■
暖かさを含んだ風に水仙が揺れて、沈丁花の香りがとどくようになった春。
春も盛りなのかなと考えていたら、桜の蕾がすこし膨らんでいた。まだ春のピークは終わっていなかった。
今日は2時間くらいお外をふらふら歩いてみた。土手でうたを口ずさんで、児童館のブランコを漕いで、小さなスーパーでおつかいを済ませた。
地元に住んでいるけど、知らないお店や新しい建物がにょきっと生えていて、その小さな気づきが、ちょっとした勇気になった。なんの勇気なのかは目下思考中。
とても有意義だった。私とは違うひとたちが、違うことをしているのを眺めることが。この時間帯は親子で自転車に乗っているのかとか、おばあちゃんが大きな段ボール箱を抱えてお買い物をしているのかとか。こうやってお外に出なきゃ、私はきっとお家にいることが悪いことだってずうっと考えていただろうから。
きれいだな、すてきだな、と思ったものにカメラを向けることは少なくなった。
じっくりと自分の目でみつめて、ゆっくりと匂いをかいで、そうっと触ることのほうに価値があるんじゃないかなと思ったから。頭が抱えきれない情報を集めることをやめて、だいぶ楽になった。
クリアな思考が続けばいいなと思う。
ずうっと透明になりたいなと思った。
■
屋根から落ちる露がやさしく地面に着地している。
もうあたたかな春がそこまで来ているのに、私はまだ動かなくて、涙が止まらなくて、冬に閉じ込められたいとすら思う。
すき、という気持ちは、私の中に存在するのかどうか、考えるようになった。
今までしっかりとすきなひともいたし、すきな食べものだってあったけど、改めて考えてみた。私の中のすきのコレクションからは全部消えている。
なんで?どうして?すきだったのに、なんでなくなってしまったの?とすら思わない。執着心がないからなのかなとも思ったけど、私はすきなものを自ら手放すことによって、自分が傷つくのを回避していただけ。
すきなものをきらいなものになる瞬間、そのほんの一歩手前で私はお別れをすることにした。
私が自分の意思で、すきでなくなったものと思えるように。
今の私はゼリーのようにキラキラしているけど、触れたらすぐにぐちゃぐちゃになってしまうような好きなものにしか囲まれていない。
なんだろうね、この気持ちは。
本当にすきなものに巡り会えたときに後悔するのは目に見えていることもわかっていたのに。
たくさんの嘘と見栄といっしょくたになった虚栄が、ゼリーの中身になって私を見ている。
きらいと言われる前にもきらいだよって言いたい。
怖いから。
突然のさようならも今は耐えられない。
自立歩行の前にゼリーを壊して、綺麗な標本箱を見繕えるようになりたい。
すきなものができますように。
■
雪が降らずに雨が続いている。
雨の降る音は好きだけど、雪の降る冷たさの方が好き。静かに、息がつまるような冷たさ。
冷たさの中に身を置くことにも慣れるというか、寒いなあと思いながら、擦り寄るおやつが殊更可愛く見える。寒さで3割増しの可愛さ。
最近、CYNというアーティストのTogetherという曲を聴くことが多い。すこーし昔の流行った感じの曲調の中に、可愛いことばが散りばめられていて、リリックビデオがなんともあたたかい気持ちになる恋人の距離感。
体調が良いとこれを聴きながら運転したいなと思う。
ここ何日間かは眠れなかったり、眠れたと思ったら僅かな揺れと音に意識が自分の中に引きずり出されてしまう。中に引きずり出す、という表現はおかしいと感じるとは思うけど、睡眠の概念が崩れてからは、こう表現すれば自分が納得するようになった。
わざわざ自分の外に自分を置いて休ませているのに、なにかの拍子にその置いていた自分をまた自分に取り込まなくてはならない。
きっと運転をすると危ないなあと思っているから、控えている。お金もないし。
精神的にもなぜかやられている。
眠れないまま、朝のうちに居間に行くと驚かれる。暫しの無言。飲み物をコップに注いで、自室に戻るまでの息苦しさ。
眠られればいいのに、意識がぴったりと私から離れてくれなくて、眠れることを祈りながらずっと横になっている。
眠れたと思ったら、他人のいる前で食べるという行為をしたくなくて、誰もいないときを見計らって何か口にする。口にするとは言っても、通常健康な女性の1食分くらいのカロリー。横になっているだけの私には、食べ過ぎなくらいだ。
食べなさいと言われるのも疲れるし、食べないと答えるともう食べるなと言われるのも面倒だし、また逆に心配されてこれ買ってきたからと言われるのも疲れた。
あるのはお茶だけでいいのに。
栄養もまともにとらずにすんなりと死ねたら、きっとみんな楽だしさ。
ここ何日かひどく浮き沈みがあって自分に疲れていたけれど、今日はなんとかやっていけた。日にちは跨いでしまったけれど。
お腹と腰が苦しい。重いという表現を使おうと思ったけど、お腹には使えても腰には使えないかなと思ってやめた。私の基準だと腰は落ちるところがないから。もし落ちたら、脚が短くなるだけ。考えたくもない恐ろしいこと。だから、重いということばは使わない。
眠さがきた。
しっかり眠れたらはなまるにしようね。
おやすみなさい。
■
眠れたのに結局起きてしまって、終いには首が痛くてまだ眠れていない。頭痛にはだいぶ慣れてきて、「あ、これは痛くなるやつだ」とわかるようになってきた。
首が痛くなるのは初めて。コリのような感じ。ずっと重くて、違和感。重いといえば下に落ちるイメージだけど、首が重いのはニュアンスでしか伝わらない。肩が重いのは下に落ちる余力があるからで、首はそんな余力、どこにもないと思った。
以前、50代の女性から、「やっぱり、ニュースは新聞紙で読まなくちゃいけないのよ」と言われた。なにがやっぱりなのか、なぜ新聞紙なのか、なぜそうすべきなのか、私にはさっぱりわからなかった。
インターネットで様々な情報を得られるし、新聞の記事だってウェブ上で同じものが見られることもある。"新聞紙"という媒体に拘る理由が考えてもよくわからなかった。
インターネットが危険性を孕んでいることは勿論考えなくてもわかる。ひとつのニュースだって、膨大な情報量になり世界に発信されている。ユーザーがいればいるほど、精細な情報が隠れてしまうことも多い。ニュースにコメントを残したものを、そのまま鵜呑みにしてしまうユーザーもいるだろう。
"新聞紙"にはその可能性はないのか。書き手がいるのだから、正確な情報がそこにはあっても、ひとつまみの感情が存在するのではないか。書き手は人間なのだから、仕方のないことだろうけど。
新聞紙の記事もウェブ上のニュースも、自らどれが必要な材料なのか見極めること、それにどう思うのかを考えることが、"やっぱり"しなくちゃいけないことだと思う。
学生時代は"新聞"を読みなさい!と散々言われてきた。受験シーズンとなると殊更に強調された。それは自分をふるいにかける人間が"新聞"を読んでいる人間だからなのか。見出しや社説、政治欄は絶対質問されるぞ、という先生のありがたい忠告はいつまで存在するのだろう。
世代が変わって新聞という読み物が珍しいものになったら、ふるいの掛け方も変わってくるのだろうか。
あなたはどのニュースアプリでなんのトピックをよくご覧になりますか?ちなみにどんな言語でお読みになりますか?なんて質問が出てきたら、世の中変わったんだなあ、としっかり思うことができそうだ。
鎮痛剤と寝る前(8時間前)にのんだ睡眠導入剤のおかげで、てもとがおぼつかない。さっきはお手洗いで便器に顔を突っ込みそうになった。
眠れないのに体は眠ったふうになるなんて、とても不愉快なことだと思う。
■
いつも、新しいシャンプーを使うときは、どきどきする。
今日から使うことになったシャンプーは、ひとり暮らしをしていたときも使っていたものだった。ほどよい柑橘とハーブの香りのブレンドが好きで、何回かリピートしていた。
お風呂から上がって髪を乾かすときは、ケアワックスまで使った。あまりにも寒い場所に保管していたものだから、固まってしまって、指でとるのも一苦労だった。今まではねていた毛先がふんわりと潤いをまとって、ゆっくりと胸元に落ちた。
市役所には今日も行かなかった。本当に、行かなくてはいけないから、こんな風に夜にグズグズしていてもしようがない。
市役所の正面入り口からすぐに、地元の知り合いがいることが本当いや。次に嫌なのは福祉課から、間違えて他人の個人情報が書かれた書類を送られてきたことがある。それを思い出すと、私の通っている病院やお薬は知らない誰かが知っているんだろうなあ、と落ち込むこと。
役場とか公務員の方が嫌いなわけじゃないけれど、目につくことが本当に多い。ビデオ会議なのか知らないけれど、イヤホンをしながらじっとこちらを見てくる職員。すごく忙しいときに申し訳ないなと思いながら話しかけると、本当にイラッとした顔をして事務処理を行う職員。私が何か悪いことしたのかなあ、と毎回考えるけど、思い当たらない。何か粗相をしていたのなら、申し訳ないなあと思う。
私はまだ"確定申告"もしたことがない。勤め先がやっていてくれたし、年末調整とか、いろいろ。もうわからないことだらけ。
しかも手帳が届かなければ、"私、障がい者です!"と表すものもないし、それによっては控除がどうのとかあるらしいから、どうしたらいいのかわからない。
わからないことだから調べようとすると、今度は頭がついていかなくなる。都合よく疲れるという仕組みなのか。もうすこしひとの目を考えた頭の作りにしてほしかった。
病院も就労支援センターも、ハローワークにも、手帳が届いたら来てくださいねと言われている。すごいなあ。文字に起こしただけで行きたくなくなった。
手帳って、どんなだろう。
私、これからどうなるんだろう。
漠然とした不安が続くのは、病気だからなのか、気質なのか。
ここ数日、ことばがグサリと刺さったまま抜けないことがしばしばある。一昨日と昨日は、母親とそのパートナーを頭の中で刺し殺した。
いつ、包丁を握ったらいいんだろう。私は私が死んでも、こいつらがのさばって生きていることを、許せるのか。
私が殺さなくても、いつかときがきたら、神様が殺してくれるんだろうな。神道だから、お祝いだね。
頭の中がシリアルキラーすぎて怖い。どうせ実行なんてしないのだから、ただのキチガイだと思われるんだろうけど。
私はもっと前、眠くなかったら母親を殺そうとしたことなんて何回もあったよ。眠ったら、いい母親になっているんだって、信じていた時期もあったからかな、しなかったけど。
いい母親になんてならなくて良かった。ただ可哀想なはるかちゃんって、親戚に言われるのいちばん辛かったなあ。よくもまあ言えたよなとは思うけど。
可哀想なら守ってくれてもよかったんじゃないのかな。
■
2018年が始まって、9日も経った。
あけまして、おめでとうございます。
去年の後半からはゆっくりひとりで生きていたけれど、これからは社会の歯車としてすこし頑張ろうって気持ちです。
成人の日、ということで苦い思い出がひとつ浮かびました。
私は周りのお友達みたいに容姿だって良くなかったから、お写真なんて本当は撮りたくなかった。ただ、周りのみんなが、前撮りだ〜って短大の時にきゃっきゃしながら、振袖を選んでいたのが羨ましかった。
短大を卒業して、4年制大学に編入して、卒業も近くなった頃、袴で式に参加することというルールがあった。その頃は母も私と疎遠だったし、祖母も就職したら会えなくなると思って、振袖のレンタルをしたんだった。
祖母が先に来て、私の着たかった緑の振袖をみて、綺麗だねえと一言呟いた。それから母が来て、私がいちばん着たかった緑の振袖を却下して、安っぽい赤の振袖にした。メイクや髪もおめかししたのに、誰一人、私とは写真に写りたがらなかった。母が来て、写真用の笑顔を作ると、祖母は帰ると聞かなかった。せっかくだからお祖母様も、とカメラマンの方が促しても祖母は頑なに動かなかった。
私がすこし悲しそうにすると、祖母はにこりともせず、1枚の写真に収まって帰った。
こんなふうになるはずじゃなかったのに、と私は私を責めることしかできなかった。
そう書きたかっただけです。今日は。
眠れますように。
■
たった今、炒飯を食べた。2,3日前からずっと、細かく刻んだかまぼこの入っている炒飯が頭から離れなかった。
私が作った炒飯は、ただの玉子かけごはんに中華味のチューブを絞って炒めたものだった。頭から湯気が出るほど炒飯を食べたくなったのは初めてだった。
フライパンにごま油をひいて火をつける。あたたまったら冷やごはんを入れる。私の頭の中には、もう出来上がった炒飯しかなかったから、作り方なんて何も考えていなかった。何も考えていない私は、そこに生卵を入れた。慌てて火を弱めて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜた。かたまっていたごはんは肉団子ほどの大きさにほぐれて、玉子もすこし火が通ってきていた。中華味のチューブを規定量(誤差はマイナス5mg以内)入れた。ひたすらに菜箸でかき混ぜたら、5分くらいでごはんが7割程度ほぐれた。そこでなぜか私は得意でもない煽りを入れた。奇跡的にこぼさないまま、3分はフライパンを寄せては返した。手が痛くなってきてようやく、ああ夢中になりすぎたのだと気づいた。
お皿によそって、噛んでは飲み込んで、またそれを繰り返し、胃に詰め込んだ。何日かぶりの感覚だった。
お茶碗2杯分くらいの炒飯を、ものの3分で平らげてしまった。
過程の方が短いことに、最近は嫌気がさす。なぜだか。
驚くほど炒飯が食べたくなったものだから、元気があるものだと勘違いをしてブログを更新している。書いてから、そのようなものはまだそれほど持ち合わせていないことに気づいた。
中華味のチューブ、とか、中華の素、とか、なにをもって中華味とつけているのか、よくわからない。ただ、中華味という認識は大体のひとと一致しているから、面白いなあと思う。
暗黙の了解、その内々の決まりごと、そういうものの更に大きな括りの中で認識されるものは、世の中にどれだけあるのだろう。
私が通院して治療しているものは、きっと中華味の認識よりは広くもなっていない、深くもなっていないことは確実だ。
今日はすこし遠いところにある病院へ行った。こちらは皮膚科。1年以上悩まされていた頭皮湿疹の診察に伺った。いい先生だよ、丁寧にやってくれるよ、と聞いてはいたから期待していた。けれど、私の患部は襟足のほうだったから、ずっと下を向いていた。看護師さんやお医者さんに挨拶することもできず、何を塗られたのかもわからなかった。最後に病院に置いているシャンプーを頂いた。それを渡してくれたのはきっと看護師さん。彼女の笑顔はあたたかかった。
来週、経過観察ということでまた来てくださいと言われた。こんなにも予定が入ったことは久しぶり。
帰り際、父にでんわをしてお昼ごはんを食べに行くことになった。今回はお蕎麦。天ざる。私の食べる天ぷらは大葉とかぼちゃとさつまいも。ほとんどが父の天ぷらになる。
それから、父の家へ行って多肉植物を3種類選んだ。手軽で丈夫で可愛いガラスの容器が見つかったから、それに土と水を入れて、その植物を植えた。これはいつもお世話になっている方へ。まだ小さいけれどすぐに増えるらしいから、元気に育ってほしいなあと思う。
こちらは雪が続いていて、道路はがたがた。空は白くて、灰色で、とても優しい。空気はつんと澄んでいる。とても好きだ。
これから数日は雪が雨に変わるらしい。名残惜しいけど、少しの間のおわかれ。
連絡をしてくださっている方、お返事できず、ごめんなさい。生きてはいるのですが、生きづらいです。きっと、お返事します。ごめんなさい。
雪が解けても連絡がなかったら、私はきっと雪だったんだなと思ってください。薄情で冷たくて、うんざりするような、そんなひとであったと思ってください。