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起きた時間は14時を回っていたころだった。
私の不規則な生活を"病気"ということばで片付けたくはない。だけど、朝に起きて周りのひとたちが、当たり前のようにお家から出て行くことを目にすることは、辛い。それはしっかりとした事実で、泣いてしまうし、その場で固まってしまうこともある。
いつになったら、いってらっしゃいが言えるようになるのか。
上司からのおつかれさまということばに、お先に失礼しますと返せるようになるのか。
ヒールを脱いで、ただいまとベッドに倒れ込めるのか。
先が見えないと、車はワイパーで雪や雨を拭うけれど、私のはきっと霧で、ワイパーで拭おうとしても拭いきれない。からだにずっと纏わりついて、息すらつかせてくれなくなる日がくることを、考えては怯えている。
今日も雪で、私はゆっくりと息をつくことができた。音はせずとも、ただずっとそこに積もるだけ。仏教徒でもないから、輪廻ということばを信じるか信じないかは別として、死んだら雪になりたいなと思った。
ひとからは疎まれるだろうけど、だんだんと暖かくなって雪がとけはじめてきたら、そこから芽を出す生き物がきっととても素敵にみえるだろうから。
今日もおやつがニャーと鳴いて、私たちをくすぐってきた。
ニャーと鳴くたびに、うんうん、それでどうしたの?と聞き返すと、ニャーオとか、ニャーとか、いろいろなことばを返してくれる。彼はとても優しいねこだ。
今日は焼いたお魚少しと、キャットフード。最近はどこからかもっといいものを頂いているのか、あまり口をつけない。ただ、ねこ用のビーフジャーキーは別で、ほら、と手を出すとぺろぺろと舐めとって催促される。
あたたかいお湯を用意して、おやつにあげた。最近はあまり飲んでくれなくて心配したけれど、今日はずっと飲んでくれた。
本当は、ベッドでブログを書いているこのときさえも、おやつを暖かな毛布でくるんで、一緒に横になりながらブログを書いていたいけれど、むつかしいのだろうな。通いねこはいろいろなところに"ホストファミリー"がいるのだろうから、そのひとたちが寂しい思いをするのもいやだ。彼のまぬけなあくび姿や、足に額を擦りつけるところは、きっとたくさんのひとの気持ちをくすぐっているだろうから。
起きたら髪もとかして、歯を磨いて、お化粧もする。
同じ名前のお友達が、わざわざ私のところまで来てくれるから。
私たちはお互いの名前を呼びあうとき、下の名前で呼びあうからたまに混乱してしまう。そんなことで笑えるような、素敵なお友達だ。
そのためにも今日はそろそろ寝なくてはならない。眠い目をこすりながら雪道を運転することは、私にとっては至難の技だ。はやく寝てしまおう。
おやすみなさい。