土曜日は午前中に起きて、お昼は父のお家でごはんを食べた。

押入れの奥から埃をかぶった、私と弟の保育園時代の"れんらくちょう"を見つけた。母が毎日保育園の先生へ、私の体調や自宅での生活を事細かに書いていたようだった。幼少期の私はとても面白かった。覚えていることは多い方なのだけれど、毎日プールに入りたがっていた私、頑なに野菜を食べたがらない私、焼き芋会をパーティと呼んでドレスを着て行こうとしている私が、そこにはいた。

 

帰ってきたのは17時頃だったと思う。急に頭が痛くなった。横になっても痛みは治らなくて、呻き声をあげたりあまりの痛さに喘いでいた。プリンを無理やり胃に押し込んで、処方されている偏頭痛薬をのんでも治らなかった。1時間は汗をかいて歯を食いしばりながら、フローリングの上で暴れていた。弟はそんな私を見ても、テレビを観てもいいかと聞いてきた。20時をすぎても痛くておばあちゃんに電話をした。2回かけても繋がらず、渋々おじさんに電話をした。奇跡的にお仕事がちょうど終わったところだったらしい。

息も絶え絶えお薬手帳などを、手を震わせながらまとめていた。おじさんが迎えにきて、後部座席に乗せてくれた。

私の手には力がもう入らなかった。これは2度目の経験で、頭の痛みもお医者さんに診てもらったところで治らないことも悟っていた。ただ痙攣して体を弓形にさせて、涙と鼻水を流しながら声も出せずにいるところを弟に見られたとしても、きっとどうこうされずに死ぬなと思ったから、おじさんに連絡した。

多分お医者さんに診てもらっても、心療内科に通院していてお薬ものんでいることを伝えたら、心療内科で診てもらってと言われるとおじさんに伝えた。突発的に頭やお腹が痛くなったことがあって救急車に乗って病院へ行っても、痛み止めを少し点滴するくらいだ、と。それをなぜか私がODとかわざと具合を悪くするためにお薬をのんだと勘違いされた。

病院でも手が震える、頭が痛い、お薬の服用時間、こういった経験の有無を看護師さんに伝えた。待合室のソファでは、くたびれたぬいぐるみのようにうな垂れていた。

診察はやっぱり思った通りで、優しい効き目の鎮痛薬を処方される程度だった。

地獄はそれからだった。

 

弟と私しかいないお家に帰らせるのは心配だからと、おばあちゃんのお家に泊まることになった。

お邪魔しますと頑張って声を出したら、おばさんが怖い顔をして私を睨んでいた。開口一番、もっと自分を大事にしなさい、と震える声で私を叱った。私は事情がわからずぽかんとしていたら、おじさんが、具合を悪くするためにわざと何かお薬をのんだんだろうと言ってきた。私は頭を抱えて、違う違うと説明した。納得はしてくれたけれど、こんなことになったら母親たちが普通は帰ってくるだろ、となった。母親たちは土曜日から東京に泊まり、日曜日から約3ヶ月の船旅に出る。でも娘が2週間以上お仕事をお休みしていて、弟も就職して家から出るのに、何ヶ月も前から予定を組んでいた、という理由で家に戻らないのはおかしいだろう、とそんなごもっともなお話だった。

いろいろお話をした。ごもっともだ。心配もしてくれている。迷惑もかけている。ごめんなさいとも思う。

でも、疲れていた。

病気を治してお仕事をして、親に見切りをつけて、ひとりで暮らすことがいちばんじゃないか、という結論に至った。そうしたいのは山々だよ。

何を話しても、どう返ってくるか想像できて、涙が出てきた。終始泣いていたのだけれど。

最後の最後には軽々しく自殺したいなどと言うなと言われた。もう泣くしかなかった。

 

お話は12時を過ぎても終わらなくて、痛みも結局治らなかった。眠りについたのも多分空が白んできた頃だった。

おじさんから、朝はいとこを起こす役目を振られたから、6時には起きていた。ずうっと死にたかった。

また頭が痛くなってきて、朝のひかりやテレビの音が刺さってきて、痛みを鋭いものにさせていた。ブランケットを頭から被っていたら、別の部屋で横になってなよ、とおじさんに言われた。もう何が何だかわからなかった。

 

日曜日のお墓まいりは結局行けなかった。頭が痛かったから、弟とふたりでいる家の、自分のベッドに死んだようにじいっと横になっていた。

日曜日の夜は3時を過ぎても眠れなかった。案の定、月曜日はお仕事に行けずじまいだった。

 

火曜日はお仕事に行った。死にたさが拭えなかった。うっすら笑みを浮かべながら、2週間ぶりに外界のひとと会話をした。指先までもが気怠かった。ぜんぶが嘘だといいのになと思った。

 

今日、水曜日はお休みをした。

眠っていた。眠ることでしか避けきれないから、涙が出てくる。

 

起きたら木曜日で、兼任しているもうひとつの職場に行かなければならない。どういう顔をして行けばいいのだろう。

にこにこしているのもおかしい気がするし、血の気の引いたこの顔で、すみませんでしたと頭を下げていかにも病気ですという顔をしているのもおかしいと思う。

 

3ヶ月前は病院で太ったでしょ、と言われて10キロ太ったことに人間としての機能不全を覚えたけれど、一昨日はかったら15キロ減っていた。そりゃあ食べたり食べなかったり、泣いたり吐いたり出したりしてるしなあ、と思った。

このまま消えて無くなればいいとさえ思った。

ゼリーやプリン、ちいさいかっぱえびせんで毎日過ごすことにも慣れた。

お友達が来るときは食べる。きっとおいしい。大丈夫。

 

痩せても太っても文句を言われるなら、最初から自分を無かったことにしたい。

夏がこんなに辛いなんて思わなかったな。

 

いろいろズレたけれど、とりあえず明日が不安。絶対、お仕事に行こう。することきっとないけど。お仕事に行ったら自分をちょっと褒めてあげられる。

褒めたらきっと、生きてもいいよって許せる。