たった今、炒飯を食べた。2,3日前からずっと、細かく刻んだかまぼこの入っている炒飯が頭から離れなかった。

私が作った炒飯は、ただの玉子かけごはんに中華味のチューブを絞って炒めたものだった。頭から湯気が出るほど炒飯を食べたくなったのは初めてだった。

フライパンにごま油をひいて火をつける。あたたまったら冷やごはんを入れる。私の頭の中には、もう出来上がった炒飯しかなかったから、作り方なんて何も考えていなかった。何も考えていない私は、そこに生卵を入れた。慌てて火を弱めて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜた。かたまっていたごはんは肉団子ほどの大きさにほぐれて、玉子もすこし火が通ってきていた。中華味のチューブを規定量(誤差はマイナス5mg以内)入れた。ひたすらに菜箸でかき混ぜたら、5分くらいでごはんが7割程度ほぐれた。そこでなぜか私は得意でもない煽りを入れた。奇跡的にこぼさないまま、3分はフライパンを寄せては返した。手が痛くなってきてようやく、ああ夢中になりすぎたのだと気づいた。

お皿によそって、噛んでは飲み込んで、またそれを繰り返し、胃に詰め込んだ。何日かぶりの感覚だった。

お茶碗2杯分くらいの炒飯を、ものの3分で平らげてしまった。

過程の方が短いことに、最近は嫌気がさす。なぜだか。

 

驚くほど炒飯が食べたくなったものだから、元気があるものだと勘違いをしてブログを更新している。書いてから、そのようなものはまだそれほど持ち合わせていないことに気づいた。

 

中華味のチューブ、とか、中華の素、とか、なにをもって中華味とつけているのか、よくわからない。ただ、中華味という認識は大体のひとと一致しているから、面白いなあと思う。

暗黙の了解、その内々の決まりごと、そういうものの更に大きな括りの中で認識されるものは、世の中にどれだけあるのだろう。

私が通院して治療しているものは、きっと中華味の認識よりは広くもなっていない、深くもなっていないことは確実だ。

 

今日はすこし遠いところにある病院へ行った。こちらは皮膚科。1年以上悩まされていた頭皮湿疹の診察に伺った。いい先生だよ、丁寧にやってくれるよ、と聞いてはいたから期待していた。けれど、私の患部は襟足のほうだったから、ずっと下を向いていた。看護師さんやお医者さんに挨拶することもできず、何を塗られたのかもわからなかった。最後に病院に置いているシャンプーを頂いた。それを渡してくれたのはきっと看護師さん。彼女の笑顔はあたたかかった。

来週、経過観察ということでまた来てくださいと言われた。こんなにも予定が入ったことは久しぶり。

 

帰り際、父にでんわをしてお昼ごはんを食べに行くことになった。今回はお蕎麦。天ざる。私の食べる天ぷらは大葉とかぼちゃとさつまいも。ほとんどが父の天ぷらになる。

それから、父の家へ行って多肉植物を3種類選んだ。手軽で丈夫で可愛いガラスの容器が見つかったから、それに土と水を入れて、その植物を植えた。これはいつもお世話になっている方へ。まだ小さいけれどすぐに増えるらしいから、元気に育ってほしいなあと思う。

 

こちらは雪が続いていて、道路はがたがた。空は白くて、灰色で、とても優しい。空気はつんと澄んでいる。とても好きだ。

これから数日は雪が雨に変わるらしい。名残惜しいけど、少しの間のおわかれ。

 

連絡をしてくださっている方、お返事できず、ごめんなさい。生きてはいるのですが、生きづらいです。きっと、お返事します。ごめんなさい。

雪が解けても連絡がなかったら、私はきっと雪だったんだなと思ってください。薄情で冷たくて、うんざりするような、そんなひとであったと思ってください。