■
昨日のことがひと段落して、私もだいぶ楽になったようだ。
いつもは重くずーんとして、漬物石のようにビクともしないで冷たくそこにあったのに。今日はすこしだけ軽くて、羽が生えてるんじゃないかと思えるほど体が楽だった。
いつもこうあってほしいなとほんの少しだけ思うけれど、後の反動が怖いから、あまり高望みはしないことにする。
このブログも始めて4週間くらい。こんなに文字が浮かんでくるとは、自分でも予想だにしていなかった。
きれいな言葉とか目を引く文章を書くことは、あまりできていなかったと思うけれど、頭の中がだいぶ片付いたと思う。以前と比べると鮮明に、目の前の風景が見えるようになった。小さいけれど、一歩前進したかのように思う。
素直にはならないけれど、私はきっと、いまの私を褒めたいのだろうな。
いまは言葉にはしないけれど、あたたかな言葉が浮かんできたら、ここに書いて私にプレゼントしよう。
朝に眠ったから、目覚めたのは午後だった。
起きたら母がカレーうどんを作ってくれた。
頭の動きがまだ鈍くて、すこししょっぱいのが食べたいと言ったら、作ってくれた。
大きなわかめと、小さい干しエビの天ぷらののったカレーうどん。
私が食べるときはいつも白出汁でつくるのだけれど、母はいつしか鰹出汁の濃い麺つゆで作るようになった。きっとこういうところで、私の気持ちに小さなひびが入ってしまうのだろう。わがままで笑ってしまうのだけれど、嘘でもない、しっかりとした事実。
小さいころはこの濃い麺つゆでつくっていたこともあった。そのころはまだ、母と私の間にそこまで大きな溝ができていなかったと思う。いつからか、私はひとりで残ったカレーでカレーうどんを作るようになったんだ。白出汁で、いろいろな味を削いで食べていたのかもしれない。
そういえば、母と話し合うことを躊躇っていた私の背中を押してくれたおばさんに連絡をした。
話すべきことはぜんぶ話したよ。背中を押してくれてありがとう。と、長い文章ではないけれど、こころを込めて送った。
頑張ったね、とたった一言のお返事だったけれど、私にはそれがうれしくてうれしくて堪らなかった。
本当に勇気を出して、涙を流して、最低限かもしれないけれど、話すべきことを後回しにして逃げていたから。それを真正面から受け止めて、背中を押してくれるおばさんがそばにいてくれてよかった。
私はこれからもなにか壁にぶつかっては痛い痛いと泣いて、壁の前でじっと体育座りをすることもあるかもしれない。だけど、それでもいいよと優しく背中をさすって、もう少し元気になったら立ち上がってみようねと、自分に声をかけられるようになりたい。
おやつにも会えて、魔法のニャーも聴くことができた。
彼は私に何度か擦り寄って、背中に飛び乗る準備をしていたけれど、私はなんとかそれを阻止して、ごはんを食べる彼をみつめていた。
つんと刺さる寒さの中、ふっくらと丸みをおびた愛らしいからだは、触らずにはいられなくて。くびからおしりのつけねから、いろいろなところをうりうりと撫でては、あたたかさを感じていた。
それに、おやつをあげることもできた。
ぺろぺろと私の手を舐めては、おやつの余韻を楽しむ彼は、いつ見ても可愛くて、抱きしめたくなった。
調子のいいうちに友人に会うため、起きたらまた予定をいれた。
とは言っても、お誘いを受けたのだけれど。
雪でもいいから、また笑えるいちにちになりますように。
おやすみなさい。