お仕事はここ数日行っていない。ベッドから出られない、お化粧ができない、涙が止まらない、という症状が出勤前に出てしまう。

そんなのやる気がないだけでしょ、と思われても仕方ないし、実際にやる気はないのだと思う。お仕事に対して向けるやる気は、しっかり1日生きるということのみにだけ向けなくてはならない。生きても生きても、明日が辛い。何も見出せない。

 

今日は行きたくなかったおばあちゃんのお家に行った。

いろいろあって、私のお雛様と弟の兜を預けているところから持ち出さなくてはならなくなったから。今いるお家には置く場所がないから置けないという理由で、おばあちゃんのお家に置かせてもらわなければいけなくなった。母は自分で連絡さえしないから、私が電話でおばあちゃんに事情を説明して向かうことになった。

"置くところがない"というのは本当らしくて、ダンボールに入れて、外に出されてあった。雨が降ったらいけないから、今日中にやっておいてと言われたけれど、すごく悲しい気持ちになった。

おばあちゃんはメールができないから、ここのところ避けていた電話をした。具合が悪いことも察したのか、用件だけ話してすぐに車に乗った。

お雛様と兜をおばあちゃんのお部屋にしまって、少し話した。弟の就職が決まって9月にはこのお家を出ていくこと、母親のこと、私のこと。耳にたこなのだけれど、おばあちゃんには全部お母さんのせいだな、と言われる。でも、最近の私はそう思わないことにしている。母親のせいにしても、全部私に跳ね返ってくるから、私が何にもできないから、ということにし始めている。その方が楽だから。

私に、これからどうしたい?と聞いてきたおばあちゃんに、早く死んでしまいたい、と訴えた。死ねないから死にたいのだと思う。死ねたら死にたいとは思わないのだろうな、とようやく気付いた。

 

私がこのお家から出て行かなくてはならないから、一緒に暮らそうかとも言われた。おばあちゃんも私が心配なのだと思う。

だけど、私は毎日誰かに死んだか死んでないか、ご飯を食べるか食べないか、元気があるかないか、確認されたくはない。そんなの病院と変わらない。そんなのおばあちゃんにしてほしくない。だからわがままだけれど、ひとりでひっそり暮らしたい。もうひとつわがままを言えばおやつと暮らしたい。今日だって私がお外で泣いていたら、彼はただただ私の脚にしっぽを巻きつけて、毛繕いをしていた。そんな風にただそこにいてほしいだけ。

 

憂鬱と消えたさ、希死念慮、過食・絶食の交互にやってくるやつ、味覚の麻痺と音に対する恐怖、被害妄想が尋常じゃない。これを異常と言わずして何を異常と言うのかというくらい。

さすがにこれはと思って、いつものお医者さんじゃないけれど、明日診てもらうことにした。お薬が増えたとは言え、これが3週間続いているからいい加減私がすり減ってなくなりそう。

 

もともとの私がどんな色でどんな音なのかわからない。私はどんな風だったのだろう。

期待されてきたようにやってきたところもあって、私は私がわからない。

 

なんだかつらい。なんだかしんどい。なんだか悪口言われている気がする。まだ追われている気がする。そういった類のもの、ここ1週間でぐんと増えた。

びっくりするほどにどうしたらいいのかわからないし、決まってお腹が痛くなる。

きっと変なひとだなあと思われているのかな。

基礎体温も測ってない。

なんにも私にプラスになる気がしなくなってきた。

お仕事行けば確かにやったぶんだけお金はいただけるけれど、わけわからないくらいものをくちに入れなければ気が治らない。

 

とりあえず9月まで、9月までなんとか持ちこたえてね私。

ひとりぼっちになるこのお家で首を括りたい。

私は出来損ないで、なんにも残せなかったから。

どうにかして死ななくちゃと思う。

生きていることすらとんでもなくわがままなんだ。

 

素敵な気持ちも、握りつぶりたくなる感情も、ぜんぶ知らないまま。真っ白な雪になりたかったよ。

 

はるかも病気が治ったら、元気に働けるって、おばあちゃんにも言われたけど。もうわかんないや。ごめんね。

 

元気にしてくれると思っていたんだよね。私はいつも、みんなを笑わせることが得意だったのかな。

でもね、私が受け取る言葉はほとんど全部が鋭い針だったよ。血が滲むの。あははって笑いながら、針を抜くことも、もうできないの。

秋田県南部に住む私は、週末の雨で気が張り詰めていました。別居している実の父は、土曜日の夜中(日付的には日曜日)に、避難所へ避難させました。

年金をもらうほど歳をとっている父なので、私はとても不安で、ずっと携帯を離せませんでした。それが気にくわない母は、どこに行くのかとかなにか買い与えたのかとかずうっと私に聞いてきて、それがこの2日間ずっと苦痛でした。

 

父の住む家は私が生まれてから5歳くらいまで住んでいた古い一軒家です。低い土地にあって、小さな川が流れているので、大雨が降るといつも浸水してしまいます。

でも父は、その家から出たくないのです。終の住処というのでしょうか。

お店をしていたときのものもたくさんあるし、何よりいちばん幸せな時間を過ごすことのできた、思い出のお星様を散りばめられたきらきらしたものだからでしょう。

生活保護を受けるようになって、随分と体の張り詰めていた部分がとけてきたのか、お散歩にも出歩くようになりました。なにより、私とのお出かけを楽しみにしてくれています。私もそれが嬉しいです。おしゃべりするときも、以前よりはきはきと話せるようになりました。少し安心です。

 

浸水の具合など、お役所の方が見にきてくれたようで、普段ひとと会うことのない父には疲れた1日だったと思います。

お片付けを手伝いに行こうと思いましたが、大丈夫なようでした。

畳の張替えや使えなくなってしまった家財の運搬をこれからするとのことでした。まず、自分の安全基地に戻ることができてよかったです。

 

さて、今日のお仕事はというと、約2週間ぶりの職場で、とても緊張しました。

あと、これは間違えられないし、1回のやりとりで済ませたいから職員がやる、と言われたことがとても鋭くて、痛かったです。私は休みがちで、心配事があると集中することが難しくなります。お仕事にはそれが求められているのに、それができないのは致命傷ですね。私はやっぱり、迷惑にならない程度まで頭の機能を回復させたほうがよかったなあと、思いました。涙もじんわりと目を覆いました。

 

明日はやることが大体ルーチンであるので、黙々とこなすだけです。頑張らなくちゃと思うたびに頑張れなくなるのだから、がっかりしてしまいますね。

まだまだ予期不安が私の思考の邪魔をします。

耳栓でもつけて、お仕事したいな、なんて。

 

昨日の頭痛も治まったので、今日は眠れるのかな。

ゆっくり、ゆっくり、お休みするって決めきりたいなあ。

 

お金がネックなんですけどね。

でも、ひとりぼっちになりたい。

それか父と暮らしてもいい。

ちょっと考えてみようかな。

勝手に6連休をつくった。

最近の朝は身支度をしていて、あとリップを塗るだけという作業が、たったそれだけができない。怠けていると思われても仕方ないよなあ。力なく笑うのも、疲れてしまう。

 

最近は夜中にざあっと強い雨が降って、窓も閉めて寝ているのに、その音と匂いで目が覚めてしまう。

強い眠気も一瞬で覚めて、またお薬をのんで眠ろうとするけれど、4時くらいにまた目が覚める。またしぶしぶ眠って5時くらいに目が覚めてまた眠るという、中途覚醒のサイクルがひどい。次の日がお仕事だと、体が眠ろう眠ろうと努力して空回りしているのか。

朝のアラームでしっかりと起きて、着替えもするけれど、お化粧の最後ができない。それが何故かもわからないし、考えても無駄なんだろうなとも思って、ジトーっとした目で鏡をみつめる。もう涙も出ない。

 

就職活動も上手くいったのになあ。どうしてこんな風に転んでしまうのだろう。

今は、半年働けば失業手当が出るから頑張ろうとしか思うことができない。実質結構お休みしてしまってるし、もう笑ってしまう。いつまでも甘えてばかりの私に。

世の中お金だよなあと強く思う。障害年金も申請の手続きもしている。働くこと、憧れてたんだけどな。

 

今日は晩ごはんも食べたくて、鶏モモの薄切りをさーっと揚げてみた。油のにおいに吐き気を催してしまったけれど、久しぶりに食べた小さな唐揚げはサクサクとしていて、とてもおいしかった。

 

郵便局にも歩いていった。午前中に。

蝉がうるさいし、ふらふらしたし、局員の方の愛想のいい対応にも、じめじめとした嫌気がさした。近くの小学校から聞こえるはしゃぎ声も、頭がキンキンしてきて、座り込んでしまった。座り込んでどうにかなるものでもない。誰かに助けてもらおうとも思わない。

 

郵便局に向かう最中にお寺の参道を見つけて、帰りに寄ってみた。

宗教を信じているわけではないけれど、何かいるのはわかる。すうっと冷たくなるから。

木がたくさん植えてあって、日陰が多いってだけかもしれないけれど、教会も礼拝堂も、神社もすうっと冷たくなる。気温が下がるとかではなくて、体にまとわりついた暑さがどこかに行ってしまう感じ。頭がクリアになる。きっとここには私以外にもそうなるひとがいるのかなあと思いながら、お寺に近づいた。

お寺にはひとがいなくて、ただただ蝉のジリジリという鳴き声だけが響いていた。ほんの数分しかいなかったけれど、帰り道には混ざりの紫陽花をみつけた。青いのと、赤いの。植わっている土の成分で色が違うはずなのに不思議だなあと思って、顔を近づけた。ミツバチとクマバチがせっせと蜜を集めていた。大きな葉っぱには小さな雨蛙もいた。ひっそりと動かないでいた。今年初めて見た蛙だった。

そうだ!と思い出して写真を撮った。コラージュのようにトリミングしてインスタグラムに載せた。

 

帰ってからはまた眠った。夕方に起きて、晩ごはんを食べて、シャワーを浴びて、明日は行けるかなあと思いながらブログを書いている。

変な時間に眠るから、夜中や朝方に起きてしまうのもわかっているのだけれど、眠ることでしかやり過ごせない。切実に困っている。

 

ねーさんのブログにたまに出てくる私のこと。見つけるとなぜだかすごく嬉しくなる。ひとりじゃないんだ、と思っているのかな。ただ、あの子が職場に行けますようにという文章は、泣いてしまったのだけれど。あの数日、私は本当に死を見たし、死もこちらを見ていたから。

でも本当に、たまに出てくる私についての文章はなぜだかどきどきしてしまう。通知表の先生が書いてくれるコメントみたいな感じ。語彙力がなくて伝わらない。ごめんなさい。

そんなねーさんが心配。

半分諦めたように生きているけれど、どこかで希望を持てたらなと思っているから。私もそう。半分諦めたように、大きな幸せなど期待しないように生きているから。でも、ねーさんにも少しくらい、いいことあったっていいでしょうと思う。

これでいいんだってねーさんが思っているときは決まって私が諦めていない。ねーさんがもういいやって、命とさよならしそうなときは私が手を離してあげない。いい迷惑かな。(逆もあるけれど)

私はねーさんに勝手に憧れてるから、なんでどうしてそんなんで生きてられるんだ!すごいなあ!と度々感動する。(これを私たちは図太いと表現する)でも、図太くなってほしくない。図太くならなければいけない状況になってほしくない。これはひとりじゃ解決できないこともわかっている。ただの、私の願い。

今日のねーさんにかけられることばが、あまりにも薄っぺらなものしかなくてごめんなさい。

でも、ねーさんには本当にびっくりするくらい幸せになってほしいです。笑われるかもしれないけれど、さっきと言っていること違うけれど、本当にとびきりの幸せが訪れて、いきなりなんでも美味しく感じて、とっても楽しくて幸せで、なんでも笑える日がきたらなあと思います。前にも言ったけれど、その日は一緒に乾杯しましょう。

 

今日は雨が降ってない。

ねーさんのところはどうかな。

今日だけはクリスチャンにでもなって、お祈りして眠ります。

おやすみなさい。

先週はお休みせずにお仕事へ行きました。

水曜日の後ろ2時間は有給をとって、病院の診察にも行きました。あと年金事務所にも。

 

診察のときにはやっぱり、携帯のメモが役立ちます。からだ、きもち、生活していて不便なところとみっつに分けて、不調を書き出します。これも私には難儀です。お仕事をするようになってスケジュール管理をするようになりました。それのために使うスケジュール帳その日の体調を書きます。例えば腹痛とか、不安とか、一瞬でも痛かったり感じたりすると書きます。忘れないうちに書いて、病院の前日には携帯のメモにまとめます。2段階で漸く完結する作業です。私にはまだまだ、効率的にものをこなすことがむつかしいようです。

 

最近は母親と話すようになりました。

度々、私があまりにも生意気なくちをきくものだから、カチンときていることもあるようです。

もうこどもじゃないのだから、ひとりで生活するべき、していることが当たり前、というのが母親の考えのようです。

私もそれは一理あると思います。申し訳ないと思いながら生活をしています。ただ、なぜ申し訳ないと思いながら生活をしなくてはならないのか、わかりません。

母親の子である以上、私なら、こどもが何歳になっても具合が悪いなら面倒を見ます。でもこれは私の中の常識です。そう思うから、私は最近になってこどもを授かってみたいという気持ちがなくなりました。今の私のようなこどもがうまれたら、私は面倒を見きれないからです。辛い思いをさせたくありません。現に私が辛いからです。

母親は、私がここにいることがそんなに嫌ならひとりで生活していけばいい、と言いました。私は、できたらもうとっくにしている、と言いました。できないのは誰のせいだと言いたげな母親を私は見逃しませんでした。そうですね、私のせいです。

私がもう少し強かったら、こんな風にもならずに他人にも自慢できるような娘になっていたかもしれません。育て方を非難することはもうやめました。育ち方が悪かったと思うことにしました。

あなたのようにもう少し面の皮が厚かったら、私は親戚にまで後ろ指を指されても、ご近所からひそひそ話しされても、どうってことなかったのでしょうね。

 

ここのところ、私は小さな頃から母親というものをあまり知らないで生きてきたのだと思いました。

小さな頃はもちろん可愛がられていたでしょう。弟が生まれて、きっとやきもちもやきました。でもそれくらいからですかね、母親がひとりの女のひととして生きているんだと思ったのは。

離婚してからは夜が怖かったです。知らない男のひとが、小さなアパートに出入りしていたこと。母親が度々いなくなっていたこと。お引越ししてからもそうでしたね。

でも、お料理を作って、学校にも通わせた、それだけを母親の務めと思っている私の母親に、そこが違うよと言っても伝わりませんでした。私はいつから、母親と距離を縮めることをやめたのか、覚えていません。

 

父親とは離れていたぶん、嫌な思いをすることがなかったので、今は仲良く、度々お出かけをしています。きっとそれも気に食わないのだろうな。

 

お家を出る準備をしなければいけません。今日を生き延びたら、明日が待っています。目が覚めたらもう明日なのです。

それに感謝しなくてはならないと、誰が決めたのだろう。

どんよりと沈んで、泥のように浮かぶことのない気持ちを抱えたまま生きなければならないひとは、なにに感謝すればいいのでしょうか。

希死念慮に押し潰されず生きることは、そんなにえらいことなのでしょうか。

傍観していた私は、生きていてほしいと思うことはあっても、生きていたいと思うことが少なくなりました。

きもちが動かなくなってしまったらどうなるのだろうという恐怖を抱えたまま、眠って起きたら当たり前のように明日が顔を出しています。ゆっくりとおひさまに殺されていきます。

自分を大切にしなさいというひとほど、無責任なひとはいません。私は無責任だった。

大切にできないなら、かわりにそっと、まもってあげられるひとになりたかった。

 

きっと私も母親にまもってもらいたかった。

今日もお休みしました。お休みするくらいなら辞めたいです。

 

今日は朝起きて、おみそ汁ものみました。母親のパートナーの鼻をすする音で何か糸が切れました。はやく逃げろはやく逃げろって、頭が必死に訴えてきたのに、私は我慢しておみそ汁をのんでいました。だけど逃げなかったから、涙が止まらなくなりました。

どういう理屈でこんな風になってしまうのか、私も正直に言うとわかりません。とりあえず、頭にのぼることがあると、それでパンクしてしまうのです。他のことが考えられなくなって、そのあと涙が止まらなくなって、終いには何も手につかなくなります。

 

"お仕事をしている自分"は、私の中の理想なので、本当にお休みしたくないです。まして2日連続でお休みなんて、もう死にたいです。今日は電話したくなかったので、上司にSMSを送りました。この場合の"したくない"は、わがままと捉えられても仕方ないと思います。非常識です。ごめんなさい。ただ送ったはいいけど返信がなかったので、渋々電話しました。私のメンタルや体調に理解のある職場です。お休みすることはさほど難しいことではありません。甘えっぱなしでごめんなさい。

 

洗面所で歯ブラシを手に取ることもできず、お化粧もできず、情けないです。

今日は午前中ずうっと寝ていました。私は誰かにいまの私を打ち明けたかったです。以前の職場でお世話になったカウンセラーの方に連絡しました。でもだめでした。色んなものに感謝するだけでいいんだよと言われました。いま生きていることに感謝することでもいい、のだそうです。何も感謝なんてしたくないです。私はいまが苦しいし、これに感謝なんて出来たらこんな風になっていません。産み落とされたことに後悔すら覚えます。

勇気を振り絞って祖母にも電話しました。初めて具合の悪いときに直接話し合いました。私には深く考えるなとか、開き直ることの重要性を教えてくれました。わかっているけど出来ないんだよと、その場で言えないお利口な私がいます。だから、言えませんでした。

とうとう自分の若い頃いくら苦しかったかを話し始めたときに、ようやくくちがきけました。足のないひとに歩けと言えるのか、と聞きました。私はいま元々あったものがなくなって、出来ないことが増えて、不自由な生活を送っていることを、あまり直接的に話すことがなかったです。良い例えではなかったと思います。私はいま足がなくなってしまったとか、歩くことが困難な状態だから、それを改善するために病院にも通っている。足という例えは、私の中で気持ちや心の健全な状態をあらわすもので、それを自分の中で作り出すことが困難(たとえば足を切断したら同じ足が生えることはないということ)だと伝えたかったのです。自分で作り出すことができなくなっているから、お薬をのんだりリハビリしたりしています。足がなくなってしまった、あるいは動かすことができなくなってしまったひとに、最後は自分の気の持ちようだと言えるのかと聞きました。

祖母は私の場合はできると信じていると言いました。いまの私は他人の期待に応えることができません。帰ると言って、生きた心地のしない家に帰りました。私は出来損ないだとか、他所にははずかしくて出せないとか、思われてるかもしれません。育ち方が悪くてごめんなさい。

 

ひとしきり泣いて、一生懸命シャワーを浴びました。そのあと一生懸命髪を乾かしました。そんなことにすら最大限の力を注がなくてはならないのです。だから優しくしてとか、見逃してとか、思ったことはありません。ごめんなさいとしか思いません。

 

私はブログを書いて、そのあとどうしようとか考えない生活を送りたいです。書いたら眠って、当たり前のように起きて、お仕事に行って、たまにちょっとムカついても、ごはんを食べて元気になろうという思考回路になりたいです。

以前はきっと、そういう私だと思われていたと思います。にこにこしていて、元気で、ちょっと怒りっぽいけどみんなと仲良くしている、そういう子だと今でも思われているかもしれません。

最後まで期待に添えることができず、ごめんなさい。演じていたわけでもないけれど、それができないです。

 

泣きすぎて頭がいたいです。こんな風に育ってしまって、ごめんなさい。

7月から夏季休暇がとれるので、1日とりました。のこりは4日です。7月から9月の間にとれるのですが、夏季休暇だというのに楽しい時間を過ごすことができなくて、寂しいです。

 

昨日、久しぶりに被害妄想というものが強く出ていると感じました。上司が、ちょっと来て、と言われて他の職員とお話ししていたときです。私は、しっかりと目を通さなくてはならない書類が多く、入力作業もしなくてはならないにも関わらず、そちらが気になって気になって仕方がありませんでした。

何を話しているのだろう。私はまた何かしてしまったのかな。

ずうっと気になってしまって、お仕事が終わった後も、私は何かしたのか何をしていたのか考えていました。

帰ってからは冷麺とカップ麺を食べました。くちに何か入っていないと、気持ちがもやもやとしてしまっておさまりませんでした。ごはんやお菓子、飲み物をずうっとくちに入れていました。

 

最近はいつものことになっているのですが、朝目覚めることが容易じゃなくなっています。こどものときにお布団から出られなくなって、母親に叱られていたことを思い出します。

最近は下から呼びかけられて、それでも降りて来なければ電話やメッセージが届きます。もうわかっているのです。しっかり起きて、何か食べて、身支度を済ませてお仕事に向かいたいのは山々なのです。

夜眠れなくて、どうしようもなくそわそわしているときは、誰か親しいひとの声を聞いて、安心したいのです。あなた方の夜の営みは私にはストレスでしかありません。小さい頃から私はそれを聞いて育ちました。もう何も聞きたくないのです。

 

今日は私の中の全力を出して起きて、夜のうちに選ぶことのできたお洋服を着て、居間でぼうっとしていました。おみそ汁をのんで、歯を磨いて顔を洗いに洗面所にもいきました。ただ、そこで鏡を見てまたぼうっとしました。何もできないのです。立っていることもしんどいのです。身体的にではなくて、ただただ立っていることさえ精神的に苦痛なのです。

お仕事に行くときのバッグを手にとって、夏季休暇をとると一言伝え、8時過ぎまで横になっていました。涙が出ました。

職場にお休みする旨を伝えて、お昼頃まで寝ていました。眠るということしか、逃げ場がありません。意識を遮断することでしか、安心できないからです。安心というよりも、不安や悲壮感や絶望を感じたり考えなくて済む、という方が正しいかもしれません。

 

午後は友人にメッセージを送ったりしました。今日はお休みしたよ〜へへへ、とか。全然へへへじゃないです。消えてしまいたいなあと思います。

夕方になっても母親たちが帰って来なかったので、お料理しようか迷いました。でも、思考能力が低下しているときの創作物の出来は酷いので作りませんでした。

 近くのお弁当屋さんにお弁当を買いに行きました。今日出勤時に着るはずだったお洋服を着て。

何をしているんだろうと笑えてきました。本当は泣いていたのですが、笑っていたかったです。

 

遠くでこどもの叫び声が、ここのところ毎日聞こえます。は???と思うひともいると思いますが、本当です。私の隣のお家は幼児虐待疑惑をもつ家庭です。時々実際に聞こえていたその声が、頭の中で反芻しているのだと思います。実に不愉快です。

 

遠くに行きたいなあと漠然と思い立つことがあります。遠くに行く気力や体力がないことを思い出して、すぐに落ち込みます。

 

何も楽しくない。