ちかく、雪が降るらしい。夜はコートを羽織っても冷たくて、マフラーが欲しくなるようになってきた。

 

ごはんもろくなものを食べていなくて、私は着実に防御を固めてきている。食べるという行為よりも、詰め込むという作業に近い感覚。土鍋でインスタントのらーめんを作っては詰め込んで、また作っては詰め込んで、ナタデココのゼリーを詰め込んで、大きなポテトチップスまで空にする。ひと通り落ち着いたら、何でこんなにも満たされないのか、お腹の痛みとともに冷静になって考える。

一昨日は朝方に急激にお腹が捩れるように痛くなって、お手洗いへ駆け込んだ。シャワーを浴びたくなるほど汗をかいたけど、疲れてもう動けなくなっていた。

 

何週間何ヶ月単位で書かなくなったブログに手を出したのは、今日みた夢のせいかもしれない。

今日はまた朝方に目が覚めて、それからまた眠った。約束があったけど、また今度にしてもらった。お薬をのんで眠ったから。

朝からお昼にかけてみた夢は、歯医者さんに行く夢だった。

私は幸運なことに今まで虫歯になったことがない。今は定期検診に行っていないからわからないけど、頬が腫れたり歯茎が膿んでいることもなく、歯もいろいろなものを丁寧に噛んでくれている。それなのに、歯医者さんの夢をみたことは衝撃的だった。

私はなぜかたくさんの番号札を持っていた。お医者さんのカルテを盗み見たのではないかと看護師さんに言われ注意された。なんでこんなに不思議なことが起こるのだろうと思っていたら、私の名前がようやく呼ばれた。

診察室にはまだまだ患者がいて、これからまだ待つのかと憂鬱になった。ふと、従姉妹がそこにいることに気がついて、おばさんも一緒だったのを見逃さなかった。実世界では、いろいろというわけでもないけど、私はおばさんと今すこし距離を置いている。私がいるとおばさんが気づいて、私のほうに歩いてきて、平日のこんな時間に病院に来られるお仕事をしているのね、と言った。

今働くことをお休みしている実世界の私は、その一言に打ちのめされて、もっとおばさんに会えなくなるのではないかと思った。実際起きてから憂鬱で堪らなかった。はやく働かなければいけないという自分でかけた呪いがとけない。お休みをするという選択をしているのも私だけど、お休みをしても休みきれていないのが事実。こころが罪悪感でいっぱいだから。

 

どこへ行っても知らないひとしかいないところへ行きたい。私が働いていても働いていなくても、誰も何も思わない、そんなところへ逃げてしまいたい。逃げるは恥だが役に立つ、とはこういうことなのかなと、すこし思った。

 

世の中から少しだけ必要とされるのであれば、それで衣食住に困らないだけの生活でいい。あとは何もいらない。いちばん贅沢なことだとわかってはいるけど、今このお家で過ごしていることが、いちばんの足枷だとも思う。他人のことで悩んで泣くより、自分で自分に困って自分だけ泣くことのほうがよっぽど楽だ。私も私で困り果てて、泣いても何をしてもどうしようもなくなったら、悪友の彼にとりあえず相談する。どうしようもなくなったら世の中とお別れしよう。結構頼りにしているんだなあ、と思って笑ってしまう。

お互いが当たり前のように、お前のこと好きだからって言えることってすごい。好きって、付き合うとかそういう好きじゃなくて、ただ単に好きということで。何か面白いことがあったら、でんわをかけてみたり。それを素直に面倒だと言えたり。くっついたり離れたりして、ようやく今の距離感が掴めた。好きだから恋したら応援するし、同時にヤキモチもやく。なかなか器用だ。

 

関東に行ったときはなにをお話ししたらいいのかわからなくって、終いには辛さで胸がきつくなって泣いてたけど、また会えたらいいなと思う。

そのときは一緒にお酒がのみたい。

ちゃんと笑えたらいいなと思う。

寒さがぐんと強まってきて、しっとりとした毛並みの毛布がからだに触れるのが心地いい。

冷たい雨が続いている。秋はそこまで嫌いじゃないし、好きなのだけれど、最近は寂しい季節だなと思う。葉が色を纏って、深めて、落ちるのは、とても寂しい。落ちるために芽生えたのかと考えると、また寂しくなる。ごはんも美味しいけれど、ひとりでいただきますとごちそうさまを呟いて、自ら作ったものを無表情のままくちに運ぶことが苦痛だ。きっとそんなふうに食べられたら、そんなはずじゃなかったのにって、食物は思うと勝手に考えている。

 

なんだかとても朝が嫌いで、また朝に眠る習慣を取り戻してしまった。なんだか、なんて言ったけれど、理由は大体わかっている。他人とふつうを共有することが、いまの私には苦痛だからだろう。朝起きて、食事や身支度を整えて、学校や職場に向かうであろうその時間。考えただけで気分が悪い。社会の歯車にさえなれていない私は、朝の素敵な陽射しも、小鳥のさえずりも小さな棘で、それが大袈裟に刺さる。痛い。

 

もやもやとした気持ちと罪悪感は、働けば拭えるのだろうか。

働いて働いて働いて働いて、そうすれば私は私を認めて、赦せるのだろうか。

 

障がい者、という大きな枠に入ろうと考えているけれど、周りのひとから、いつまでも障がい者としているのかと、尋ねられることがあった。いつまでも障がい者でありたいひとって、この世にいるのだろうか。

ぜんぶぜんぶ、あなたのせいだよ、これはそれのせいで、あれはあのひとのせいで、私はいま、こんな風になってしまいました。そう言えたら、そう開き直ることができたら楽なのだろうけどね。私はそんなこと思わないし、私は私のせいでこうなってしまったと、この3年間思っている。少なくとも病院に通い始める5ヶ月前、働き始めてからはぜんぶ、私は私のせいだと言い聞かせてきた。いまもそれは変わらなくて、どうしても責めてしまって、負わなくていいものまで負ってしまった。バランスをとることがこんなにもむつかしいことだなんて、平均台でジャンプをして遊んでいた私にはわからなかった。

 

起きたら病院で、頭痛薬を処方してもらわなければならない。お薬手帳もいっぱいになってきている。スタンプラリーだったら5冊は制覇している勢い。眠ることもほとんど諦めているから、導入剤はいらない。新しく届いた書類も提出しなければならない。

書いているだけで目まぐるしい。泣いている。どうしてだろう。

 

嫌な気持ちという存在は誰しも抱えているだろうけれど、私はなぜこんなに抱えきれないほどの嫌な気持ちを拾い集めるのだろう。

ごみ拾いなら褒めてもらえるくらいの、大きな大きな黒い塊。もしかしたらグレーの埃みたいなものかもしれない。とにかく、それが私の首を締め付ける。息をする度に涙が出る。

呼吸と付随して涙が出ることが、正常ならいいのに。そうしたら、私はひとつ、私を赦すことができる。

 

なにひとつ赦せることなんてないから、ひとつひとつ溶かして、向き合わなければいけない。それか、記憶喪失にでもなりたい。誰も知らないそんな世界で、私はひとりで生きてみたい。寂しいなんて感情もしらないまま綺麗な砂浜に寝そべって、波に揺られて、砂にでもなりたい。

 

ひとである。たったこれだけのことで、こんなにも嫌な気持ちになるなんて、もうそれはそれはすごいことだと思う。一種の才能であってほしいとすら思う。

 

たまにだれかから頂いたお手紙をあけて読むことをやめた。過去にとりつかれることは、減らしていきたいから。いまで悲しい思い出になってしまったものは、すべて燃やした。

火が、とても綺麗だった。

さいたまと千葉に1週間ほど滞在。

2,3日は暑くてずっと汗をかいていたのに、それを過ぎたら薄手のコートを羽織るくらいの涼しさになった。

 

さいたまでは今では悪友のような、私の管理人のような元彼と会って、いろいろな場所に連れて行ってもらった。なんだか上手く話せなくて、とても後悔している。

初日の晩ご飯の時間がいちばん楽しかったなあ。しゃぶしゃぶを食べて食べて食べまくって、私だけで薬味のねぎを2本は食べた。それからカラオケに行って、酔っ払った彼はビールを振って、テレビにぶちまけた。私は一生懸命拭いて、怒っていたけれど、笑っていた。

私もお酒が飲みたかったけど、看護士さんの彼を目の前にして、暴走してしまう私を見せたくはなかったから、自重した。

なんだかんだ文句も言いつつ、彼もお仕事をしていて、遠い世界のひとに見えた。たくさん食べて、たくさん飲んで、ぐっすりと眠ってお仕事に行く。それを当たり前にこなしている彼が、とても遠くなってしまったような気がした。世間一般の当たり前をこなす彼が羨ましかったし、それから少し距離をとっている私を後ろめたかった。

 

千葉では1日1食の食事とセックスを楽しんだ。これだけだとおかしい(これだけでなくてもおかしいけど)ので、いろいろ書き足す。

千葉に着いたのは18時くらい。縁あって2月にセックスしたひとと、また会えることになった。ちょっとしたトラブルから滞在期間が延びてしまって、その間お世話になった。

着いた晩はすぐセックスして、済んだら彼は副業に向かった。帰ってくるまで、私は平然とシャワーを済ませて持ってきた本を手にとり読んでいた。

一応お布団を用意してくれていたみたいだったけど、ただただ寒くて眠れそうにないという理由で、彼のベッドで眠った。あたたかかった。涙が出そうになった。

次の日は休日出勤で、彼がお仕事に行っている間、サムゲタンきんぴらごぼうを作った。ひとのためにお料理をすることは久しぶりだったし、緊張した。掃除機をかけたりもしたけれど、お掃除がいちばん苦手な私は彼の帰ってくるギリギリまで手をつけなかった。

彼が帰ってきて副業まで少し時間があったから、サムゲタンをあたためて食べてもらった。風邪ひきだと聞いていたから、ねぎもたんまりと入れてみたやつ。美味しいと言ってくれた。嬉しかった。

彼が副業に行っている間は、また本を読んで時間が過ぎるのを待った。眠りはしなかった。私は、彼が帰ってきてから私を求めることが、何よりの精神安定に繋がると知っていたから。

4泊して毎日彼と交わった。馬鹿みたいだなあと思う。こんな風なことでしか、自分を認められないのかと思う度に、容姿がよければ風俗で働きたかったと真面目に考える。それでまた、馬鹿だなあ、と落ち込む。

 

秋田に帰ってからは、まだ知っているひとに会っていない。会いたくない、という気持ちが強くてこころが定まらない。

できるのなら、私はセックスがしたいですと街中で言いふらしたい。一晩で記憶がリセットできたなら、どんなに楽だろう。

私は毎日夜を楽しめる。気持ちがすこし満たされる。私は私を認めてあげられる。

 

私が性的な行為以外で自分を認めてあげられるようになるまで、どれくらいかかるのだろう。性的な行為以外でとは言ったけど、ほかに何があるのか。私が私に満足することや、私を褒めることができるのは、他のひとが必要だ。自分ひとりで自分を認識したり許容することが、今の私は他者に比べて容易ではない。

なにがこんなに複雑に絡まれば、私になるのだろう。

私は私がわからない。

 

もっとうまくお話しできると思ったし、もっと目を見て笑うこともできると思った。

何もかもうまくいかなくって、私といることはさぞつまらないだろうなあと、相手のことばかり考えて、自らを暗い崖に突き落としてしまった。

いつものことだけどね。慣れたくないし、慣れない。

 

10日のお昼少し前。なんだか最初はどきどきしてしまった。

久しぶりという声も、ありがとうという微笑みも、ぜんぶぜんぶ、ごめんねという俯きになった。

だから、今日は泣いてもいいから本当にありがとうと言いたかったし、馬鹿みたいだけど、死んだらいちばんにお葬式に来てねって伝えたかった。お金なんていらないから、眠った私にばいばいって声をかけてほしい。

会えないから、私が最期を迎えても、彼はきっとどこでもないそこを見つめて煙草をふかすだろう。

 

一昨日の夜には少しだけ笑えたのに、昨日はお手洗いに向かう度にお薬を流し込んだ。これをのめば少しだけだとしても、笑えるんだ、ありがとうが言えるんだって、言い聞かせた。実際、ほんの少しの勇気を持ち合わせていなくて、できなかった。

 

恋とか友情とかそういうものを超えて大事にしたいひとなのに、その対象に限って何もできなくなってしまうのはなぜだろう。

私は手を伸ばしてから後悔するタイプだったはずなのに、伸ばしてもいないまま泣いている。

地元に戻ってもきっと連絡くらいとれる。だけど、それじゃだめなのはなぜなのか。こんなに意固地になっている私を、私は見たことがない。

 

今日あたためたことばを、今日のうちに届けたかっただけ。

あたためなおしたことばは、きっと然程変わりない。私がいま積み立てて、組み立て直した、今のことばを届けたいだけ。自己満足。

 

きっと彼にはわからない。伝えもしない。

昨日見た彼が私にとっての最後の背中だと思う。

会いたくないのでもない。会わないのでもない。

そうっと、閉じ込めておきたいのかもしれない。

 

会いたいなあと思う。すきだなあと思う。

それだけ。

ここ何ヶ月かは雨が降る度に警報が出ていたここ秋田。

川の水が溢れかけて、父の家は床上浸水。いつもの田園風景は、茶色の水で覆われた大きな大きな川の支流のようになっていた。

幸い、人的被害がなかったのは、何年かに1回このような出来事があるからで。でもそれが再び起きないよう整備していく財源を、花火でしか賄えないこの街がもう頭が足りない。花火を毎月あげようとかどうでもいいから、あの毎回水に浸かる地区の人たちのために集合住宅でも作ればいいと思う。区画整備の時につくったように。こんなこと一個人のブログに書いてもどうにもなりませんけどね。

いま降っている雨は、心地いいもので。久しぶりに落ち着いた気持ちで、音を聴いている。しとしとと降り続いて、鉢植えの緑にぴちょんと跳ね返る音。心地がいい。

 

9月いっぱいで任期満了の学校でのお勤めが終了した。

10月に入ってからは誰もいないこのお家で、私はずっとベッドに潜っていた。なにかでこころの隙間を埋めようと、お友達にラインしてみたり。お友達のお仕事のお話しを聴いて、若干落ち込んだり。下らない学生時代のことでげらげら笑ったり。

月曜日の夜のバスで東京に行くことになった。帰りのチケットは買っていない。いつ帰ろうかな。

したいこともあまりなくて、ただ何人か会いたいひとがいるだけ。そのひとが楽しそうだったり、直接声を聴くことができたら、私はきっと嬉しい。だから、元気なうちに馬鹿みたいに遊んでやろうという、強硬手段にでている。これは元気なときの特権で、そうでないときは絶対絶対絶対できないこと。自己暗示をかけているのかもしれないけれど。体調が悪くなったら楽しめないのだし、楽しいことを楽しいと感じられるときには存分に私の感情に触れていたい。

 

寒いのか暑いのかよくわからないから、Tシャツもニットも準備した。秋田から出るのは夜だし、冷え込んでいるだろうから薄手のコートを着て行こうと思って、それも準備した。

ひとりで過ごす時間もあるのかなあと思って、文庫本も用意してみた。敬愛している森博嗣様の、四季の春と夏。べつなものも用意していたのだけれど、お気に入りすぎて読めなかったらショックだろうからやめた。

 

今日は夜から短大のお友達と夜ご飯をしにおでかけ。明後日、日曜日には美容室に行く。5ヶ月ぶりにカット。伸びたのはいいけれど、ハネがすごいからまた切るのかな。私はいつの頃からか腰まで伸ばすことを諦めてしまったようだ。我慢、というものができなくなってしまったのだろうか。

 

最近の私は専らLORDEのMelodramaを、運転しているときはずうっと聴いている。PURE HEROINEの癖のあるアルバムも好きで福島にいるときはヘビロテだった。

スモーキーな歌声とか、グルービーな感じがとにかく私の好みだということがわかったのが大きな収穫。LORDEと藤原さくらに出会えてよかった。吉澤嘉代子も好きだなあ。

ちなみに吉澤嘉代子の最近のリコメンドです。

f:id:dlk0301:20171007041938p:image

久しぶりに観たルパン三世のEDもリコメンドです。

f:id:dlk0301:20171007042221p:image

 

素敵な音楽を聴いていると、私もこんなふうに素敵な時間を過ごしてもらえるようなお仕事ができたらいいのになあ、と思う。

できることとできないこと、控えたほうがいいものといった制約が多くて疲れる。

できることができる時間と体力と精神力がほしいな。

そしたらこんなことになってなかったのかな、なんて。もう遅いんだけどね。

 

今日は雨音とひんやりとした寒さの中、そろそろ眠ります。

おやすみなさい。

3歳

はじめてブログにタイトルをつけた。

9月9日は、はじめて心療内科へ足を運んだ日。身体症状が一気に出たのは8月1日だけど、こころとか精神っていうものが原因なんじゃないのか、とカウンセラーの方に指摘されて病院へ行ったのがこの日。ちょうど2年前。

今日から3年目になる。3歳だ。

 

はじめて行った病院は白くて、デスクに置かれたドライフラワーや、壁に掛けられた写真が、病院という場所のソレを紛らわすので精一杯な感じだった。

待合室には雑誌を眺めているひと、手元をじいっと見詰めているひとや、隣のひととお話ししているひとがいた。ぱっと見た感じは、病院の待合室という感じがしない。ただそこにいるひとたちの顔は、"そういう病気"を感じさせるものだった。顔色や、落ち着きのなさや、その逆で死んだように動かないひと。

初診予約の用紙記入をしている私を見るひとは、きっと何人かいたと思う。スーツを着て、ヒールを履いて、涙でぐちゃぐちゃになったメイク。鼻水をかみすぎて真っ赤になった鼻。違和感を覚えるところは他にもたくさんあったと思う。

それから2週間くらい会社をお休みして、診察日の連絡がくるのを待っていた。

お医者さんと45分くらいお話しして、"適応障がい"というものの可能性が高いと言われた。説明を受けて、効き目の穏やかな漢方薬を処方されたことも覚えている。

 

今日は調子が悪くてもブログを書こうと思っていた。私には大事な節目だから。

お仕事をお休みしたり、時短勤務にしてもらったり、やっぱりだめで休職したり。病気というものは怖いなあ、と思った。処方箋や診断書が視界に入るたびに、気分が落ち込んだ。私って病気なのか、と驚いた日もあった。

秋田の病院へ転院するときには"双極性障がい2型"とも書かれてあって、驚きを隠せなかった。お医者さんに言われたこともなかったし。

 

秋田に帰ってからは、正直あまり思い出せることがない。書き留めたものやブログを読み返さなければ、何があったか詳しく思い出せない。

毎日疲れたなあと思うことが多くなった、のは確実。何に疲れているのかはわからない。

ここで生きていること、ここで生きていくこと。考えると何から手をつけたらいいのかわからなくて、どうしようにもできない。

働いてお金を頂いて、私を生かしていくことは理解できる。ただ、できるのかが問題で。私はどこまでが可能なのかすらわからない。無理も何もよくわかっていない。今まで無理に無理を重ねて、それがたぶん知らないうちに、大きく立派なミルフィーユになった。私は無理なんて思ってなかった。思ったこともなかった。どちらかと言えば無理なんてしてこなかった人生だと思っていたし、逃げてばかりで、何かにぶつかっても大きく回り道をして無駄な汗をかいていたと思う。今だに自分でかけていた負荷は思い当たらない。

だから周りのせいにしてしまうのかなあ。実際周りはすごく刺激的なものが多かったから、ぜんぶ無くなってしまえばいいのにな、と思うことは多かった。私何か悪いことした?なんでこんなに嫌な思いしなくちゃいけないの?って。悲劇のヒロインぶっていることも多かったかもしれない。ヒロインでなくても、ずっと悲劇の渦中にいたよな〜、と思う。被害者ぶってばかりでごめんなさい。

 

今は"抑うつ神経症"とかいう"気分変調性障がい"で、私はそれに属していることになっている。文字だけ眺めると、気分が変調することなんて当たり前のことだよね、なんで障がい?と思うこともしばしば。

ただ、変調の度合いが悪い薬をキメているほどの落差で、自分という存在をどこに落ち着かせたらいいのかわからない。ハッピーでハッピーたまらない日もあれば、死にたさでいっぱいいっぱいの日もあって、真ん中にいることがほとんどない。

お薬は前ほど変わっていないけれど、足もとがふらついたりして出勤できない日があった。昨日、金曜日のこと。ただ気分は悪くなかった。精神というか、脳機能の働きが鈍っているって声を大にして職場の方にも伝えたいけれど、もう任期満了だし、やめよう。

 

書きたいこともあまりなかったけど、書きたい日だったから無理やり書いた。

地震震源地だったけど死んでないし、ミサイルも飛んできてない。生きてる。

 

真ん中にいられる私になりたい。

せめて自分がこれから調子悪くなるかもしれない、という予感を感じられるようになりたい。頭痛の予兆がわかってきたのは、はなまる。気分が掴めない。掴めたら病気でも障がいでもないか。

 

小さい頃からクリームソーダが大好き。さくらんぼはなくてもいいから、細長いマドラーのようなスプーンと、くびれたグラスにどきどきしたい。大好きな喫茶店に、人目を気にせず行けるようになりたいな。

誰かや何かに怯えて暮らして生きたくない。ため息をついて、今日もあれができなかったと泣くばかりの日が、少なくなればいい。

 

3歳のお誕生日、おめでとう。

はやく、安らかに眠ってね。

私の気づかないうちに、静かに眠ってね。

 

土曜日は午前中に起きて、お昼は父のお家でごはんを食べた。

押入れの奥から埃をかぶった、私と弟の保育園時代の"れんらくちょう"を見つけた。母が毎日保育園の先生へ、私の体調や自宅での生活を事細かに書いていたようだった。幼少期の私はとても面白かった。覚えていることは多い方なのだけれど、毎日プールに入りたがっていた私、頑なに野菜を食べたがらない私、焼き芋会をパーティと呼んでドレスを着て行こうとしている私が、そこにはいた。

 

帰ってきたのは17時頃だったと思う。急に頭が痛くなった。横になっても痛みは治らなくて、呻き声をあげたりあまりの痛さに喘いでいた。プリンを無理やり胃に押し込んで、処方されている偏頭痛薬をのんでも治らなかった。1時間は汗をかいて歯を食いしばりながら、フローリングの上で暴れていた。弟はそんな私を見ても、テレビを観てもいいかと聞いてきた。20時をすぎても痛くておばあちゃんに電話をした。2回かけても繋がらず、渋々おじさんに電話をした。奇跡的にお仕事がちょうど終わったところだったらしい。

息も絶え絶えお薬手帳などを、手を震わせながらまとめていた。おじさんが迎えにきて、後部座席に乗せてくれた。

私の手には力がもう入らなかった。これは2度目の経験で、頭の痛みもお医者さんに診てもらったところで治らないことも悟っていた。ただ痙攣して体を弓形にさせて、涙と鼻水を流しながら声も出せずにいるところを弟に見られたとしても、きっとどうこうされずに死ぬなと思ったから、おじさんに連絡した。

多分お医者さんに診てもらっても、心療内科に通院していてお薬ものんでいることを伝えたら、心療内科で診てもらってと言われるとおじさんに伝えた。突発的に頭やお腹が痛くなったことがあって救急車に乗って病院へ行っても、痛み止めを少し点滴するくらいだ、と。それをなぜか私がODとかわざと具合を悪くするためにお薬をのんだと勘違いされた。

病院でも手が震える、頭が痛い、お薬の服用時間、こういった経験の有無を看護師さんに伝えた。待合室のソファでは、くたびれたぬいぐるみのようにうな垂れていた。

診察はやっぱり思った通りで、優しい効き目の鎮痛薬を処方される程度だった。

地獄はそれからだった。

 

弟と私しかいないお家に帰らせるのは心配だからと、おばあちゃんのお家に泊まることになった。

お邪魔しますと頑張って声を出したら、おばさんが怖い顔をして私を睨んでいた。開口一番、もっと自分を大事にしなさい、と震える声で私を叱った。私は事情がわからずぽかんとしていたら、おじさんが、具合を悪くするためにわざと何かお薬をのんだんだろうと言ってきた。私は頭を抱えて、違う違うと説明した。納得はしてくれたけれど、こんなことになったら母親たちが普通は帰ってくるだろ、となった。母親たちは土曜日から東京に泊まり、日曜日から約3ヶ月の船旅に出る。でも娘が2週間以上お仕事をお休みしていて、弟も就職して家から出るのに、何ヶ月も前から予定を組んでいた、という理由で家に戻らないのはおかしいだろう、とそんなごもっともなお話だった。

いろいろお話をした。ごもっともだ。心配もしてくれている。迷惑もかけている。ごめんなさいとも思う。

でも、疲れていた。

病気を治してお仕事をして、親に見切りをつけて、ひとりで暮らすことがいちばんじゃないか、という結論に至った。そうしたいのは山々だよ。

何を話しても、どう返ってくるか想像できて、涙が出てきた。終始泣いていたのだけれど。

最後の最後には軽々しく自殺したいなどと言うなと言われた。もう泣くしかなかった。

 

お話は12時を過ぎても終わらなくて、痛みも結局治らなかった。眠りについたのも多分空が白んできた頃だった。

おじさんから、朝はいとこを起こす役目を振られたから、6時には起きていた。ずうっと死にたかった。

また頭が痛くなってきて、朝のひかりやテレビの音が刺さってきて、痛みを鋭いものにさせていた。ブランケットを頭から被っていたら、別の部屋で横になってなよ、とおじさんに言われた。もう何が何だかわからなかった。

 

日曜日のお墓まいりは結局行けなかった。頭が痛かったから、弟とふたりでいる家の、自分のベッドに死んだようにじいっと横になっていた。

日曜日の夜は3時を過ぎても眠れなかった。案の定、月曜日はお仕事に行けずじまいだった。

 

火曜日はお仕事に行った。死にたさが拭えなかった。うっすら笑みを浮かべながら、2週間ぶりに外界のひとと会話をした。指先までもが気怠かった。ぜんぶが嘘だといいのになと思った。

 

今日、水曜日はお休みをした。

眠っていた。眠ることでしか避けきれないから、涙が出てくる。

 

起きたら木曜日で、兼任しているもうひとつの職場に行かなければならない。どういう顔をして行けばいいのだろう。

にこにこしているのもおかしい気がするし、血の気の引いたこの顔で、すみませんでしたと頭を下げていかにも病気ですという顔をしているのもおかしいと思う。

 

3ヶ月前は病院で太ったでしょ、と言われて10キロ太ったことに人間としての機能不全を覚えたけれど、一昨日はかったら15キロ減っていた。そりゃあ食べたり食べなかったり、泣いたり吐いたり出したりしてるしなあ、と思った。

このまま消えて無くなればいいとさえ思った。

ゼリーやプリン、ちいさいかっぱえびせんで毎日過ごすことにも慣れた。

お友達が来るときは食べる。きっとおいしい。大丈夫。

 

痩せても太っても文句を言われるなら、最初から自分を無かったことにしたい。

夏がこんなに辛いなんて思わなかったな。

 

いろいろズレたけれど、とりあえず明日が不安。絶対、お仕事に行こう。することきっとないけど。お仕事に行ったら自分をちょっと褒めてあげられる。

褒めたらきっと、生きてもいいよって許せる。