2,3日、続いて雨。当たり前に降っていた雪は、いつの間にか、しとしとと音を立てるものになってしまった。

雨は嫌いじゃないけれど、そろそろ春がくるよ、また新しい1年が始まるよ、と、声をかけてきている気がして鬱陶しい。

寒いことには寒いのだけれど、ゆっくりと確実に時間は流れて、植物の芽もほころびはじめる。私も春になったら、なにか新しい芽が出て、ほころぶのだろうか。

 

今週は体調と気持ちの変化が、私のボロ屋めがけてハリケーンのように襲ってきた。藁葺きの屋根は風で飛ばされて、継ぎ接ぎの床は豪雨で浸水した。それなのに、私は生きながらえている。

お仕事を辞めるという決断は、どうにかこうにか"Yes"というベクトルに向いて、進路を進めている。退職願という用紙にも、ペンを走らせた。走るというほどの速度ではなくて、とぼとぼとため息をつきながら歩いているくらいだったけれど。

私は字がそんなに上手ではないけれど、書くことは好きなほうだから、すこしどきどきしながら書いた。一文字一文字慎重に、きれいなちょうちょを捕まえるくらい、そうっと書いた。最後の最後で、印鑑がズレてしまったから書き直しかもしれないけれど、それでもとびきりきれいなちょうちょを捕まえられた気がした。

退居の手続きもすこし進めた。こちらはもう目がチカチカしてきて、もうしたくない。

 

ごはんも食べられるようになった。調子にのって、餃子とタンメンの定食なんてつくったりしてみたりもした。食べても食べても出てきてしまうからだは、すこし身を隠しているみたいだ。その調子で寝静まっていてほしい。

らーめんがすきな私は、食べても食べても出てくるときでさえ、これなら無理してでも食べてやると、何回かトライした。結局出てしまったり、ムカムカしてつらかったのだけれど。今は出てこないしムカムカしないし、最高のコンディションでらーめんを食べることができる。ハッピーだ。

辛いものもすきなのだけれど、お腹がいたくなるからと控えていた何日間。その何日間かを埋めるように辛いものを貪っている。舌がぴりぴりするけれど、心地いい。美味しいものが美味しいと感じられることは、とてもハッピーだ。

ただ音にはまだ敏感で、毎日苛々してしまう。咀嚼する音とか、指先が落ち着かないでカップをカンカンとつつく音とか。

嫌いなひとがたてる音だから余計なのだけれど、とことん品のない奴だなと思う。げっぷやくちゃくちゃと噛む音、聞き返すときの声。何を取っても苛立ってしまう。

私にはもう耳がいたいくらいの音でテレビを観たりするひとだし、距離をとることがいちばんなのだけれど。それはそれで角が立って、母がいちいち声をかけてくることを考えても対処方法が見つからない。

 

あと2週間もしないうちにひとつ歳をとる。

干支が2週目にはいる。

私は小さい頃からずっと、誰かに見てほしくて、頷いてほしくて、褒められたくて、いろいろなことをしてきた。何か進歩はあったのかな。

私が振り返ると、進歩どころか穴だらけで、褒めるところなんて何も見つからない。

いっそやり直したいなと思うけれど、まあ無理な話なのだから、自分を自分で肯定できるようになることが、いちばん楽なのかなと思う。きっとそれがいちばんの難題で、私の内側をボロ屋にした原因なのだと思うのだけれど。

"自己肯定感"なるものが極端に低くて、"承認欲求"が極端に高いのだろうなあ、と自分を観察している。自分の自信のなさを、他人から褒められたり認められたりすることで、漸くほっとすることができるなんて、不便だよな。ほんと。

そこに病気を当てがいたくもないのだから、私は本当にわがままの出来損ないのボロ屋だ。

 

歌詞も音も微妙だけれど、知人が褒めてくれた"Fly me to the moon"を聴いて、今日は大人しく眠る。

私は自分の声があまり好きじゃないのだけれど、褒められて、ああこれでもいいんだ、と思えた。

情けないな。

 

おやすみなさい。