寒さがぐんと強まってきて、しっとりとした毛並みの毛布がからだに触れるのが心地いい。

冷たい雨が続いている。秋はそこまで嫌いじゃないし、好きなのだけれど、最近は寂しい季節だなと思う。葉が色を纏って、深めて、落ちるのは、とても寂しい。落ちるために芽生えたのかと考えると、また寂しくなる。ごはんも美味しいけれど、ひとりでいただきますとごちそうさまを呟いて、自ら作ったものを無表情のままくちに運ぶことが苦痛だ。きっとそんなふうに食べられたら、そんなはずじゃなかったのにって、食物は思うと勝手に考えている。

 

なんだかとても朝が嫌いで、また朝に眠る習慣を取り戻してしまった。なんだか、なんて言ったけれど、理由は大体わかっている。他人とふつうを共有することが、いまの私には苦痛だからだろう。朝起きて、食事や身支度を整えて、学校や職場に向かうであろうその時間。考えただけで気分が悪い。社会の歯車にさえなれていない私は、朝の素敵な陽射しも、小鳥のさえずりも小さな棘で、それが大袈裟に刺さる。痛い。

 

もやもやとした気持ちと罪悪感は、働けば拭えるのだろうか。

働いて働いて働いて働いて、そうすれば私は私を認めて、赦せるのだろうか。

 

障がい者、という大きな枠に入ろうと考えているけれど、周りのひとから、いつまでも障がい者としているのかと、尋ねられることがあった。いつまでも障がい者でありたいひとって、この世にいるのだろうか。

ぜんぶぜんぶ、あなたのせいだよ、これはそれのせいで、あれはあのひとのせいで、私はいま、こんな風になってしまいました。そう言えたら、そう開き直ることができたら楽なのだろうけどね。私はそんなこと思わないし、私は私のせいでこうなってしまったと、この3年間思っている。少なくとも病院に通い始める5ヶ月前、働き始めてからはぜんぶ、私は私のせいだと言い聞かせてきた。いまもそれは変わらなくて、どうしても責めてしまって、負わなくていいものまで負ってしまった。バランスをとることがこんなにもむつかしいことだなんて、平均台でジャンプをして遊んでいた私にはわからなかった。

 

起きたら病院で、頭痛薬を処方してもらわなければならない。お薬手帳もいっぱいになってきている。スタンプラリーだったら5冊は制覇している勢い。眠ることもほとんど諦めているから、導入剤はいらない。新しく届いた書類も提出しなければならない。

書いているだけで目まぐるしい。泣いている。どうしてだろう。

 

嫌な気持ちという存在は誰しも抱えているだろうけれど、私はなぜこんなに抱えきれないほどの嫌な気持ちを拾い集めるのだろう。

ごみ拾いなら褒めてもらえるくらいの、大きな大きな黒い塊。もしかしたらグレーの埃みたいなものかもしれない。とにかく、それが私の首を締め付ける。息をする度に涙が出る。

呼吸と付随して涙が出ることが、正常ならいいのに。そうしたら、私はひとつ、私を赦すことができる。

 

なにひとつ赦せることなんてないから、ひとつひとつ溶かして、向き合わなければいけない。それか、記憶喪失にでもなりたい。誰も知らないそんな世界で、私はひとりで生きてみたい。寂しいなんて感情もしらないまま綺麗な砂浜に寝そべって、波に揺られて、砂にでもなりたい。

 

ひとである。たったこれだけのことで、こんなにも嫌な気持ちになるなんて、もうそれはそれはすごいことだと思う。一種の才能であってほしいとすら思う。

 

たまにだれかから頂いたお手紙をあけて読むことをやめた。過去にとりつかれることは、減らしていきたいから。いまで悲しい思い出になってしまったものは、すべて燃やした。

火が、とても綺麗だった。