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たったさっき、のばされた手を払いのけてしまった。たったそれだけの話。
きっと私は、母親との関係を心のどこかで修復したいと思っている節がある。
だから、期待しているときたったひとつのヒビがはいるだけで、打ちひしがれてしまう。
手応えのあったテストが60点で返されたときの気持ち。ようやく色づいてきた花が、雨で萎れてしまったときの気持ち。大好きだった本の文字を、目で追えなくなってしまったときの気持ち。
私はきっと、受信できる周波数の数がひとよりも多い。
だからこんなにも辛いなあと、そう感じることが多いのかもしれない。
昨日の夜から気持ちの波が大荒れ。
それはきっと、私がまだこどものときと同じなにかを持っているから。
捨てることも放り投げることも出来ない。ただずっと、今の私には大事にしている毛布のように握りしめていなくてはならない。
でも本当は、新しいなにかに更新しなければならない。
ずっとこどものままなんて、許されることはないから。
長い冬。
ひんやりとした空気が好きだ。
ひとりでいることを肯定してくれるような、そんな空気。
ひとりで闘うことを余儀なくされた私は、呆気なく挫けてしまった。そんな私にでさえ、立ち上がらなくてもいいよ、今は膝を抱えていてもいいよ、と囁いてくれている気がする。
私は閉じたこころのまま、今は膝を抱えている。
誰かに声をかけてほしいわけでもない。
手をのばしてほしいわけでもない。
今はこのままでいい。
でも、いつになれば歩みを進められるのだろう。
春がくる頃には、気持ちが綻ぶといいなと思う。
今日は気のすむまで寝た。
寝るということでしか、穴を塞ぐことができなかった。
できることなら誰の声も聞かないまま過ごしたかった。
"ふつう"のひとは、きっと毎日こんな気持ちで過ごしたいとは思わないのだろう。
食べて飲んで話して笑って、たまに泣いて、また笑える日がくる。
私は"ふつう"のひとに見えるだろう。
かくれんぼは上手なほうだから。
きっとこのまま"ふつう"になりすますほどの実力を持っている。
ただ自分がすり減って、無くなっていくだけの話。
それをやめてほしいと、からだのどこかで訴えてるものがいる。それに付き合っていかなくてはいけない病気。もういやだな。
どうしようにも、お医者さん曰く、母親とは今の時点で仲良くなることを望まない方がいいと言われた。
私だって仲良くなりたいわけじゃない。
ただ、生活していく中でどうしても接点が必要なだけ。
そこだけでも上手くやり過ごせたなら、こんな拗らせた生き方を続けてきていない。
いやなことが頭の中で一日中パーティーしている。
はやく帰ってくれ。