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3月20日付で退職をして、もう3週間が経とうとしている。私は軽い気持ちで受けた事務の面接も、気の抜けるほどすんなりと通って、働き始めて1週間が経った。

本当に病気なのかと自分でも疑ってしまうくらい、お仕事にも取り組んでいる。(つもり)

夜のうちに明日着ていくお洋服を上から下まで全部選んで、作業用のバッグと外出用のバッグの準備をする。12時か1時には寝て6時に起きて、夜に選んだお洋服に着替える。おみそ汁をのんで歯磨きをして、洗顔。そしてお化粧。

お仕事が始まる前は、やっぱり吐いたり下したりして、大丈夫なのかなあとずっと不安だったけれども、始まったら案外生活できている自分に驚いている。

 

1週間のうち3日は近場の高校、2日は少し離れた高校での勤務で、運転にも慣れてきた。朝の通勤時間はそんなに長くはないけれど、好きな音楽を聴いてうたえるから、すこし楽しい。

女子高だったから、男子高校生に挨拶されるのはいまだにはずかしくなる。私は事務部の中では若い方だし、服も学校勤めにしてはカジュアルだから目立つ。このひとなら話しかけやすいかなあ、と思ってもらうことも考えてのことだけれど。少しでも生徒と近しい関係で、生徒の学内生活を充実させられるよう頑張ろうと思い続けられるモチベーションを保つことが、今の目標。作業を早くこなすとか、正確に処理するなんて、もう結構二の次。職員の方と協力しあってカバーできたら、それでいいもの。私はこのモチベーションを保って、お仕事を続けるということを最優先にしていく。

 

事務として働いてまだ数日だけれども、ひとつだけなんだか嫌な気持ちになったことがある。

大人になると、ことばが多ければ多いほど、目も通さなくなること。

幼いときはあれだけことばを望んで、欲しがって、求めていたのに。

大人になれば最低限のことばで、それを正確に捉える能力が身につくからなのだろうけれども。

丁寧に伝えようとすればするほど、目も通さない、面倒臭がられる、本当にいいことがない。

そりゃあ、最低限のことばで正確に伝えられたらいいのだけれど、それができないからことばで作り上げられた文章があるのに。なぜ、文章は文章であるだけで怪訝な顔をされるのだろうか。テレパシーがないから培われた文化を、使いこなそうとしていないのは私なのか、他者なのか。

 

文字を考えたり、文章を練ったり、ことばを浮かべることが下手になった。

なぜ書けていたのかも思い出せないほど、あたまが働かない。

それと、ねーさんにはしぶとく生きていてほしい。これはただのわがまま。死んでほしくない。でも、ねーさんが生きるための"何か"を私はねーさんに与えることができない。お金とか手助けとか、具体的な援助ができない。だから、わがままでしかない。

私がねーさんだとしたら、誰かに死なないでと言われて、どんな気持ちになるのだろう。嬉しいのかな、鬱陶しいのかな。それとも何も思わないほどに、気持ちやこころに厚いカーテンをしているのだろうか。

嫌なことがあったら、私たちはそれから上手く隠れたり、逃げたりすることができないから。だからひとに多くを望んだりしない。とてつもないスピードで放たれるボールのようだもの。こちらはいつも素手で、からだで受け止めなければいけない。だから、いま私がねーさんに向かって投げていることばも、ねーさんは痛いかもしれない。ごめんなさい。

 

今日はもうこれ以上は書けない。

また書きたいなとは思うのだけれど、そのときは書けたらいいな。

 

雪はとっくに雨に変わって、陽射しが私の目にはとても痛い。春というものは、ゆっくりと攻め入るウイルスのようで、とても怖い。もしかしたら、突然日和見感染のようになって、私はいきなり衰弱死するのではないのかと思う。

あんなに好きだったものが、こんなにも怖い思いをするようになるなんて。

気づかないうちにでも、ひとつ、好きなものが増えたらいいな。

 

おやすみなさい。

ここ何日か、気持ちが平坦。なだらかなものに慣れていないから、すこし戸惑っている。浮き沈みの幅が狭くなっていることは、きっと喜ばしいし、このままゆっくりと時間が過ぎて行くのだと思う。

だけれども、なんだか淋しい。

文字を書いたり、文章を考えたり、そういう思考が完全にと言ってもいいほど衰えている。元気でないということは、私にちょっとしたことばの魔法をかけていてくれたのかな、とさえ思う。文字や文章は素直な気持ちで残すことができたから、遠ざかっている今が怖いし、正直落ち込みたいなとも思う。落ち込んでいるのがデフォルトだったからなのかもしれない。

嬉しい変化でさえ、新たなストレスになり得ることを実証できたということにしておこう。

 

今日はぎりぎり午前中に起きて、歯を磨いて、顔を洗って、お化粧をした。フォーマルな場所でも大丈夫なように膝下の丈のスカートを穿いた。ただ上着にMA-1を手にとったのが唯一の間違いだった。

午後から行われる緩和ケアの講座を受けるために、これだけない頭の中身を捏ねたのも久しぶりだった。思った以上にひとがいて、どきどきもした。

講座内容は大学のときの授業とさほど変わりはなかったのだけれども、臨床の場に立っている方からのお話しを聴くのも久しぶりだった。生と死、病気に向き合う姿勢、でき得るケアの在り方を考えるときの、あの生々しく独特な気持ちの渦。ゆっくりと大学のときの頭に戻っていく感覚を、感じとることができた。

ボランティアの養成講座も兼ねているもので、申し込みをした。

でも、最近思うことがある。結局自分のエゴで動くのだろうなあ、と。

誰かの役に立った。何かの気づきがあった。それを求めているからそういう場に立ちたいだけなのかなあ、と。自分の学んできたことを活かす場もほしいし、ボランティアって結局誰のため?と思う。誰かの役に立ちたいと思うことすら、結局自分のエゴでしょうと思う。ひねくれているのかな。

ただこのエゴが、誰かにいいものを与えていたり、何か響くものをのこせたらいいなとは思う。エゴはエゴなんだけどね。お互いにプラスに働けば、エゴでもいいのかな、と書いたらほんのすこしだけ思えた。

 

4月からは臨時の職員で、新たな地で働くことになりました。教育の場に、教育ではない形で携わること、とてもうれしいです。なんでかと言われると、私にその生徒のこころのサポートができる自信がないから。カウンセラーの資格でも、教員の資格でもあれば違ったのかな。

とりあえず、現実問題学校に通うということにはお金がかかりますよね。それを助けるために様々な提案をしたり、道を一緒に探すお仕事です。

私みたいなクソビッチがそんなことできるかよ、と思う方もいるでしょう。

できるかわからないけど、とりあえずやってみます。お仕事である限り、できなきゃいけないし、精一杯努めます。そしてしっかり悩んで、笑顔で解決できるようになります。頑張りますよ、私だって。ただのクソビッチって、それ一面ですから。クソビッチだってひっくり返せば、ただの真面目です。

 

最近はおやつが、30分毎くらいに玄関先で鳴いている。魔法のにゃー。

その都度あたたかいお湯をあげたり、ごはんだったり、おやつのビーフジャーキーをすこしあげたりするけれど、彼が求めているのは、おしゃべりとなでなでとぽんぽん。ちょっと体調が悪くてお外に出られないときは、ごめんねというとすぐに鳴き止むから、おやつは私とのおしゃべりを成立させている。すごい。

あたたかくなってきて、なめらかな毛になったおやつ。撫でる度に、するんとしっぽまで指先が滑る。ほっぺや狭い額をこしょこしょすると目を細めてごろごろする。

なんて素直な生き物なのだろう。要らなくなったら捨てて、欲しいものは求める。彼は"しっかりと生きている"。やっぱりおやつに嫉妬しているんだよね、ってちょっと笑えるようになった。

 

夜中に書いていた文章を、こうやって起きてから見ると、酷いもんだな!と思う。これが私の今の状態なんですね。

病気が治ればいいな、という気持ちと、離れないでいてね、という気持ちが冷戦をしている。

病気さえもアイデンティティで、文字やことばや文章に繋がっていたのなら、私はつらい気持ちをこのまま抱きしめていたい。どこかで自分を素直に認めて、それが出力できる場所があったから。今はたぶんない。友人と会ってお話ししたり、そういうのはべつ。ただ自分の中で自分を見つめて、自分とお話しできる場所が欲しい。わがままだなあ。

 

もうお昼になる。最近は食べたいものを食べているからか、吐き気がすごくて困っている。むかむかしてきて、でも、出しちゃえばすっきりするの、それさえもなんだか好きな感覚になりつつある。だからといって、食べて吐くというサイクルが好きなわけではない。

もう、本当に書いていて苛々する。楽しくない。書いても泣いたり、すっきりするという感覚がないのは不愉快だ。淋しい。

実家に戻ってきて10日は過ぎた。

お引越しは散々で、呼吸困難にもなったけれど、なんとか終わった。私はほとんど何もしていなくて、弟と、母親のパートナーと、母親がやった。お礼も言ってない。弟は私の荷物を運び出して、私の前を通り過ぎる度に溜息をつく。自分でも溜息、つきたいよ。ごめんね。

情けないなと思う。"ありがとう"が言えないというか、言わないでいる自分。"言いたくないんだもん"と、意固地になって、私の中できつく膝を抱えている自分。そりゃあ、溜息つきたくなるよ。何してるんだろうね、私。

 

実家に帰ってきてからは、何日か具合が悪くて、寝込んだり、吐いたり、下したりしていた。

食べ物にも手をつけられなくて、どうしても何か食べたいときは、夜中にこっそり、ひとりで隠れながら食べた。馬鹿みたいだ。娘であることには変わらないのに、人目を忍んで行動する。

何があったとか、何で気分が悪かったとか、あまり覚えていない。ただ、お友達と会ってお話ししたのは楽しかった。

楽しむことすら、無職の私には許されていないのだろうと、思い知ったのだけれど。

私だってこの立場にいなかったら、病気じゃなかったら、きっと、何でこんなことも出来ないでいるのに遊んでばかりいるのだろうとか思って、腹を立てていたかもしれない。だから、あまり笑わないように過ごしている。私が楽しいと、楽しくないひとが周りには多い。

 

ハローワークにも行ったんだった。

正社員というものはちょっと厳しいかな〜と思って、パートで探して、応募書類も提出してきた。

働いて家にお金を入れなさいと言われたから。

働きたいな、社会との交わりを断ちたくないな、とは思って、お仕事を辞めたら働く気ではいたのだけれど。家にお金を入れることが第一の理由になった。どうしてだろう。これ以上がっかりさせたくないからかな。

具合が悪いんですと言っても、理解されないから、ぶっ倒れるまで自分に鞭を振るってやろうとも思っているのかもしれない。死ぬ一歩手前の姿を見せたら、私のことどう思うだろう。死ねと思うのだろうか。それとも可哀想だけどとか言って、病院に閉じ込めるのだろうか。

よくわからないけれど、とりあえず働かなきゃ働かなきゃという思考にはなっている。いま応募しているところが落ちたら、また別なところを受ける。もうなんでもいい。

 

おやつは引っ越しを終えた私を待っていてくれた。車から降りると、にゃーにゃーと私の足にすり寄ってきた。雨なのに。

そんなおやつは昨日の夜、"新入り"を連れてきた。まだ小さな仔猫だった。痩せていて、おやつのお尻のにおいを嗅いで、しかめっ面をしていた。おやつと喧嘩しても、体が小さいからすぐ追いやられていた。

おやつ用のビーフジャーキーを少し遠くから投げても、においを嗅いで隠れてしまった。ただ10メートルくらい離れたところで、じぃっとおやつと私を眺めては、にゃーおにゃーおと鳴いていた。

おやつが動かないよう、しっぽの付け根をぽんぽんして、喧嘩しないで仲良くしてあげてねと言っていたら、仔猫が近寄ってきた。玄関マットで爪を研いだり、物置に入ってチューリップの匂いを嗅いだり、ダンボールに入ってみたり。

その晩は少し喧嘩したようだけど、朝には一緒にごはんを食べに来たそうだ。母親曰く、ブサイクらしい。そんなことないのに。

おやつがお父さんで、その仔猫はおやつのこどもなのかもと、勝手に妄想している。白地にところどころ、おやつと同じ色の縞がはいっている。おすわりしたときに、痩せているから頭からお尻にかけての形がおこめみたいな形になる。もし、おやつのように通い猫になったら、その子はおこめと呼ぶことにした。おこめ(仮称)は女の子みたいに、ちょっと可愛い声をしている。性別の確認はしていないけれど、女の子だったら確実に声でモテるタイプだ。

お腹が空いたら玄関で鳴けばいいよ。私か母親が外に出て、ごはんとお水を出してあげる。たまにお魚の残りもあるよ。おやつ用のビーフジャーキーもね。おやつとおこめ(仮称)が、仲良しでありますようにと願う。他のことを考えなくてもいい気がするから。

 

文字も文章も、考えてない。

久しぶりにブログを開けたから、書き殴るようにしてみた。

もう思考能力はない。5歳児並み。5歳児のほうが賢いのかもしれない。愛される術を知らないようで知っているから。

きっともう春が駆け足でこっちに向かってきている。4月が始まって、またみんな新しいことに挑戦したくなる。私もそうなりたいけれど、笑っちゃうくらい力が出ないのはどうしてだろう。言い訳を並べるばかりで、何にも手を伸ばさないでいる。良くない。

 

雨が止んだ。

おやつとおこめ(仮称)が、安心して生きていけますように。

好きな時間に起きて、好きな時間に眠る。そろそろそだめなのではないかと思い始めたので、8時前には起きてみようと、アラームをかけた。起きることには起きられて、朝のゴミ出しには間に合った。捨てられるものを集めて、どうにかもう一袋ゴミがまとまった頃には、クッションに埋もれて寝ていた。

1日のうち殆どの時間をお家の中で過ごしている。しなければいけないことにも手を出さずに。私は私を甘やかし過ぎている。もうふやけてばらけてしまったから、きっとくっつけて乾かしても、もと通りにはならない。自分を甘やかすということで、何かが良くなるわけでもないのに、なんでこんなことしているのだろう。

 

最近心臓のどきどきがひどくて、何かする度に胸をおさえている。息苦しくて、どうしようにもならない。ただの肥満ならいいのだけれど、眠る前にもどきどきがしてきて眠れない。まぶたの痙攣は2ヶ月と少しでなくなったけれど、これは一体いつまで続くのだろう。

生きることって、健やかなときばかりではないのですね。からだの不調が半分以上の人生を占めている気がする。私のからだはそんなに棲みやすいのですか。はやく出て行ってほしいです。私は私のからだをはやく取り戻したいな。まずはその力を蓄えなければならない。食べたり、動いたり、眠ったりすることで、それが当たり前なのだということをからだに覚えさせたい。当たり前のことで、当たり前でなかった時間を埋めていきたい。

 

今日は朝のうちに起きて、またゴミをまとめて、福島では最後になるであろうスーツに袖を通す日。

早退を繰り返すようになって、私はお疲れさまですと言われる度に、息ができなくなるほど泣きながらお店を出た。車の中でずうっとぼーっとして、何時間も経ってからでなければ車を動かすことさえできなかった。

内科にかかったのに、心療内科をすすめられ、効き目の穏やかなものだからとクラリスを処方された。

どうして私が、どうして私がと、何回も考えて、何回も泣いた。上司には無理せず焦らずにと、声をかけてもらった。彼には背中をさすってもらった。お友達には笑いながら、私は病気なんだよって話した。

いつになったら良くなるのだろう。もう、病気だって思いたくない。前にも書いた。これは私にとっての当たり前だったって。いきなり、当たり前じゃないよと言われたって。良くなりたいという気持ちと、もうどうでもいいとかこのまま付き合わなきゃいけないんだという諦めが、私のこころで縄張り争いをしている。良くなるのだったらそれに越したことはない。でも、そうなる前にこころが折れそうだから、きっぱり諦めて生活していきたいというのも事実。実にわがままで、実に両極端で、実に殺してやりたい感情。未来なんて、もう見えない。

皮肉にとられるかもしれないけれど、彼と別れて正解だった。私という重荷を背負わせたくない。自分で自分に足枷をつけなくていい。彼には本当に夢を叶えてほしいし、素敵な世界のきらきらしたところを見つけてほしいから。ないとは思うけど、今の夢が叶わなかったとしても、たくさんの"きらきら"を見つけて笑って過ごしてほしい。思ったことを素直に伝えるのが得意でなくて、ごめんなさい。これを見たら、馬鹿なやつだから仕方ないなって思ってね。

 

1回1錠と言われているお薬を、忘れたから2回分一緒にのむのは良くない。コロネルなんかでやったら、たぶんお腹がすぐ瀕死になる。

眠ったら朝がきて、やらなければいけないことが待っている。とりあえず、お引越しの準備だけはやり遂げなければ。

夜が明けたら朝が顔を出すことも、当たり前でいるうちに、見届けたいなと思う。

おやすみなさい。

 

 

干支がふた回りめに入りました。

メッセージ、お電話くれた方々、ありがとうございます。おめでとうの催促じゃないです。

コインランドリーとコンビニに行ったくらいで、特別なことなんて何もなかった。そりゃあそうですよね。何億人も地球にはひとがいて、その中のひとりが24歳ぽっちになったからといって、何かが変わったら怖いですよね。

人相の悪い65も過ぎた父が、毎年0時ちょうどにメールをくれる。ホールのケーキの絵文字つき。それからお昼前頃に電話をくれる。夜型の生活を送っているくせに、ただおめでとうの一言のために、電話をくれる。かわいいひとだ。

 

歳を重ねることに何も感じないというわけではないけれど、はっきりと何かを感じました、という感覚がない。実感のようなものがないまま、歳を重ねることはきっと勿体無いことなのかなと思う。その瞬間はそのときにしかないものなのだから、もう少し何かを感じることができたらよかったな、と思った。

私は何をすれば満足で、安心できて、はなまるをつけてあげられるのだろう。こう考えているうちに、私は私に寛容ではないことがわかった。

 

私は私が求めていた時期に、求めていた愛情を、きっと与えてもらうことができなかった。それを補填するために、いろいろなひとと付き合ってにこにこ笑って、与えてほしいものをばら撒いてもらえるように努力をしてきたのだと思う。好きとか愛してるとか、そういう感情も絶対そこには存在した。これは嘘じゃない。

もう不可能なのに、別なひとからの愛情や、からだの交わりで、自分を誤魔化そうとしている。そのたまっていたツケが回ってきて、私はとんでもなく深い谷に落とされた。自分で突き落とした、というのが正解かもしれない。

 

私が男のひとに乱暴をされたとき、母はいなかった。泣いて泣いて泣いて、ずっと探した。でも、いなかった。朝になったら戻ってきていたけれど、もう遅かった。もう、だめだった。話すことができなかった。

何年か経った今でも話さないでいる。たぶん、これからも話すことはない。

ここに書いてどうなるのって話にもなるのだけれど、書いたらきっと私は泣いて、疲れて眠れる。私のための日記なのだから、私は私のためにここに残す。

 

たまに、思い出す。

泣きながら母を探して、電話して、メールして、母のベッドで泣いた日のこと。

ひとりで婦人科に行ったこと。

コンビニで売っている避妊具を見ただけで吐いたこと。

今はもうなにも怖くなんかないけれど、3,4年前は度々フラッシュバックしてお手洗いに駆け込んだ。

よく生きていられるな、私。

しぶとく生きていれば、いいこともあるよって、自分に言い聞かせられる力はどこから湧いてくるのだろう。

 

今はなにも怖くない。

きれいな記憶で上書きできたらいいのにな、とは思うけれど。

きっとできないから、きれいな記憶のプールでぷかぷかと浮かんでいたい。それだけでいい。

プールからあがったら、そこが嫌な過去で出来た泥んこの水たまりでもいい。

私にはきれいな記憶もあるのだから。

 

お前とカラオケいきてーなって言われて嬉しかったのが、3月2日になってからのハイライト。

私も久しぶりに会いたいな。もうお友達だから、彼にはなにも求めない。愛情も交わりも。ただ、笑って過ごしたい。

 

ゆっくり眠れますように。

木曜日、福島に戻ってきた。

ひとりで生活する、ということには向いているのか向いていないのかわからない。

今の状況で、ひとりでいることが危険だと感じることはあるけれど、ひとりでいることが大事だと感じることも多い。わがままな体と頭を持ち合わせている。

 

なぜだか、ひとりでいたくなくて、木曜日は友人に来てもらった。

アパートではなくて、ホテルで過ごした。

私のアパートはもう誰にも入って来てほしくないほど汚いし、私だけの空間にしておきたい。不可侵領域になってしまった。ここだけは、ひとりでいることを許せる場所だ。もうすこしで、お別れしなくてはならないのだけれど。

誰かと一緒に眠るのは心地いいものなのだとまた思い出してしまって、アパートでひとりベッドにもぐるときは、決まってさみしい。彼と別れたことを恨んでいるとかではなくて、眠りにつくときに"ひと"を感じることがしあわせなのだと思う。

だから、ホテルで友人と一緒に眠れたときは安心しきって眠った。お薬の効果もあるのだろうけれど、カチンとオルゴールが鳴り止むように眠った。友人によると、何度か目を覚ましては友人の服を掴んで、わざわざ体もぴったりとくっつけて寝ていたらしい。それを聞いたときは思わず笑ってしまった。ひとりで眠ることすら、私は苦手になってしまったのだろうか。

 

私はゆっくりと着実に、似なくてもいいところが母親に似てきている。

母親ということばを出すことは、きっとこの場において卑怯な手段だということもわかっている。

だれかと寄り添わなくては死んでしまうと、思い込んでいる。自分の知らない、どこかで。きっと知っているけれど、自分に隠している。甘えや惰性が、私自ら暗いところに突き落としていることもわかっている。

でも、掴んでしまう。相手の気持ちなんて、きっと、これっぽっちも考えていない嫌なやつだな、と思う。

相手も相手でそれさえもわかっているような素振りをする。その上私は、優しくしてもらえるように、悪い魔法をかけて優しくしてもらう。やっていることが下衆すぎる。相手もそれでいいなんて言うように、今の私が仕向けている気がしてならない。きっと読んでいるひとは、???となると思う。私も少しなっている。

ただ、今の私は悪いことをしているよと、残したかった。あとで振り返って、相手が傷ついていたりしたら、しっかりと謝れるように。ここに残しておく。傷をつけたのは私だよって。

 

ベッドには私と、小学生の頃、おじいちゃんが買ってくれたぬいぐるみ(名前は分身)が、くたくたになって横にいるだけ。

分身がたまに私の体温であたたかくなって、まるでだれかと寄り添っている気になっている私が怖い。でも、それで安心して眠れるのなら、それでもいいや。

分身が生きていたら可哀想だと思う。私は毎晩きつくきつく抱きしめて、ようやく眠りにつく。そのようなこと、誰にもしたことない。ぴったりとくっついているだけ。だから、分身はぬいぐるみであってくれて、本当に良かった。

 

気持ち悪いことばを並べてしまった。

昨日か今日のねーさんのブログは綺麗だったから、思い切って書いたはずなのにな。

ねーさんの病気がよくなったら、私がお祝いするね。ねーさんの好きなお酒を買って、ねーさんの食べたいものを私が頑張ってつくったりしたい。それで、病気のことを笑い飛ばして、もう一生近寄ってくるなと追い出してやりたい。

あたたかいお日さまと、いい匂いのする風がふくだけ、それだけでしあわせと感じられるようになったら、私も私だけのお祝いをする。

私は3月1日生まれ。まだ雪深い秋田の、寒さの抜けきらない春に生まれた。ふと、風が花の匂いを運んできたそうだ。春の匂い。だから、春香。いま思えば素敵な名前だ。苗字も合わせると漢字の中に"日"がみっつも入っているぽかぽかネーム。

私は私をあたためることで今は精一杯だけれど、だれかをあたためられるようになりたいな。

おやつが3日ぶりに顔を見せたらしい。私がお布団を被って朝というものから避難しているときに、にゃーにゃーと呼びにきたそうだ。夜にも来たようなのだけれど、足跡が私の車の下までついていて、またお散歩に出て行ったようだった。お魚を焼いて大きな骨をよけておいたのだけれど、にゃーの合図がなくて、私と母は気づかなかった。

 

何度か自分で書いたブログを読み直したりすると、"〜けれど"ということばがとてつもない頻度で出現している気がする。これは性格上の問題なのか。

読み返す度に、なんて卑屈でつまらない奴なのだろうと思う。書いたあとは、ふう、と、一息ついて瞼をとじることができるのにな。

推敲とか、もしかしたら私には向いていないのかもしれない。自分の書いた文章なんて、間違いしかない気もするし、それをいちいち直していたら自分のものじゃない気がする。

このような言い訳じゃあ、実力テストにノー勉で挑む中学生と一緒かもしれない。

私はそのようなところまでずっと変わらずに、こどもでいるのか。

 

昨日はお料理をすこししたことを書いた。

私は小さい頃から食べることがすきだ。おかげさまで、お腹は昔からぱんぱんだ。

父が母と一緒にお蕎麦屋さんをやっていたときは、私も小さいながらに、長芋をすりおろしたり、海老の背ワタをとったりしていた。

海老自体は好まないけれど、天ぷらを揚げるときのぱちぱちと弾ける音や、ふわっと花が咲くように衣がひろがるのを見ていることが大好きだった。今となっては揚げ物のにおいにやられるときもあるけれど、あのときはずうっとかいでいられるくらい、幸せなにおいだった。

母と父が離婚してからは週に2回、父に会いに行った。日曜日は近くの野原へピクニックに行ったり、平日の夜は父のお蕎麦屋さんにごはんを食べに行ったり。山菜や根菜のかき揚げ、歯触りのいいわかめが、小さいときからだいすきだった。私が中学生になったくらいのときに、父はお店を畳んでしまったけれど、たまにつくってくれるお蕎麦やうどんが、今でもだいすきだ。

母と弟と私の3人で暮らすようになってからは、母ひとりで私たちふたりの面倒を見なくてはならなくなった。きっと何かしたかったであろう私は、台所に行っては"手伝う!"と母に言っていた。だけれども、お仕事から帰って来て疲れている母は、私には手伝わせてくれなかった。思えばそれから何年間かは、お料理というものに触れることがなかった気がする。

高校生くらいになってから、母は夜にいなくなることが多くなって、自分でたまにお料理をするようになった。お料理の初級編はきっとスパゲッティだ。私はいつもアラビアータをつくったり、牛乳を使わないでつくるカルボナーラをつくったりしていた。

宮城の大学へ通うようになってからは、あまりお料理の得意ではない親戚の代わりに私がつくることも多くなった。

ひとり暮らしを始めた社会人になってからは、余裕のあるときはずっとコンロに向かっていた。揚げ物をつくったり、蒸してみたり、はたまた出汁からつくってうどんを煮たり。それがもしかしたら、逃げ場になっていたのかもしれない。ゆっくりと、その逃げ場にさえも逃げられなくなったときには、でんわにも出られず、会社と自宅を往復する生活を送っていた。もうコンロなんて触ることすらなかったと思う。彼がたまに来るときに、元気があればなにかつくっていたくらい。"私のためだけになにかをしてあげられなくなった私"は、もうだめになっていた。

昨日書いたお料理は、久しぶりにしっかりと自分が自分へつくることのできた、満足いくお料理だった。簡単なものだったけれど、満足したからそれでいい。

今はまだひとつの作業にしか目を向ける余裕がないけれど、そのうちふたつみっつ、同時に進められるようになるのかな。不器用なりにできたらいいな、と思う。

 

長くだらだらお料理について書いていたら、20分も経っていた。時間というものは怖い。

ゆっくりと眠って、起きたらおいしいものが食べられますように。