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日記

一昨日は午後から短大のお友達と会って、おしゃれなカフェでトーク、しゃぶしゃぶ屋さんでもトーク。場所を変えてずうっとトーク。私は二会場ともレッドカードを出された。

ピュアな女の子同士での会話に、下ネタは厳禁なんですね。反省しまーす。

 

短大在学中の2年間という短い間だったけれど、お世話になった電車で、お友達に会いにいった。お気に入りのうたを聴いて、こころがときめくという感覚に浸りながら。

Grace Vanderwaalのアルバムは短大のときに持ち合わせてなかったけれど、いまはもう、とびっきりのお気に入り。何年も前に聴いても、彼女のうたは私に響いていたと思う。彼女のデビューというか、名前が知れ渡ることになった"I Don't Know My Name"なんて、きっと聴いた途端にわんわん泣いていただろうな。

 

雲が多くて太陽はあまり顔を見せてくれなかったけれど、最強寒波の過ぎ去った後のちょっとした晴れ間だったのかもしれない。運転係のお友達は、「天気も最高!今日はドライブしてカフェに行こう!」と切り出した。

これ以上の言葉が見つからない。彼女は最高にポジティブで、私の古いアメリカ像でいう"イカしたクールな奴"だ。

同級生はいま何をしているのかとか、同乗しているもうひとりのお友達の恋の進捗とか、話の種は尽きなくて。時間は意地悪だから、すぐにあたりを暗い夜にしてしまっていた。

カフェを出てはすぐにしゃぶしゃぶ屋さんに向かって、食べ放題!なんて言葉に目をキラキラさせることができるのも今のうちだろう。年が明けて初めて会ったから、乾杯はあけましておめでとう。笑いながらグラスを掲げた。

つい先日24歳になったお友達A、運転係3月生まれのB、ともに3月生まれの私の3人。やっぱり恋愛とか結婚とか、出産の話も出てくるもので。"いつの間にかできる当たり前で自然なもの"だと認知していたものは、その前にある壁をなんとか乗り越えたから、"それ"になるのだなと、しみじみと感じた。

当たり前にお母さんとお父さんがいて、私がいることだって"当たり前"と思っていたけれど、いまの私がその"当たり前"をすぐ作り出せるものなのか考えたら、四色問題並みの難問。定理もある、解明されているであろう、難問。

短大のときに授業を抜け出して回転寿司なんて行って、通学路で転んで笑っていた私たちが、こんなお話までするようになったんだね。成長と老いは、同時に襲ってくる幸せと恐怖だね。

むつかしいお話をできるから大切にしたいお友達、という線引きではないのだけれど、ふざけた話題にも真面目に、真面目な話題にもふざけて話し合えるお友達は、一緒に歳をとりたいなと思った。

 

お仕事をしていること、何かしら社会と交わって生きていること、やっぱり眩しいです。

目眩がして、すぐに目が潰れるほどに。

私もなんとかしてそこに戻りたいな、と思うけれど、なかなか上手くいかない。その前に何枚か壁があるから。割っても割っても壁があって、手からは血が出るだろうし。

"心配性で不安に陥りやすい"ということは、きっと"欲張り"なのだろう。目の前の安全だけでは安心できないから、その次、その次の次、そのずっと奥、死の一歩手前まで考えて対策を立てようとする。

杞憂にうなされて生きていくのは嫌だなあと、うっすら笑えるような元気も出てきたから、今の私にはギリギリの合格点をあげることにしよう。以前ならきっと頭を抱えて、死ぬことをはじめとする、黒くてベトベトしたものに溺れていただろうから。

なんだか"ハウルの動く城"を思い出す。自室にたくさんの魔除けをつるして、おまじないをかけて、ベッドに埋もれているハウル。それだけの予防線を張らないと、心配と不安と恐怖に押し潰されることも、いまの私なら理解できる。

 

いやなものの波は少し引いてきた。

またくるかもしれないなんて、"無駄"なことを考えてしまうことにも笑えるけれど、現状に満足できる感性をほんの一握り取り戻したから良しとする。

今日の文字はとても綺麗だ。

幸せは文字を綺麗にしてくれる、きらきらしたお星さまだ。

文字もきっと喜んでくれている。

私はそれがちょっとうれしい。妄想でも。

 

やっぱり夜と朝の間は、頭が比較的クリアで、文字も浮かびやすい。

今日はたくさん書いたから、自分を労ってあげることにする。

おやすみなさい、私。