今日もお休みしました。お休みするくらいなら辞めたいです。

 

今日は朝起きて、おみそ汁ものみました。母親のパートナーの鼻をすする音で何か糸が切れました。はやく逃げろはやく逃げろって、頭が必死に訴えてきたのに、私は我慢しておみそ汁をのんでいました。だけど逃げなかったから、涙が止まらなくなりました。

どういう理屈でこんな風になってしまうのか、私も正直に言うとわかりません。とりあえず、頭にのぼることがあると、それでパンクしてしまうのです。他のことが考えられなくなって、そのあと涙が止まらなくなって、終いには何も手につかなくなります。

 

"お仕事をしている自分"は、私の中の理想なので、本当にお休みしたくないです。まして2日連続でお休みなんて、もう死にたいです。今日は電話したくなかったので、上司にSMSを送りました。この場合の"したくない"は、わがままと捉えられても仕方ないと思います。非常識です。ごめんなさい。ただ送ったはいいけど返信がなかったので、渋々電話しました。私のメンタルや体調に理解のある職場です。お休みすることはさほど難しいことではありません。甘えっぱなしでごめんなさい。

 

洗面所で歯ブラシを手に取ることもできず、お化粧もできず、情けないです。

今日は午前中ずうっと寝ていました。私は誰かにいまの私を打ち明けたかったです。以前の職場でお世話になったカウンセラーの方に連絡しました。でもだめでした。色んなものに感謝するだけでいいんだよと言われました。いま生きていることに感謝することでもいい、のだそうです。何も感謝なんてしたくないです。私はいまが苦しいし、これに感謝なんて出来たらこんな風になっていません。産み落とされたことに後悔すら覚えます。

勇気を振り絞って祖母にも電話しました。初めて具合の悪いときに直接話し合いました。私には深く考えるなとか、開き直ることの重要性を教えてくれました。わかっているけど出来ないんだよと、その場で言えないお利口な私がいます。だから、言えませんでした。

とうとう自分の若い頃いくら苦しかったかを話し始めたときに、ようやくくちがきけました。足のないひとに歩けと言えるのか、と聞きました。私はいま元々あったものがなくなって、出来ないことが増えて、不自由な生活を送っていることを、あまり直接的に話すことがなかったです。良い例えではなかったと思います。私はいま足がなくなってしまったとか、歩くことが困難な状態だから、それを改善するために病院にも通っている。足という例えは、私の中で気持ちや心の健全な状態をあらわすもので、それを自分の中で作り出すことが困難(たとえば足を切断したら同じ足が生えることはないということ)だと伝えたかったのです。自分で作り出すことができなくなっているから、お薬をのんだりリハビリしたりしています。足がなくなってしまった、あるいは動かすことができなくなってしまったひとに、最後は自分の気の持ちようだと言えるのかと聞きました。

祖母は私の場合はできると信じていると言いました。いまの私は他人の期待に応えることができません。帰ると言って、生きた心地のしない家に帰りました。私は出来損ないだとか、他所にははずかしくて出せないとか、思われてるかもしれません。育ち方が悪くてごめんなさい。

 

ひとしきり泣いて、一生懸命シャワーを浴びました。そのあと一生懸命髪を乾かしました。そんなことにすら最大限の力を注がなくてはならないのです。だから優しくしてとか、見逃してとか、思ったことはありません。ごめんなさいとしか思いません。

 

私はブログを書いて、そのあとどうしようとか考えない生活を送りたいです。書いたら眠って、当たり前のように起きて、お仕事に行って、たまにちょっとムカついても、ごはんを食べて元気になろうという思考回路になりたいです。

以前はきっと、そういう私だと思われていたと思います。にこにこしていて、元気で、ちょっと怒りっぽいけどみんなと仲良くしている、そういう子だと今でも思われているかもしれません。

最後まで期待に添えることができず、ごめんなさい。演じていたわけでもないけれど、それができないです。

 

泣きすぎて頭がいたいです。こんな風に育ってしまって、ごめんなさい。