ブログを始めて半年が経ったそうです。

6月もいよいよ半ばを過ぎて、例年よりも遅い梅雨が始まりそうなこちらは今日、30度を超える真夏日になりました。いつもは飲まない冷たいコーヒーが、久しぶりに飲んだらとても美味しかったです。

 

ここ何日かは出血もなく、いたって"ふつう"に過ごしています。

ただ、数ヶ月以上前から続いている頭皮湿疹が治らない。濃い色のトップスを着たときに、かさぶた(絶対にフケとは言わない)が時々落ちて清潔感がなくなるから、明るい色のトップスを着ています。以前もらったお薬を朝晩擦り込んで、治れ治れと念じています。

傷が治りにくく、外部刺激からの身体反応が強くでていることから、免疫がだいぶ落ちているのかなあ、と自分を考察しています。体が無言の圧力を精神にかけてきているのだなあ、と。

困ったもので、これだけ症状が現れると根元を断つことしか治療法がありません。根元は言わずもがな精神的負荷です。頭皮湿疹のお薬も、精神的負荷が今の段階からもう一段階上がると、効かなくなるなあと思っています。

よくよく考えてみたらこれだけ身体不調が現れているのに、何にも自分に気遣うことのなかった自分にドン引きです。よくもまあこんなに放っておけたなと思います。後悔もします。でも、どこからが正当な治療や休養を要する期間で、どこからが甘え、サボりなのかもわかりません。こればっかりはお医者さんに委ねるしかないのですが、私は自分がどれくらい辛いのか、過ごしにくいのかを伝えることが酷く下手です。つい先日の診察では、今までの不調をぜんぶ箇条書きにして提出しました。そうしたら何種類かのお薬が、一回り大きな粒になりました。大きさは変わらずに回数が増えたものもあります。もっと早くこういう伝え方をすれば良かったなと思いました。でも、伝え方まで考える余裕がないのが今の私なんだなと、また自分を把握する材料になりました。

 

私の好き嫌いは、どこまで考慮すべきなのだろうとも考えたりします。このひとはあまり好きじゃないし、ずっといると具合が悪くなりそうだな、とか。このひとはなんだか安心できる、嫌いじゃないな、とか。ただ単に好き嫌いではなくて、好き嫌いが私自身の体や精神にどれほど影響を及ぼすかを判断しなくてはなりません。それは自分勝手に見える尺度でもあって、他人から見たら単なるわがままで、社会的には非常識だったりすることもあると思います。

サーモグラフィのように可視化できたらいいのに、と思うこともしばしばあります。私の思いは全部見えてもいいです。これ以上他の人に見えないところを心配されたり、勘繰られることが嫌になったからです。きっとこれからも、そういうことがたくさんあると思います。だからもう、そういうことを考えなくてもいいように生きられたらいいのにな、と思います。

 

同じようなことをこねくり回すようや文章は好きじゃないと、ねーさんに言ったことがあります。きっとそれは、自分を見ているようだからだと思います。同族嫌悪というものでしょうか。

今日は久しぶりにざーっと書きました。殆ど考えないで書きました。きっとあまり好きじゃない文章です。

だけど、この日はそう思ったという印を残せて良かったな、と思えるようになりたいです。

前向きになりたいのではなくて、自分に優しくあれるようになりたいのです。イコールではありません。このままの私を黙って受け止めてあげる私になりたいです。