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ここ何日か続いていた体調不良も一時的におさまって、昨日は安心してお友達と会って、ごはんを食べて、朝までお喋りすることもできた。

それをぶち壊す破壊光線もくらったけれど、楽しめる時間も楽しむことができた。

 

破壊光線をぶっ放してきたのはやはり母で、私の理解の範疇をやはり超えてきた母は、魔物だと思う。

自己中心的な考えを、あたかも他人に考えを委ねるようなそぶりを見せて紛らわせるやつはいない。し、論点すり替えヒステリックをテクニックとして持ち合わせているやつもいない。

 

私は"家族"の標準的なものをあまりよく知らないし、きっとそんなものどこにもないのだろうけれど、やはり私が不満に感じることが多すぎるこの"家族"は、きっと平均点以下で赤点の"家族"だ。

私は母の期待を度々裏切ることはあったし、決して優等生と呼べる"家族"の一員ではなかった。けれど、劣等生とまではいかなかったはずなのに、どうしてこんなに課題が多いのだろう。仕打ちとまではいかないけれど、からだとこころにここまで傷がついていることを、誰かに証明したら私は課題と向き合う義務もなくなるのだろうか。ゆっくりと確実に、じわじわと気持ちを苦しめてきた課題は、たまっていくばかりで消化できない。これからもできない。向き合いたくもない。充分に向き合ってきたはずなのに、まだまだ苦しめるのなら、"家族"という学校から"除籍"されたほうがマシだ。

 

家族というものに対して理想が高かったのか。

私は私の手で私の首を絞めているのか。

どうしても加減の効かない精神的自傷行為だと思うし、もうどうしたらいいのかわからない。

自制の効かないものに対して、他のひとはどういう対処をしているんだろう。他の場面で自分を逃すことができない私は、不器用に生き続けるしかないのか。

 

たくさん泣いたけれど、私は私を守るために、私自身を俯瞰して眺めることが度々あった。

それが続くと何が起こる可能性が高いのかも知っている。私はそれが疾患であることも知っていて、その疾患が怖くて堪らない。大人になったはずの私に、発病する可能性は少し低くなったことも知っているけれど、その疾患がいつ私に手を伸ばしてくるのかと怯えている。

 

ふと、気づいたことがある。

私が母の話をしたときに、7割ほどの打率を誇ることば。

「反面教師にしていくしかないね」

いま辛いという症状に対する処方箋として、的確なものではない。

相談や悩み事を勇気をもって話したひとに対して、そのことばを投げるのは、ある意味逃げているとか誠意の感じられないひとだと思う。

このことばだけは、軽々しく私は使わない。

 

いやなことばは何にすり替えてもいやなものだ。

綺麗になんかならないんだ。