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日記

今日が終わる。

またいちにち生きのびることができた。

 

今日は本当に"いやな日"でもあり、"いい日"でもあった。

私はいちにちを通して泣いていたけれど、頭の中を整理して、話すべきことを話し、伝えることができた。どのように受け取られたのかはわからない。けれど、少なくとも、ゲームもせずに私の言葉ひとつひとつに頷いてくれた。

あんなことは初めてだ。

母が私の言葉に、あんなに真摯に耳を傾けてくれたことは、初めて。

きっと私がただならない雰囲気を放っていたのかもしれないけれど、話が逸れてまたルート修正しようとしても、なにも言わずにうんうんと聴いてくれた。かたちだけかもしれない。でも私はその姿勢で言葉を拾い上げてくれて、うれしかった。

 

ことの顚末は考えれば考えただけ、複雑に入り組んでいる。錆びた細い鉄パイプで出来た迷路のように、それからのぼる蒸気はずっとふきっぱなし。きっと出口はどこかにひとつだけあるのだけれど、私はまだ見つけることができていない。

きっとひとつ解決したら、もうひとつはバッドエンドになってしまう。それはきっと"犠牲"というものになるのだと思う。

選び取るときは"価値"と"犠牲"を天秤にかけて考えるしかない。私は今日、なにかを"犠牲"にしてこの"価値"を得たと考えている。時間が過ぎゆく中でようやくその"犠牲"を知ることになる。

 

久しぶりに母のつくったお料理を食べた。

結局ひとりで食べていたけれど、弟と一緒に食べたときのカレーと同じ味がした。以前よりすこし辛かったけど。

あたためかたを間違ってすこしぬるいカレーだったけれど、久しぶりに懐かしくおいしいなと思った。カレーなんていつぶりだろう。食べてから思い出した。カレーうどんは好きなのだけれど、カレーライスというものはあまり好まないこと。

私の舌は唯一といっていいほど、私の中でも個性を持っている。食通と言えるほどではないけれど、幼い頃からの感性がブレることがない。芯のある感性がたったひとつでも私の中にあってよかった。

たとえば、お店で食べたものは大体お家でも再現できること、なにが入っていてなにがその食べ物をふくよかにさせているのかが想像する力があること、とか。テレビで絶対的な味覚をもつ有名人として紹介されるひとには、負けてしまうかもしれないけれど、私の中でもブレることのないところがあって安心することができた。

 

何日ぶりだろうか、おやつにも会うとかができた。

彼は私の手をくんくんとかいで、あくびをした。寝ているところごめんねと言いながら、私は久しぶりに、その冬に備えたふかふかの毛にふれた。あたたかくて、優しくて、甘えたくなってしまったけれど、おやつの睡眠の邪魔なんてしていたら、もう愛想尽かされるかもしれないし、すぐやめた。

起きたらまたおやつに会いたい。今度はごはんもあげたいし、可愛い鳴き声を可愛いなと思える時間がほしい。

 

今日はもうHPが0なので、シャワーを浴びて、横になる。

話し合ってからずっと寝ていたから、眠れるのかはわからないけれど、からだがもう縦でいられる時間は少ないよと伝えてきている。

おつかれさま、私。

さようなら、私。