婦人科に通うようになって1ヶ月近く経つ。月のものやら婦人科的出血は、依然として突然襲ってくるから困る。

腰回りの怠さ、下腹部痛は、ほぼ毎日私の行動を制限してきた。私のからだはいつから私のものじゃなくなったのだろう。

 

新しいお仕事も、始めてからもう少しで3ヶ月が経とうとしている。ベッドから出られなかったり、起きてもお手洗いから出られなかったり、体中から汗が吹き出してきて、月に2日ほどはお休みしてしまう。本当はお休みしなくては頭がおかしくなりそうなほど、気持ちが休まらない日もあるけれど、平気な顔して学校に向かう。

どうしてこうも"健常者"のふりをしなければいけないのだろう。具合が悪いということを隠さなければ、生きづらい。親の顔色さえ伺わなければならない。気持ちの不調というものは、はたからは見えづらいからタチが悪い。私の欠勤日は、だいたい母親から見たらサボり。顔色さえ悪ければいいのになと、目の下のクマを眺めながら考える。

 

睡眠導入剤が1回2錠に増えて眠りやすくなったいいけれど、2年前と比べると眠ることがむつかしくなってきた。眠れなかったら2錠のんでもいいとお医者さんから言われたとき(当時は1回1錠だった)、あまりにも眠れなすぎて4錠のんだ。これは所謂ODで、今考えても馬鹿だったなあと思う。次の日は信じられないような吐き気と突然の眩暈で死ぬかと思った。アクセルを踏む力さえ迷子になって、少し眠ってから運転した。

休職中のODならまだしも、今はフルタイムで働いている身で、不必要な薬物摂取は周りに迷惑をかけると、身を以て知ることができた。

 

お休みの日は父のことをお買い物に連れて行ったりする。楽しい時間でもあるけれど、歳をとった父をみていると、ぎゅうっと胸が苦しくなる。

父は痛風や関節痛のせいで脚が悪くなって、お買い物のときはカートを押す。前は年寄りが使うものだと言ってカートなんて触りもしなかったけれど、今はカートを押しながらゆっくりと歩いている。私がいつも通り歩くと、父は30メートルくらい遅れてついてくる。それからは意識してゆっくりと歩くようになった。

生活保護を受けるようになってからは、病院にも比較的に通いやすくなったと言っているけれど、病院嫌いなのは変わらないからどうしようか悩んでいるところ。

今日は何曜日なのか、何日なのか、どんなことをして過ごしたのか疲れて覚えていないと話していた。ただの健忘なのか、脳の疲れが何らかの疾患をもたらしているのかは素人目にはわからない。ただただ心配しているだけの私は、役に立たないなあと思う。お医者さんにでもなって、知識があればしっかりと父を支えてあげられたのか。

 

梅雨にもまだ入らずに、ぐずぐずと晴天や薄曇りの日が続いている。天気の良さは、私の無力さを痛感するから嫌いだ。私には何にも出来ないよ、と言われている気がする。被害妄想だということもわかっているけれど、"辛さ"という事実がそこにただじいっと居座っていて、私を通せんぼしている。

どうしようにも、どうにもできないことも知っているから私もここに居座るしかない。ただ居座るだけの意地と体力が備わっていればいいのにな。

 

ブログを1ヶ月書いていませんよ、というメールを受け取って何日経ったのだろう。書けないのだもの、仕方ないでしょう。ただの通知がこんなに辛いなんて思わなかった。

書いたらまた見返せるようになるといいのに。

私はどこに置いてけぼりになったのだろう。

迷子になったことも、どこで迷子になったのかもわからない。