ひどく寒い日が続いている。たまに陽が差し込んでも、空気が芯から冷えてしまっているから、あたたまりきらないでいる。

雪もだんだんと膨らんで、積もればずっしりと重い。湿っている雪が自らの重みで沈んでいるせいで、除雪車が朝まで動いている。

 

私のことをみんなと変わらないよ、と言ってくれた友人がいる。

私は他者と変わっているということを主張したいわけではない。そもそも、どこがどう変わっているのかは、私と他者との間にズレが生じていると思う。私は私以外のその他大勢の大半のヒトと、社会的足並みを揃えることができていないことは変わらない事実だ。

変わらないよ、ということばは、ありがとうと受け止めたらいいのか、なにが変わらないの?と質問をしたらいいのかわからない。きっとこれを書き終えたら、ありがとう、と書くだろう。

質問をしたら嫌味で、ひねくれたやつだと思う。そこまでわかっていてもそのことばにひっかかる私は、もう嫌な感じだ。

 

数日前から2ヶ月ほど姿を見せなかったおやつを見た。私を見かけたとき、最初はヒュッと車の陰に隠れた。どうしたの?という私の声を聞くと、足元にすりよってきた。

とても綺麗な毛並みで、きっとここの家はたまに遊びに来る用の家になったのだろう。それと、声がすこし小さくなっていた。あんなに大きな声を出せたおやつが、上品になっていたことに私は驚いた。

 

たべものを詰め込む行為を、控えられるようになった。ただ、飲み物もとらないことが多くなってきた。おかげで目眩がひどい。

しっかりとわかっているはずなのに、しない・できないということは、知能の足りなさと一種の贅沢を覚える。選択肢があることはすべて贅沢だ。

 

今日はゆっくりと眠る予定だ。予定通りに進められるよう努力をする。これは必須課題だ。

24日17時半頃、私の2ヶ月間のひとり暮らしが終わった。

朝、母からの着信で目が覚めた。音を消して、またベッドへ戻った。お昼頃にまた着信があった。これは音を消したままだったから、気づかなかった。後で画面を確認したら着信を知らせる文字があった。それと、今日の夕方に帰るというメッセージ。それを確認したのは14時過ぎ頃。頭が痛かった。

 

軽く掃除機をかけていたし、食器も割ったりしていないし、水回りのお掃除もしていたから、文句を言われることもなかった。

ただただ顔を合わせることが苦痛だった。なにも理由などないのだけど、声も聞きたくはなかった。

玄関の鍵がはずされる音がしたけど、毛布にずっとくるまっていた。母の車は動かないから、私の車の鍵を借りにきた。バッグから鍵を出して渡すだけなのに、涙がでてきた。

 

夕方まで頭が痛いし、月のものの痛みでベッドで動かないでいた。鎮痛剤をのまなければ意識がなくなりそうなくらいまできたから、自分の体じゃないような脚を動かして階段を降りた。居間には母親のパートナーがいた。わけもなく死んでしまえばいいと一瞬思った。

台所でゼリーを詰め込んで、なんとか自室に戻り鎮痛剤を流し込んだ。それからまた少し眠った。

 

22時半頃、ひとりになりたくなって、車を走らせた。あいているお店なんて数える程しかない。静かなファミレスでフルールドロゼとかいうフレーバーティーをのんだ。

ティーポットにお湯を注ぐと、ばらのはなびらが疲れたようにぐっしょりとしていた。なにも綺麗ではなかった。ピンクペッパーがなぜか入っていた。香りはとても好みで、甘酸っぱい可愛い香りだった。ローズヒップティーと似ていたけど少し違って、酸味の控えめな紅茶だった。

 

0時を過ぎた頃に帰った。母がまだ起きていたのが計算外だった。こんなにひとりになりたいと思ったのは久しぶりだったから、話しかけられることが苦痛だった。

 

今はまた頭が痛くなってきたから、鎮痛剤をのんで、眠る努力をしているところ。眠さが近づいてこないから、そちらのお薬もあわせてのんだ。ぜんぶで7錠。これで良くなったと思ったことは、たったの1回だってないのだから、笑ってしまう。

 

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これを聴いている。なんだか、とても寂しい気持ちになる。聴いていると会いたいひとが数人浮かぶけど、こんな私じゃ楽しくないよねって、落ち込んでしまう。

無条件で愛されたいなあ。

 

先日、父とお買い物をしている途中、つけなくなった腕時計を売りに行きたいと言ったら、腕時計は持っていないから欲しい、と父が目を輝かせていた。ユニセックスなので、電池交換と短くしていたベルトを足してもらいに時計屋さんへ行った。父は自分の左手についた少しごつめな腕時計を眺めて、満足げにしていた。可愛かった。

 

私はここ2週間で服を数着、靴を2足、腕時計をひとつ、お財布、ハンカチ数枚、ポーチなどなどを買い漁り、散財した。いくつかはプレゼント用。素敵に包まなければならないから、包装用のなにかを買わなくてはならない。起きたら父とまたでかけよう。

 

あたたかいなにかをのみたいけど、あたたまるために自分がまた冷えるデメリットを考えるとベッドから出られない。ベッドサイドに蛇口とケトルが欲しい。

 

来週からは何かしていなければ怒られるから、しっかりと働きますという姿を見せる。予定。

でもひとが帰ってきただけで、私はこんな風になってしまう。

はやくひとりでいろいろなことをできるようになりたい。ひとりになるための経済力さえあったらな。

お金がなければ、気持ちに余裕がなくなる。お金があれば、すこしひとに優しくなれるのはなぜだろう。私だけかな。

 

ちゃんとしなくては。

ちゃんとって、どんなだったかは忘れてしまったけど、普通のひとに見えるように、振る舞わなくては。普通のひと。

ちかく、雪が降るらしい。夜はコートを羽織っても冷たくて、マフラーが欲しくなるようになってきた。

 

ごはんもろくなものを食べていなくて、私は着実に防御を固めてきている。食べるという行為よりも、詰め込むという作業に近い感覚。土鍋でインスタントのらーめんを作っては詰め込んで、また作っては詰め込んで、ナタデココのゼリーを詰め込んで、大きなポテトチップスまで空にする。ひと通り落ち着いたら、何でこんなにも満たされないのか、お腹の痛みとともに冷静になって考える。

一昨日は朝方に急激にお腹が捩れるように痛くなって、お手洗いへ駆け込んだ。シャワーを浴びたくなるほど汗をかいたけど、疲れてもう動けなくなっていた。

 

何週間何ヶ月単位で書かなくなったブログに手を出したのは、今日みた夢のせいかもしれない。

今日はまた朝方に目が覚めて、それからまた眠った。約束があったけど、また今度にしてもらった。お薬をのんで眠ったから。

朝からお昼にかけてみた夢は、歯医者さんに行く夢だった。

私は幸運なことに今まで虫歯になったことがない。今は定期検診に行っていないからわからないけど、頬が腫れたり歯茎が膿んでいることもなく、歯もいろいろなものを丁寧に噛んでくれている。それなのに、歯医者さんの夢をみたことは衝撃的だった。

私はなぜかたくさんの番号札を持っていた。お医者さんのカルテを盗み見たのではないかと看護師さんに言われ注意された。なんでこんなに不思議なことが起こるのだろうと思っていたら、私の名前がようやく呼ばれた。

診察室にはまだまだ患者がいて、これからまだ待つのかと憂鬱になった。ふと、従姉妹がそこにいることに気がついて、おばさんも一緒だったのを見逃さなかった。実世界では、いろいろというわけでもないけど、私はおばさんと今すこし距離を置いている。私がいるとおばさんが気づいて、私のほうに歩いてきて、平日のこんな時間に病院に来られるお仕事をしているのね、と言った。

今働くことをお休みしている実世界の私は、その一言に打ちのめされて、もっとおばさんに会えなくなるのではないかと思った。実際起きてから憂鬱で堪らなかった。はやく働かなければいけないという自分でかけた呪いがとけない。お休みをするという選択をしているのも私だけど、お休みをしても休みきれていないのが事実。こころが罪悪感でいっぱいだから。

 

どこへ行っても知らないひとしかいないところへ行きたい。私が働いていても働いていなくても、誰も何も思わない、そんなところへ逃げてしまいたい。逃げるは恥だが役に立つ、とはこういうことなのかなと、すこし思った。

 

世の中から少しだけ必要とされるのであれば、それで衣食住に困らないだけの生活でいい。あとは何もいらない。いちばん贅沢なことだとわかってはいるけど、今このお家で過ごしていることが、いちばんの足枷だとも思う。他人のことで悩んで泣くより、自分で自分に困って自分だけ泣くことのほうがよっぽど楽だ。私も私で困り果てて、泣いても何をしてもどうしようもなくなったら、悪友の彼にとりあえず相談する。どうしようもなくなったら世の中とお別れしよう。結構頼りにしているんだなあ、と思って笑ってしまう。

お互いが当たり前のように、お前のこと好きだからって言えることってすごい。好きって、付き合うとかそういう好きじゃなくて、ただ単に好きということで。何か面白いことがあったら、でんわをかけてみたり。それを素直に面倒だと言えたり。くっついたり離れたりして、ようやく今の距離感が掴めた。好きだから恋したら応援するし、同時にヤキモチもやく。なかなか器用だ。

 

関東に行ったときはなにをお話ししたらいいのかわからなくって、終いには辛さで胸がきつくなって泣いてたけど、また会えたらいいなと思う。

そのときは一緒にお酒がのみたい。

ちゃんと笑えたらいいなと思う。

寒さがぐんと強まってきて、しっとりとした毛並みの毛布がからだに触れるのが心地いい。

冷たい雨が続いている。秋はそこまで嫌いじゃないし、好きなのだけれど、最近は寂しい季節だなと思う。葉が色を纏って、深めて、落ちるのは、とても寂しい。落ちるために芽生えたのかと考えると、また寂しくなる。ごはんも美味しいけれど、ひとりでいただきますとごちそうさまを呟いて、自ら作ったものを無表情のままくちに運ぶことが苦痛だ。きっとそんなふうに食べられたら、そんなはずじゃなかったのにって、食物は思うと勝手に考えている。

 

なんだかとても朝が嫌いで、また朝に眠る習慣を取り戻してしまった。なんだか、なんて言ったけれど、理由は大体わかっている。他人とふつうを共有することが、いまの私には苦痛だからだろう。朝起きて、食事や身支度を整えて、学校や職場に向かうであろうその時間。考えただけで気分が悪い。社会の歯車にさえなれていない私は、朝の素敵な陽射しも、小鳥のさえずりも小さな棘で、それが大袈裟に刺さる。痛い。

 

もやもやとした気持ちと罪悪感は、働けば拭えるのだろうか。

働いて働いて働いて働いて、そうすれば私は私を認めて、赦せるのだろうか。

 

障がい者、という大きな枠に入ろうと考えているけれど、周りのひとから、いつまでも障がい者としているのかと、尋ねられることがあった。いつまでも障がい者でありたいひとって、この世にいるのだろうか。

ぜんぶぜんぶ、あなたのせいだよ、これはそれのせいで、あれはあのひとのせいで、私はいま、こんな風になってしまいました。そう言えたら、そう開き直ることができたら楽なのだろうけどね。私はそんなこと思わないし、私は私のせいでこうなってしまったと、この3年間思っている。少なくとも病院に通い始める5ヶ月前、働き始めてからはぜんぶ、私は私のせいだと言い聞かせてきた。いまもそれは変わらなくて、どうしても責めてしまって、負わなくていいものまで負ってしまった。バランスをとることがこんなにもむつかしいことだなんて、平均台でジャンプをして遊んでいた私にはわからなかった。

 

起きたら病院で、頭痛薬を処方してもらわなければならない。お薬手帳もいっぱいになってきている。スタンプラリーだったら5冊は制覇している勢い。眠ることもほとんど諦めているから、導入剤はいらない。新しく届いた書類も提出しなければならない。

書いているだけで目まぐるしい。泣いている。どうしてだろう。

 

嫌な気持ちという存在は誰しも抱えているだろうけれど、私はなぜこんなに抱えきれないほどの嫌な気持ちを拾い集めるのだろう。

ごみ拾いなら褒めてもらえるくらいの、大きな大きな黒い塊。もしかしたらグレーの埃みたいなものかもしれない。とにかく、それが私の首を締め付ける。息をする度に涙が出る。

呼吸と付随して涙が出ることが、正常ならいいのに。そうしたら、私はひとつ、私を赦すことができる。

 

なにひとつ赦せることなんてないから、ひとつひとつ溶かして、向き合わなければいけない。それか、記憶喪失にでもなりたい。誰も知らないそんな世界で、私はひとりで生きてみたい。寂しいなんて感情もしらないまま綺麗な砂浜に寝そべって、波に揺られて、砂にでもなりたい。

 

ひとである。たったこれだけのことで、こんなにも嫌な気持ちになるなんて、もうそれはそれはすごいことだと思う。一種の才能であってほしいとすら思う。

 

たまにだれかから頂いたお手紙をあけて読むことをやめた。過去にとりつかれることは、減らしていきたいから。いまで悲しい思い出になってしまったものは、すべて燃やした。

火が、とても綺麗だった。

さいたまと千葉に1週間ほど滞在。

2,3日は暑くてずっと汗をかいていたのに、それを過ぎたら薄手のコートを羽織るくらいの涼しさになった。

 

さいたまでは今では悪友のような、私の管理人のような元彼と会って、いろいろな場所に連れて行ってもらった。なんだか上手く話せなくて、とても後悔している。

初日の晩ご飯の時間がいちばん楽しかったなあ。しゃぶしゃぶを食べて食べて食べまくって、私だけで薬味のねぎを2本は食べた。それからカラオケに行って、酔っ払った彼はビールを振って、テレビにぶちまけた。私は一生懸命拭いて、怒っていたけれど、笑っていた。

私もお酒が飲みたかったけど、看護士さんの彼を目の前にして、暴走してしまう私を見せたくはなかったから、自重した。

なんだかんだ文句も言いつつ、彼もお仕事をしていて、遠い世界のひとに見えた。たくさん食べて、たくさん飲んで、ぐっすりと眠ってお仕事に行く。それを当たり前にこなしている彼が、とても遠くなってしまったような気がした。世間一般の当たり前をこなす彼が羨ましかったし、それから少し距離をとっている私を後ろめたかった。

 

千葉では1日1食の食事とセックスを楽しんだ。これだけだとおかしい(これだけでなくてもおかしいけど)ので、いろいろ書き足す。

千葉に着いたのは18時くらい。縁あって2月にセックスしたひとと、また会えることになった。ちょっとしたトラブルから滞在期間が延びてしまって、その間お世話になった。

着いた晩はすぐセックスして、済んだら彼は副業に向かった。帰ってくるまで、私は平然とシャワーを済ませて持ってきた本を手にとり読んでいた。

一応お布団を用意してくれていたみたいだったけど、ただただ寒くて眠れそうにないという理由で、彼のベッドで眠った。あたたかかった。涙が出そうになった。

次の日は休日出勤で、彼がお仕事に行っている間、サムゲタンきんぴらごぼうを作った。ひとのためにお料理をすることは久しぶりだったし、緊張した。掃除機をかけたりもしたけれど、お掃除がいちばん苦手な私は彼の帰ってくるギリギリまで手をつけなかった。

彼が帰ってきて副業まで少し時間があったから、サムゲタンをあたためて食べてもらった。風邪ひきだと聞いていたから、ねぎもたんまりと入れてみたやつ。美味しいと言ってくれた。嬉しかった。

彼が副業に行っている間は、また本を読んで時間が過ぎるのを待った。眠りはしなかった。私は、彼が帰ってきてから私を求めることが、何よりの精神安定に繋がると知っていたから。

4泊して毎日彼と交わった。馬鹿みたいだなあと思う。こんな風なことでしか、自分を認められないのかと思う度に、容姿がよければ風俗で働きたかったと真面目に考える。それでまた、馬鹿だなあ、と落ち込む。

 

秋田に帰ってからは、まだ知っているひとに会っていない。会いたくない、という気持ちが強くてこころが定まらない。

できるのなら、私はセックスがしたいですと街中で言いふらしたい。一晩で記憶がリセットできたなら、どんなに楽だろう。

私は毎日夜を楽しめる。気持ちがすこし満たされる。私は私を認めてあげられる。

 

私が性的な行為以外で自分を認めてあげられるようになるまで、どれくらいかかるのだろう。性的な行為以外でとは言ったけど、ほかに何があるのか。私が私に満足することや、私を褒めることができるのは、他のひとが必要だ。自分ひとりで自分を認識したり許容することが、今の私は他者に比べて容易ではない。

なにがこんなに複雑に絡まれば、私になるのだろう。

私は私がわからない。

 

もっとうまくお話しできると思ったし、もっと目を見て笑うこともできると思った。

何もかもうまくいかなくって、私といることはさぞつまらないだろうなあと、相手のことばかり考えて、自らを暗い崖に突き落としてしまった。

いつものことだけどね。慣れたくないし、慣れない。

 

10日のお昼少し前。なんだか最初はどきどきしてしまった。

久しぶりという声も、ありがとうという微笑みも、ぜんぶぜんぶ、ごめんねという俯きになった。

だから、今日は泣いてもいいから本当にありがとうと言いたかったし、馬鹿みたいだけど、死んだらいちばんにお葬式に来てねって伝えたかった。お金なんていらないから、眠った私にばいばいって声をかけてほしい。

会えないから、私が最期を迎えても、彼はきっとどこでもないそこを見つめて煙草をふかすだろう。

 

一昨日の夜には少しだけ笑えたのに、昨日はお手洗いに向かう度にお薬を流し込んだ。これをのめば少しだけだとしても、笑えるんだ、ありがとうが言えるんだって、言い聞かせた。実際、ほんの少しの勇気を持ち合わせていなくて、できなかった。

 

恋とか友情とかそういうものを超えて大事にしたいひとなのに、その対象に限って何もできなくなってしまうのはなぜだろう。

私は手を伸ばしてから後悔するタイプだったはずなのに、伸ばしてもいないまま泣いている。

地元に戻ってもきっと連絡くらいとれる。だけど、それじゃだめなのはなぜなのか。こんなに意固地になっている私を、私は見たことがない。

 

今日あたためたことばを、今日のうちに届けたかっただけ。

あたためなおしたことばは、きっと然程変わりない。私がいま積み立てて、組み立て直した、今のことばを届けたいだけ。自己満足。

 

きっと彼にはわからない。伝えもしない。

昨日見た彼が私にとっての最後の背中だと思う。

会いたくないのでもない。会わないのでもない。

そうっと、閉じ込めておきたいのかもしれない。

 

会いたいなあと思う。すきだなあと思う。

それだけ。

ここ何ヶ月かは雨が降る度に警報が出ていたここ秋田。

川の水が溢れかけて、父の家は床上浸水。いつもの田園風景は、茶色の水で覆われた大きな大きな川の支流のようになっていた。

幸い、人的被害がなかったのは、何年かに1回このような出来事があるからで。でもそれが再び起きないよう整備していく財源を、花火でしか賄えないこの街がもう頭が足りない。花火を毎月あげようとかどうでもいいから、あの毎回水に浸かる地区の人たちのために集合住宅でも作ればいいと思う。区画整備の時につくったように。こんなこと一個人のブログに書いてもどうにもなりませんけどね。

いま降っている雨は、心地いいもので。久しぶりに落ち着いた気持ちで、音を聴いている。しとしとと降り続いて、鉢植えの緑にぴちょんと跳ね返る音。心地がいい。

 

9月いっぱいで任期満了の学校でのお勤めが終了した。

10月に入ってからは誰もいないこのお家で、私はずっとベッドに潜っていた。なにかでこころの隙間を埋めようと、お友達にラインしてみたり。お友達のお仕事のお話しを聴いて、若干落ち込んだり。下らない学生時代のことでげらげら笑ったり。

月曜日の夜のバスで東京に行くことになった。帰りのチケットは買っていない。いつ帰ろうかな。

したいこともあまりなくて、ただ何人か会いたいひとがいるだけ。そのひとが楽しそうだったり、直接声を聴くことができたら、私はきっと嬉しい。だから、元気なうちに馬鹿みたいに遊んでやろうという、強硬手段にでている。これは元気なときの特権で、そうでないときは絶対絶対絶対できないこと。自己暗示をかけているのかもしれないけれど。体調が悪くなったら楽しめないのだし、楽しいことを楽しいと感じられるときには存分に私の感情に触れていたい。

 

寒いのか暑いのかよくわからないから、Tシャツもニットも準備した。秋田から出るのは夜だし、冷え込んでいるだろうから薄手のコートを着て行こうと思って、それも準備した。

ひとりで過ごす時間もあるのかなあと思って、文庫本も用意してみた。敬愛している森博嗣様の、四季の春と夏。べつなものも用意していたのだけれど、お気に入りすぎて読めなかったらショックだろうからやめた。

 

今日は夜から短大のお友達と夜ご飯をしにおでかけ。明後日、日曜日には美容室に行く。5ヶ月ぶりにカット。伸びたのはいいけれど、ハネがすごいからまた切るのかな。私はいつの頃からか腰まで伸ばすことを諦めてしまったようだ。我慢、というものができなくなってしまったのだろうか。

 

最近の私は専らLORDEのMelodramaを、運転しているときはずうっと聴いている。PURE HEROINEの癖のあるアルバムも好きで福島にいるときはヘビロテだった。

スモーキーな歌声とか、グルービーな感じがとにかく私の好みだということがわかったのが大きな収穫。LORDEと藤原さくらに出会えてよかった。吉澤嘉代子も好きだなあ。

ちなみに吉澤嘉代子の最近のリコメンドです。

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久しぶりに観たルパン三世のEDもリコメンドです。

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素敵な音楽を聴いていると、私もこんなふうに素敵な時間を過ごしてもらえるようなお仕事ができたらいいのになあ、と思う。

できることとできないこと、控えたほうがいいものといった制約が多くて疲れる。

できることができる時間と体力と精神力がほしいな。

そしたらこんなことになってなかったのかな、なんて。もう遅いんだけどね。

 

今日は雨音とひんやりとした寒さの中、そろそろ眠ります。

おやすみなさい。