゃんのお家に行った。

いろいろあって、私のお雛様と弟の兜を預けているところから持ち出さなくてはならなくなったから。今いるお家には置く場所がないから置けないという理由で、おばあちゃんのお家に置かせてもらわなければいけなくなった。母は自分で連絡さえしないから、私が電話でおばあちゃんに事情を説明して向かうことになった。

"置くところがない"というのは本当らしくて、ダンボールに入れて、外に出されてあった。雨が降ったらいけないから、今日中にやっておいてと言われたけれど、すごく悲しい気持ちになった。

おばあちゃんはメールができないから、ここのところ避けていた電話をした。具合が悪いことも察したのか、用件だけ話してすぐに車に乗った。

お雛様と兜をおばあちゃんのお部屋にしまって、少し話した。弟の就職が決まって9月にはこのお家を出ていくこと、母親のこと、私のこと。耳にたこなのだけれど、おばあちゃんには全部お母さんのせいだな、と言われる。でも、最近の私はそう思わないことにしている。母親のせいにしても、全部私に跳ね返ってくるから、私が何にもできないから、ということにし始めている。その方が楽だから。

私に、これからどうしたい?と聞いてきたおばあちゃんに、早く死んでしまいたい、と訴えた。死ねないから死にたいのだと思う。死ねたら死にたいとは思わないのだろうな、とようやく気付いた。

 

私がこのお家から出て行かなくてはならないから、一緒に暮らそうかとも言われた。おばあちゃんも私が心配なのだと思う。

だけど、私は毎日誰かに死んだか死んでないか、ご飯を食べるか食べないか、元気があるかないか、確認されたくはない。そんなの病院と変わらない。そんなのおばあちゃんにしてほしくない。だからわがままだけれど、ひとりでひっそり暮らしたい。もうひとつわがままを言えばおやつと暮らしたい。今日だって私がお外で泣いていたら、彼はただただ私の脚にしっぽを巻きつけて、毛繕いをしていた。そんな風にただそこにいてほしいだけ。

 

憂鬱と消えたさ、希死念慮、過食・絶食の交互にやってくるやつ、味覚の麻痺と音に対する恐怖、被害妄想が尋常じゃない。これを異常と言わずして何を異常と言うのかというくらい。

さすがにこれはと思って、いつものお医者さんじゃないけれど、明日診てもらうことにした。お薬が増えたとは言え、これが3週間続いているからいい加減私がすり減ってなくなりそう。

 

もともとの私がどんな色でどんな音なのかわからない。私はどんな風だったのだろう。

期待されてきたようにやってきたところもあって、私は私がわからない。

 

なんだかつらい。なんだかしんどい。なんだか悪口言われている気がする。まだ追われている気がする。そういった類のもの、ここ1週間でぐんと増えた。

びっくりするほどにどうしたらいいのかわからないし、決まってお腹が痛くなる。

きっと変なひとだなあと思われているのかな。

基礎体温も測ってない。

なんにも私にプラスになる気がしなくなってきた。

お仕事行けば確かにやったぶんだけお金はいただけるけれど、わけわからないくらいものをくちに入れなければ気が治らない。

 

とりあえず9月まで、9月までなんとか持ちこたえてね私。

ひとりぼっちになるこのお家で首を括りたい。

私は出来損ないで、なんにも残せなかったから。

どうにかして死ななくちゃと思う。

生きていることすらとんでもなくわがままなんだ。

 

素敵な気持ちも、握りつぶりたくなる感情も、ぜんぶ知らないまま。真っ白な雪になりたかったよ。

 

はるかも病気が治ったら、元気に働けるって、おばあちゃんにも言われたけど。もうわかんないや。ごめんね。

 

元気にしてくれると思っていたんだよね。私はいつも、みんなを笑わせることが得意だったのかな。

でもね、私が受け取る言葉はほとんど全部が鋭い針だったよ。血が滲むの。あははって笑いながら、針を抜くことも、もうできないの。

秋田県南部に住む私は、週末の雨で気が張り詰めていました。別居している実の父は、土曜日の夜中(日付的には日曜日)に、避難所へ避難させました。

年金をもらうほど歳をとっている父なので、私はとても不安で、ずっと携帯を離せませんでした。それが気にくわない母は、どこに行くのかとかなにか買い与えたのかとかずうっと私に聞いてきて、それがこの2日間ずっと苦痛でした。

 

父の住む家は私が生まれてから5歳くらいまで住んでいた古い一軒家です。低い土地にあって、小さな川が流れているので、大雨が降るといつも浸水してしまいます。

でも父は、その家から出たくないのです。終の住処というのでしょうか。

お店をしていたときのものもたくさんあるし、何よりいちばん幸せな時間を過ごすことのできた、思い出のお星様を散りばめられたきらきらしたものだからでしょう。

生活保護を受けるようになって、随分と体の張り詰めていた部分がとけてきたのか、お散歩にも出歩くようになりました。なにより、私とのお出かけを楽しみにしてくれています。私もそれが嬉しいです。おしゃべりするときも、以前よりはきはきと話せるようになりました。少し安心です。

 

浸水の具合など、お役所の方が見にきてくれたようで、普段ひとと会うことのない父には疲れた1日だったと思います。

お片付けを手伝いに行こうと思いましたが、大丈夫なようでした。

畳の張替えや使えなくなってしまった家財の運搬をこれからするとのことでした。まず、自分の安全基地に戻ることができてよかったです。

 

さて、今日のお仕事はというと、約2週間ぶりの職場で、とても緊張しました。

あと、これは間違えられないし、1回のやりとりで済ませたいから職員がやる、と言われたことがとても鋭くて、痛かったです。私は休みがちで、心配事があると集中することが難しくなります。お仕事にはそれが求められているのに、それができないのは致命傷ですね。私はやっぱり、迷惑にならない程度まで頭の機能を回復させたほうがよかったなあと、思いました。涙もじんわりと目を覆いました。

 

明日はやることが大体ルーチンであるので、黙々とこなすだけです。頑張らなくちゃと思うたびに頑張れなくなるのだから、がっかりしてしまいますね。

まだまだ予期不安が私の思考の邪魔をします。

耳栓でもつけて、お仕事したいな、なんて。

 

昨日の頭痛も治まったので、今日は眠れるのかな。

ゆっくり、ゆっくり、お休みするって決めきりたいなあ。

 

お金がネックなんですけどね。

でも、ひとりぼっちになりたい。

それか父と暮らしてもいい。

ちょっと考えてみようかな。

勝手に6連休をつくった。

最近の朝は身支度をしていて、あとリップを塗るだけという作業が、たったそれだけができない。怠けていると思われても仕方ないよなあ。力なく笑うのも、疲れてしまう。

 

最近は夜中にざあっと強い雨が降って、窓も閉めて寝ているのに、その音と匂いで目が覚めてしまう。

強い眠気も一瞬で覚めて、またお薬をのんで眠ろうとするけれど、4時くらいにまた目が覚める。またしぶしぶ眠って5時くらいに目が覚めてまた眠るという、中途覚醒のサイクルがひどい。次の日がお仕事だと、体が眠ろう眠ろうと努力して空回りしているのか。

朝のアラームでしっかりと起きて、着替えもするけれど、お化粧の最後ができない。それが何故かもわからないし、考えても無駄なんだろうなとも思って、ジトーっとした目で鏡をみつめる。もう涙も出ない。

 

就職活動も上手くいったのになあ。どうしてこんな風に転んでしまうのだろう。

今は、半年働けば失業手当が出るから頑張ろうとしか思うことができない。実質結構お休みしてしまってるし、もう笑ってしまう。いつまでも甘えてばかりの私に。

世の中お金だよなあと強く思う。障害年金も申請の手続きもしている。働くこと、憧れてたんだけどな。

 

今日は晩ごはんも食べたくて、鶏モモの薄切りをさーっと揚げてみた。油のにおいに吐き気を催してしまったけれど、久しぶりに食べた小さな唐揚げはサクサクとしていて、とてもおいしかった。

 

郵便局にも歩いていった。午前中に。

蝉がうるさいし、ふらふらしたし、局員の方の愛想のいい対応にも、じめじめとした嫌気がさした。近くの小学校から聞こえるはしゃぎ声も、頭がキンキンしてきて、座り込んでしまった。座り込んでどうにかなるものでもない。誰かに助けてもらおうとも思わない。

 

郵便局に向かう最中にお寺の参道を見つけて、帰りに寄ってみた。

宗教を信じているわけではないけれど、何かいるのはわかる。すうっと冷たくなるから。

木がたくさん植えてあって、日陰が多いってだけかもしれないけれど、教会も礼拝堂も、神社もすうっと冷たくなる。気温が下がるとかではなくて、体にまとわりついた暑さがどこかに行ってしまう感じ。頭がクリアになる。きっとここには私以外にもそうなるひとがいるのかなあと思いながら、お寺に近づいた。

お寺にはひとがいなくて、ただただ蝉のジリジリという鳴き声だけが響いていた。ほんの数分しかいなかったけれど、帰り道には混ざりの紫陽花をみつけた。青いのと、赤いの。植わっている土の成分で色が違うはずなのに不思議だなあと思って、顔を近づけた。ミツバチとクマバチがせっせと蜜を集めていた。大きな葉っぱには小さな雨蛙もいた。ひっそりと動かないでいた。今年初めて見た蛙だった。

そうだ!と思い出して写真を撮った。コラージュのようにトリミングしてインスタグラムに載せた。

 

帰ってからはまた眠った。夕方に起きて、晩ごはんを食べて、シャワーを浴びて、明日は行けるかなあと思いながらブログを書いている。

変な時間に眠るから、夜中や朝方に起きてしまうのもわかっているのだけれど、眠ることでしかやり過ごせない。切実に困っている。

 

ねーさんのブログにたまに出てくる私のこと。見つけるとなぜだかすごく嬉しくなる。ひとりじゃないんだ、と思っているのかな。ただ、あの子が職場に行けますようにという文章は、泣いてしまったのだけれど。あの数日、私は本当に死を見たし、死もこちらを見ていたから。

でも本当に、たまに出てくる私についての文章はなぜだかどきどきしてしまう。通知表の先生が書いてくれるコメントみたいな感じ。語彙力がなくて伝わらない。ごめんなさい。

そんなねーさんが心配。

半分諦めたように生きているけれど、どこかで希望を持てたらなと思っているから。私もそう。半分諦めたように、大きな幸せなど期待しないように生きているから。でも、ねーさんにも少しくらい、いいことあったっていいでしょうと思う。

これでいいんだってねーさんが思っているときは決まって私が諦めていない。ねーさんがもういいやって、命とさよならしそうなときは私が手を離してあげない。いい迷惑かな。(逆もあるけれど)

私はねーさんに勝手に憧れてるから、なんでどうしてそんなんで生きてられるんだ!すごいなあ!と度々感動する。(これを私たちは図太いと表現する)でも、図太くなってほしくない。図太くならなければいけない状況になってほしくない。これはひとりじゃ解決できないこともわかっている。ただの、私の願い。

今日のねーさんにかけられることばが、あまりにも薄っぺらなものしかなくてごめんなさい。

でも、ねーさんには本当にびっくりするくらい幸せになってほしいです。笑われるかもしれないけれど、さっきと言っていること違うけれど、本当にとびきりの幸せが訪れて、いきなりなんでも美味しく感じて、とっても楽しくて幸せで、なんでも笑える日がきたらなあと思います。前にも言ったけれど、その日は一緒に乾杯しましょう。

 

今日は雨が降ってない。

ねーさんのところはどうかな。

今日だけはクリスチャンにでもなって、お祈りして眠ります。

おやすみなさい。