眠れたのに結局起きてしまって、終いには首が痛くてまだ眠れていない。頭痛にはだいぶ慣れてきて、「あ、これは痛くなるやつだ」とわかるようになってきた。

首が痛くなるのは初めて。コリのような感じ。ずっと重くて、違和感。重いといえば下に落ちるイメージだけど、首が重いのはニュアンスでしか伝わらない。肩が重いのは下に落ちる余力があるからで、首はそんな余力、どこにもないと思った。

 

以前、50代の女性から、「やっぱり、ニュースは新聞紙で読まなくちゃいけないのよ」と言われた。なにがやっぱりなのか、なぜ新聞紙なのか、なぜそうすべきなのか、私にはさっぱりわからなかった。

インターネットで様々な情報を得られるし、新聞の記事だってウェブ上で同じものが見られることもある。"新聞紙"という媒体に拘る理由が考えてもよくわからなかった。

インターネットが危険性を孕んでいることは勿論考えなくてもわかる。ひとつのニュースだって、膨大な情報量になり世界に発信されている。ユーザーがいればいるほど、精細な情報が隠れてしまうことも多い。ニュースにコメントを残したものを、そのまま鵜呑みにしてしまうユーザーもいるだろう。

"新聞紙"にはその可能性はないのか。書き手がいるのだから、正確な情報がそこにはあっても、ひとつまみの感情が存在するのではないか。書き手は人間なのだから、仕方のないことだろうけど。

新聞紙の記事もウェブ上のニュースも、自らどれが必要な材料なのか見極めること、それにどう思うのかを考えることが、"やっぱり"しなくちゃいけないことだと思う。

 

学生時代は"新聞"を読みなさい!と散々言われてきた。受験シーズンとなると殊更に強調された。それは自分をふるいにかける人間が"新聞"を読んでいる人間だからなのか。見出しや社説、政治欄は絶対質問されるぞ、という先生のありがたい忠告はいつまで存在するのだろう。

世代が変わって新聞という読み物が珍しいものになったら、ふるいの掛け方も変わってくるのだろうか。

あなたはどのニュースアプリでなんのトピックをよくご覧になりますか?ちなみにどんな言語でお読みになりますか?なんて質問が出てきたら、世の中変わったんだなあ、としっかり思うことができそうだ。

 

鎮痛剤と寝る前(8時間前)にのんだ睡眠導入剤のおかげで、てもとがおぼつかない。さっきはお手洗いで便器に顔を突っ込みそうになった。

眠れないのに体は眠ったふうになるなんて、とても不愉快なことだと思う。